2018年11月6日火曜日

1480「陸奥2」2018,11,6

 座禅岩の次も巨石の地が目的地です。一関市大東町猿沢にある観福寺の巨石群です。猿沢の集落に西のはずれにある天台宗観福寺です。お寺の紹介は以下の様にあります。
  
「建久2年、工藤祐経の長男犬房丸が寺を建立して、円長法印を迎えて開山したといわれている。
 義経北行伝説・源義経主従が投宿した際、四天王の一人亀井六郎重清が残したと言われる笈を所蔵。
 また、弘法大師の霊場八十八ヶ所の仏像が一番から八十八番まで安置されており、奇岩怪石の間の小径を伝わって巡礼ができる。」

 義経北行伝説・源義経主従が投宿した際に付いて詳しい記載は以下です。
「平泉から脱出した「義経」は、最初に、佐藤継信/忠信兄弟の父親「佐藤基治」を訪れたとされています。そして、そこから束稲山を越えて、現在の大東町猿沢に入り、「真言宗石清山観福寺」で宿泊したそうです。
 この「観福寺」には、義経四天王「亀井六郎重清」が、宿泊のお礼として、砂金を入れた「笈(おい)」を置いていったと伝わっており、現在でも寺宝として保存されています
 但し、この寺院は、建久二年(1191年)、「工藤祐経」の長男「犬房丸」が寺を建立して、円長法印を迎えて開山したと伝えられていますが、それだと北行伝説と、時間的ズレが・・・」

 猿沢の町から国道を左折して観福寺が直ぐです。裏山を背景に、山門、鐘楼が目に入ります。山門を入った正面には、岩の上に鎮座した四方懸崖造りの観音堂があります。この観音堂へ登る石段は横からみると石段ではなくて橋になっていて下部は池です。観音堂から右のほうへは渡り廊下が続いていて鎮守社の金毘羅宮、階段を下りたところには赤い屋根の文殊堂があります。
 境内の銀杏の巨木は存在感があります。落ちたギンナンが綺麗に掃き集められています。本堂の前にはまわり場があります。






  観音堂の裏山は岩山です。この岩山に88か所の観音様が祀られていて小さな霊場になっています。お堂の左側から登る事が出来きます。巨石がそこかしこにありますが、その中に仏像が祀られています。倒れたものがありましたので木内さんが率先して立てて、戻してくださいました。




 時間にすればあっと言う間の観音霊場巡りですが、これまでも多くの方々の願い、想いがこの地に向けられた救いの地だったのでしょう。岩山はエネルギー的に強いので良い気を受けて身体的な効果もあったのかもしれません。1周して下りてきました。



 お寺を訪問したある方の表記を紹介しておきます。
「お寺の住職の奥様の話では、この地も往時は金の産出もあり酒屋が5軒もあった程の賑わいだったといいます。そしてこの寺は曽我兄弟の仇討ちにあった工藤祐経の長男、犬房丸の開山と云うのも驚きです。
 義経伝承は最後にはモンゴルに渡りモンゴル帝国をつくったジンギスカンとなったと迄エスカレートするのだが、その最初の一泊の地がこの観福寺なのです。平泉高舘(衣河館)を密かに脱出した義経一行は束稲山を越えてこの観福寺に一泊したのです。その時義経主従で四天王の一人亀井六郎重清が残した笈と言われるのを奥様が出してくれました。平泉の高舘の麓には彼の戦死の碑が建っている。気にしない 気にしない・・・」