2018年11月14日水曜日

1488「陸奥10」2018,11,14

 次の目的地は大船渡市の南隣の陸前高田市にある普門寺です。陸前高田市は旧陸前国気仙郡に属し、地理的には三陸海岸全体では南寄りに位置します。
「三陸海岸南部はリアス式海岸が続き、西の唐桑半島と東の広田半島に挟まれた広田湾の北奥に、陸前高田市中心部のある平野が広がる。小さな平野ではあるが、山が海に迫る地形が続く三陸海岸では最大級のものである。
 広田湾奥には気仙川が流れこんでおり、その運ぶ土砂で形成された砂州には高田松原と呼ばれる松原が東西に続く。高田松原の北に古川沼があり、その先の山麓に中心市街地が位置し、その北には氷上山がそびえる。広田半島には椿島などの景勝地が見られる。」

 この地は先の311東日本大震災の津波の被害は甚大でした。7年半が経過していますがまだまだ海岸の防潮堤の巨大壁、旧市街部の道路、区画整備が行われています。一部飲食店、商業施設が出来ていますが、まだまだ復興途上です。
震災については以下の被害でした。
「2011年(平成23年)3月11日、マグニチュード9.0の東北地方太平洋沖地震が発生した。隣接する市町村の震度は、大船渡市・一関市・宮城県気仙沼市が震度6弱、住田町は5強であった。同市の震度は欠測だったが、市の発表による災害状況では6弱とされている。この地震が引き起こした大津波によって市役所庁舎を含む市中心部が壊滅し、市の全世帯のうち7割以上が被害を受けた。また、市域にある東日本旅客鉄道(JR東日本)の5駅のうち4駅(大船渡線の竹駒駅・陸前高田駅・脇ノ沢駅・小友駅)は、周辺地域の多くの駅同様、駅舎などが流失し、線路も大きな被害を受けた。
4月9日:この時点で判明していた陸前高田市における死者は1,211人、行方不明者1,183人、避難者16,579人。
4月14日:GPS(全地球測位システム)を用いた国土地理院の調査の結果、岩手県・宮城県・福島県の広範な沿岸地域において、この地殻変動による著しい地盤沈下があったことが明らかとなった。特に岩手・宮城両県境付近の変動量は大きく、最大は牡鹿半島の-120 cm, 陸前高田市は小友町西の坊が-84 cmで市街地中最大、同じく米崎町高畑は-58 cm, 同じく気仙町双六は-53 cm, 他では宮城県石巻市が-78 cm, 気仙沼市が-76 cm, 岩手県大船渡市が-73 cmであった[9][10][11](日本における地盤沈下も参照)。」

 2010年の市の人口は23300人です。4月9日に被災し避難した数は約19000人で8割強に当たる方々が被害を受けた様です。
            
 曹洞宗の古刹普門寺は奥州三十三観音二十九番礼所で陸前高田市米崎町にあります。山の手で津波の被害はありませんでした。以下の様に紹介されています。
「奥州三十三観音第29番札所、曹洞宗海岸山普門寺は陸前高田市米崎町にあります。
普門寺の草創は仁治2年(1241)。臨済宗開祖栄西禅師の弟子記外和尚が開山。記外和尚は三度、宋に渡ったが、最後の帰国の際に宋の皇帝より聖観音菩薩、愛染明王の掛け軸等五種の宝物を賜った。開山以来260余年の寺歴は明らかでない。
 永正元年(1504)当時の浜田城主が石鳥谷の大興寺十世如幻和尚に請い、現在の地に再興開山したという。
 天正19年(1591)、慶応3年(1867)の2度火災に遭い、堂宇焼失したが、皇帝より拝領の寺宝は焼失を免れた。本堂は明治5年(1872)に再建、現在は山門を除く7堂伽藍が整備された。山門は再建されていない。
 文化6年(1809)岩手県内唯一の塔婆建築の三重塔が建立されました。地上より12.5mの高さ、気仙大工の粋を集めたものです。享保3年(1718)唐金の大仏建立。高さ5mあります。この時代で、青銅製のこの大きさのものは東北では稀有のものです。」

 道路から灯篭、山門、参道があり巨木の杉並木が続く広大な敷地に先ず驚きます。お寺のHPには以下の様にあります。
「2006年に開山500年を迎えた、岩手県陸前高田市にある曹洞宗の寺院です。 境内には岩手県指定文化財である三重塔、木造伝聖観音像、絹本著色愛染明王画像などがあり、東日本大震災の後奉納された沢山の仏像が本堂や境内各所にまつられております。夏になると岩手県指定の天然記念物サルスベリが満開になります。季節によって趣の違うお寺です。」







 丁度、参拝していた総代さんでしょうか、親切に本殿など説明して案内くださいました。

 静寂な佇まいを見せる庭の奥には、三重塔、大仏があります。三重塔は各層とも軒の意匠に工夫が凝らされており、気仙大工の独特な技が見られます。境内のサルスベリは県内最大木です。祀られている沢山の仏像がそこ各所に沢山です。