「重箱石(一関市千厩町磐清水字重箱石):
宝暦の風土記(1763)には「平石 大石三つ重り重箱石共申唱候…」とあり、磐清水の代表的な名石である。古くは平石または重箱石と呼ばれていた。石の上に馬蹄形の窪みがあり、いつも水が溜まり、これを干せば雨が降ると伝えられており、石の側面の色の違いは、その昔この周辺が沼であったことを示す名残りともいわれている。
また一説には、昔乙姫の玉手箱を忘れたところとか、弁慶が重ねた石ともいわれている。(濁沼自治会 平成22年1月建立 標柱の解説より)。
「濁沼村風土記御用書出」安永4年(1775):
沼田 一平石 高さ1丈程、廻り4丈8尺程 右ハ往古ヨリ重箱石又平石共申唱候所、石上窪みへ水溜居干候間雨降候由申伝候事
「磐清水村誌」:
重箱石 重箱形の大石が三段に重なる。石の上がやや馬蹄形の跡があって不断に水が溜まり、これを汲み乾かせば雨が降ると伝えられる。」
「弁慶が重ねた石といわれている。」との表記もありましたが、いささか眉唾物の感じがします。
道路に駐車して皆さんで探索?です。形は重箱を三重に重ねた感じです。石の上に上る事が出来ますが、4畳半位の広さがあります。
皆で石に上りましたが、石の配置の面取りに方位が決められているようだ、と木内さんが言います。方位付きのオペラグラスを持っている方がいて測定が始まりました。確かに道路側の石の面が東西の様で南に向いています。
近くの巨石も重箱石と組み合わせての配置の様だという事になりました。古にはこの石の上で儀式がなされていたようです。一体どのように活用されていたのか興味しんしんです。
重箱石の背後の森の中に階段があり、巨石がありその間に社があります。明治30年頃の勧請とされる青麻社です。ここに「イタドリを杖にして参拝すると中風にかからないと伝えられている。」とあります。草に覆われて途中で戻りましたが重箱石との関係は分かりません。
道路を行きかう車からは変なグループが何をしているのかと、怪訝な目が寄せられていましたが面白き石を皆さんで楽しみました。木内さんは薬切れですが、なぜか元気で、快調にお話を聞かせてくれました。