「・藤里・浅井愛宕神社・毘沙門堂
境内の巨大なスギの木とカヤの木、樹齢は軽く千年を超しておりこれには驚きの心境でした。軽い気持ちで訪れたのが恥ずかしくなるほどの衝撃を受けました。
ここでは、神社境内とそこに建立されている愛宕神社、そして境内の巨木等を中心に紹介してみたいと思います。愛宕神社は、毘沙門堂として元禄3年(1692)に再建されたお堂であり、歴史的にも古く、何よりもお堂で保存されてきた兜跋毘沙門天を始めとする貴重な仏像があります。
・毘沙門堂
「毘沙門堂は、大同三年の創建と伝えられており、宝暦十三年の風土記書によれば、「刀は毘沙門御神躰慈覚大師の御作嘉祥三年に相建申候」云々とある。江戸時代には羽黒派修験智福院が別当なっているが、詳細は不明である。
この毘沙門堂には、重要文化財木造兜跋毘沙門天像をはじめ、岩手県指定文化財木造毘沙門天三像、木像十一面観音立像や、市指定の仏像が数多く保存されている。
重要文化財木造兜跋毘沙門天立像は、東日本に限って見られる鉈彫技法によって制作された像でトチノ木材による一木造りである。顔は、眉根を深くよせて念怒相を示し、右手は曲げて戟をもち、左手は深く折り曲げて塔をもち、柔和で深い精神性をたたえるすばらしい表情を示す地天女の肩に、ほぼ直立する姿をしている。
この像の制作年代であるが、鉈彫像には銘文のある像が一体もないので、様式的な比較から推定しなければならず、研究者によってそれぞれ年代に相違があり、十世紀末から十一世紀とする説と、十世紀中ごろの制作とする説がある。
毘沙門天像は北方鎮護の守護神であり、兜跋毘沙門天像が夷狄征伐の目的をもつところから、胆沢城築城以後の陸奥國支配をすすめる上での守護神として、北上川河東に造像され、政情不安なこの地方の平安を祈ったものといえよう。 奥州市教育委員会」
・湯桶杉
山上の愛宕神社(藤里毘沙門堂)を参道の下から見上げると、入り口の鳥居の後ろに「智福愛宕神社の大カヤ」と並んでそびえ立つ巨大な木の頭が笠のように見える。「湯桶杉」である。案内板には、「昔、太い枝で湯桶を作ったことによる呼び名という」とあり、境内の裏にもまた巨木があることが書かれている。目通りよりも上部で大きく枝が張り出し分かれているので貫禄がある。分かれる位置が低ければ白山杉のような木になっていたのかもしれない。
・権現杉
ここが神仏習合していた時代にはどういう扱いだったのかは知らないが、神社だったのならば拝殿の位置にある藤里毘沙門堂の裏は一段高くなっており、本殿のあったろう場所に愛宕神社があり、向かって右に新しい宝物庫が見える。「木造兜跋毘沙門天立像(国重文)」他の宝物が厳重に保管されているのだろう。
愛宕神社の左脇に並び立っているのが蔵王権現堂で、それを守護するように湯桶杉に負けない7mほどはあろうかという大杉がそびえている。名前は特にないようだ。無名のままにしておくのは惜しい杉なので、ここは仮に「権現杉」と呼びたい。
・大カヤ
樹高21m、幹周5.2m。境内に7m級の大杉が2本もあるため、これほどの幹を持ちながら主役ではない。並び立つ「湯桶杉」に遠慮したのだろうか、横に展開せず、負けまいと競って上に伸びたようで微笑ましい。
杉の7m級も大関クラスで見事だが、希少価値からいうとこちらのカヤの方が上かもしれない。それだけに、木材などを立てかけられて、管理者におざなりに扱われている姿はちょっとかわいそうに思えた。」
境内には誰もいません。駐車場から向かうと先ず、大カヤ、湯桶杉が出迎えてくれます。巨木はあまりに大きくて写真で全貌を捉える事は出来ません。木からの気は凄いものがあります。1000年を超える樹木は珍しく、この地にまとまって残っていることは貴重な事です。暫し境内を巡り、各自思い思いにエネルギー充電です。
そんな中に珍しい木の実を見つけたのですが、木内さんも他の皆さんも分からないと言います。鞘に収まり、割れて赤い実が出ています。実を引くと白い糸が伸びます。白い糸を引いてぶら下がっている実もあります。
後で調べたところ、こぶしの木の実でした。赤ちゃんの握りこぶしに似ているのでこぶしと言うとか。こぶしの花はよく見ますが実は初めてです。白い糸で実を枝からぶら下げて鳥に食べてもらい、実を運んでもらうようです。暫し観察会を楽しみました。