2018年11月15日木曜日

1489「陸奥11」2018,11,15

 陸前高田市高田町西和野にある氷上神社は普門寺から直ぐ近くです。以下の様に紹介されています。
           
「冰上神社(ひかみじんじゃ、氷上神社)は陸前高田市高田町西和野にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式神名帳』陸奥国気仙郡にある「衣太手神社」「登奈孝志神社」に比定される式内社で、「理訓許段神社」の論社(いずれも小社)。近代社格では郷社。
 創祀年代は不詳。氷上山の山頂に、西宮として理訓許段神社、中宮として登奈孝志神社、東宮として衣太手神社の三社が鎮座しており、当社はそれらの里宮。もとは山麓に三社がそれぞれ鎮座していたというが、中世、修験道の山岳信仰により、山頂に集められたという。
『日本文徳実録』によれば、登奈孝志神が正五位下、衣太手神と理訓許段神が従五位下に叙されている。アイヌ語でこの三神を下記のように解釈する説がある。
・登奈孝志神(となこしのかみ)は「沼を越えた彼方の神」
・理訓許段神(りくこたのかみ)は「高台や丘の村の神」
・衣太手神(いたてのかみ)は「森の中に鎮座し坐す神」
 アイヌの神かどうかはともかく、どちらにしろもとは地主神だと思われるが、現在は、稲田姫命・天照大神・素盞嗚神(速進男神)の3柱をそれぞれ対照させている。

 社名や山名は、冰上、氷上とも書く場合がある。『氷上神社由緒』によれば、山名はもとは御山と呼ばれ、具体的な名前では称されなかった。
 気仙郡に官を置く際、はじめて気仙山と名付けられ、後に氷上山に改められた。この名称の由来には諸説ある。一つは、音の「ひ」に基づくもの。日神として、太陽信仰からともされる。もう一つは、やはり「ひ」で、また「氷」の意から。
 往古、山頂には野火が多かったが、三社付近で自然に消滅する現象が相次いだ。火防としての、「火」の神、また火を消す氷=水となった。
 江戸時代中期の寛延3年(1750年)、会津宗英寺の住職が、山上に金剛仏三体を奉納しようとした。しかし、八合目付近で急に山が荒れだし、慌てて下山した。その後7日間、山麓は晴天なのに、山だけ大嵐となり、これが「氷上山大騒擾」と呼ばれた。山へは一度も仏像を上げたことがなかったとして、奉納しようとしていた仏像は取り上げられ、平常に戻ったという。
 参道の御假殿は、昭和48年(1973年)、山頂に神殿を新築した際、江戸時代後期の文化5年(1808年)の旧神殿を移したもの。例祭は5月11日。境内社として、拝殿の左右に、御祭神の稲田姫命の両親である足名椎神・手名椎神を祀る。他に、松尾神社などがある。
当社は進藤彦興『詩でたどる日本神社百選』に掲載されている。なお、式内社「理訓許段神社」の論社は他に、大船渡市赤崎の尾崎神社がある。」

 鳥居から参道を進むと神池、その手前に鶴と亀の石像があります。木内さんは鶴彦さんですから鶴に、そして亀甲は出雲、須佐能ですのでこの氷上神社は木内さん所縁の様です。本殿前にはこぶしの木に実が沢山なっています。昨日の智福毘沙門堂で学習しましたので直ぐに分かりました。






 気仙地方の霊峰氷上山頂の奥宮は修験で栄えたのでしょうが、里宮も今は静かな佇まいです。

 昼食は市内のキャピタルホテル1000です。このホテルも震災で被災し高台の現在地に再建され5年です。ホテルからは復興の旧市街地が一望できますが、市街地区画造成中でまだまだ時間はかかりそうです。


 ランチは可愛いいかごの中に料理が納まったレディスランチです。デザートはお好みでお汁粉、ケーキ等で豪華な昼食です。木内さんと話も弾み、ゆっくり美味を堪能しました。




 木内さんは持参した薬が無くなったようですが、なぜか元気です。いつもの事ですが、天命塾ツアーで元気回復するパターンです。