真向法の軌跡を簡単に紹介します。
長井先生は1889年に福井県福井市の勝鬘寺に生まれました。大倉組の大倉喜八郎頭取に使え、やがて経済界で活躍されます。しかし1930年42歳の時に脳溢血で倒れ半身不随となります。病中苦難の中、生家の勝鬘寺に伝わる勝鬘経の中で、仏弟子たちの礼拝の姿に触れ、これこそ天啓と信じ、仏弟子たちと同じように礼拝を行ずることになります。その結果、五体の異和状態から解放され、自力更生に成功されます。
1933年 社会復帰の感動を世の人々に知らせる為「礼拝体操普及会」を設立し普及活動を始めたのです。
1946年 1月15日長井先生が読まれた和歌「真澄空ただみ一つの御光を真向仰げ四方のとも人」より「真向法」と不変の名称に変更しています。
1953年 国学の碩学安岡正篤先生に邂逅
1955年 合気道の植芝盛平氏・柔道の三船久三10段との歴史的出会い
1956年 子息 洞(はるか)先生三菱重工業株式会社退社、真向法普及会に参画
1957年 真向法倶楽部設立、会長に岩村通世先生(元法務大臣)が就く
現会長 佐藤良彦入門
1963年 創始者長井津先生逝去、子息洞先生が衣鉢を継承する
1981年 長井洞先生急逝 浜子夫人が会長に就任
1985年 東京都元知事 鈴木俊一先生入会
1987年 元内閣総理大臣(当時熊本県知事)細川護熙先生入会
1998年 浜子会長逝去 高校野球連盟会長の牧野直隆先生が会長に就任
2005年 牧野直隆会長逝去 (95歳)
2007年 佐藤良彦会長代行が会長に就任
現会長佐藤良彦先生は真向法普及活動開始の1933年(昭和8年)に宮城県大和町にお生まれになっていて、将に真向法の申し子と言える方です。私が1983年真向法を知り、東京本部に問い合わせの電話をした時に応対して下さったのが佐藤先生でした。直ぐに仙台にお越しいただき直接指導頂き、それから真向法との深いご縁が出来、私の自修が本格的に始まりました。
人は縁に生かされ、縁に生きると言われますが、真向法を通した世界は善きご縁で繋がっているようです。これも創始者の理念、哲学が根幹をなし継承されているからなのでしょう。
長井津先生が半身不随から経典に記してあった礼拝、頭面接足礼に感応し、お釈迦様の教えを受けるに礼を出来ずに教えを頂けないと思われ、頭面接足礼の何たるかを尋ね知り、それから自修する中で心身の快方を得ます。
更に座ってする礼拝の頭面接足礼の他に立ってする礼拝もあるのではと経典を尋ね、五体投地礼を知ります。この2つの礼拝を繰り返す内に身体は機能を回復したのです。驚きの自力更生です。
頭面接足礼は現在の真向法第1体操、五体投地礼は真向法第2体操です。やがて研究研鑽を積まれて現在の4つの体操に組み上げて真向法体操を完成されます。
長井先生は大倉組で出世し大活躍されて栄華の絶頂を得ていた42歳で病魔に襲われました。42歳は厄年、42で死に行く年です。また逆に世に出る年でもあり、転機の年と言われます。普通の方でしたら病身が回復したなら元の様に社会復帰するのでしょうが、先生は貴重な体験で会得した智慧、健康技法を必要な方々にお伝えするのが再生した自分の役目と覚明、覚悟され普及活動に邁進されるのです。
私の性分なのでしょうがこの様な意識の転換機序に触発され、感銘する所があります。無私の善行徳行です。真向法体操の真髄には長井先生のこの意識が脈々と継承されていると思います。世に奉仕、貢献するには先ず、己の心身の健康が不可欠でそこを自力で確立すると言う自覚です。
五体満足で生を受け、この次元に生かされるには身体の健康が大事な事です。しかし無知ゆえに、もったいなくも自虐的な生き方が横行する現在です。