2018年11月11日日曜日

1485「陸奥7」2018,11,11

 住田町から東に向かい関谷洞窟を目指します。大船渡市日頃市町字関谷にあるこの洞窟は古のこの地に栄えた先祖たちの痕跡を知る事が出来る貴重な遺跡です。以下の様に紹介されています。

「鷹生ダムから下った日頃市町関谷にこの洞窟がある。この付近は石灰岩の層で、この洞窟は鍾乳洞です。
 最も古い層は3億数千万年前のシリア紀の堆積物なそうで、昭和36年(1968)の調査では、奥行は93mまで測量されたがそれ以上は不明。以前は洞窟内に入れたそうですが、最近の地震により現在は禁止。層位は9層まで確認され、縄文晩期の層からは人骨が攪乱された状態で発見されたそうです。
 岩手県内における洞窟住居跡として代表的な洞窟で、学術的に貴重である土器は縄文早期の貝殻文尖底土器から弥生式土器、土師器にいたる時期のものが断続的に出土している。貝類はオオノガイ・ハマグリ・アサリ・マガキ・イガイ・ホタテガイ・アワビなど、獣骨類はシカ・イノシシ・クマ・キツネ・テンが出土していることから狩猟が盛んだったのでしょう。これらの調査結果から長期にわたって、この洞窟は古代人に使われていたと考えられています。
 そして、この洞窟には不思議な伝説が。
 昔、昔この洞窟の奥には水を湛えた湖水があったといいます、なんとその水というのは塩辛くまるで海水のようでした、いや海水といっていいでしょう。その証拠にその湖水からは、昆布や若芽などが採れたといいます。村の者たちは、不思議に思い、この洞窟が何処まで続いているのかと、洞窟の奥に犬を放したといいます。
 ところが、その犬はそれっきり戻ってこず、それから何日目かに遠く離れた旧三陸町綾里という漁村にやせ細った状態で、その犬が現れたそうな。
 この地区では、50年以上も前から古代先住民を供養する伝統行事が続いているそうです。」

 私達が訪れるところは大概誰も他の方が居ません。この関谷洞窟は五葉山に向かう幹線道路沿いですが見向きのされない感じです。道路脇の駐車場から直ぐ岩山の洞窟が見えます。少し登り入り口から中に入れます。この洞窟を住まいとしていた時代の姿を現代人は想像することは難しいです。食べ物を得て家族ともどもに日々の喜びをどう感じていたのでしょうか。生きている事がそれだけで恵みと感謝だったのでしょうか。







 次の目的地の三陸大王杉は大船渡市三陸町起喜来にあります。この地は先の東日本大震災の被災を受けていて未だ復興途中です。1昨年かに訪れた時は、道も無く辿り着くのに難儀しましたが、今回は道路も整備されて駐車場まであります。
 三陸大王杉は以下の様に紹介されています。
 「こんもりと繁る樹冠、みずみずしい緑、どっしりとした太い幹。大王の名にふさわしく、大きな、大きなスギは御喜来漁港を見下ろす高台にそびえています。大震災の日、この杉から後ろには津波の被害がなかったといわれています。まるで結界を張ったように......。私が訪れた時はまだ海岸沿いにはガレキが山積みでした。それでも木を見上げれば、杉にしては珍しい、まんまるい樹冠が緑いっぱいに広がり、地元の人を元気づけています。地名の「杉下」はまさにこの杉の下、ということだそうです。
 少し急な細い坂道を登りきったところに大王杉は立っています。
樹種/スギ(スギ科) 樹齢/約2500年 樹高/約25m 幹周り/約11.6m」

 参道を登り神社に参拝し、拝殿の後ろに鎮座する大王様に拝顔しました。その巨大さに皆さん驚きです。2500年もこの地にあり、流石に各所が樹医の治療痕が見られますがしっかりしています。三陸の大王の名にふさわしい巨杉です。果たしてこの地で如何な世界、時間の推移を見守って来たのでしょうか。ただ存在するだけでありがたい、威風が感じられるいのちです。