国道343号線沿の景勝地 「仙婆巌」(せんばがや) で男岩(陽神岩)と女岩(陰神岩)の二つの巨岩があります。以下の様な紹介があります。
「仙婆巖は陽神・陰神の二岩からなり、陽神岩は旧国道を覆うように出ており、陰神は川を隔てて屏風状に切り立っています。「千把萱伝説」は、自分の子を跡継ぎにしたいため、我が子を綿にくるみ、継子は千把の萱に包んで岩頭から投げ落としたら、綿にくるんだ我が子が死んで母親がそのおろかさに気づいたと伝わっています。相原友直の「気仙風土草」には、「数十丈の岩頭から千把の萱に包まれて落ちるのと、傘二本を右左の手に持って落ちることが議論され、一人は萱に包まれ、一人は傘を持って飛び降りました。からかさをもちいたる者がつつがなく、萱をほどいて見たら死んでいた。これより里人千把萱という」と記しています。旧道は仙婆巖陽神岩の北側を迂回しています。」
「陸前高田市の最後は、前述の「泉増寺」から、西方に約8km、国道343(今泉街道)沿い、「仙婆巌(せんばがや)」と呼ばれる場所に、陰陽岩(男岩/女岩)があると言われているようですが・・・イマイチぱっとしません。紹介しておいて「パッとしない」とは、申し訳ありませんが、こちら、左側の画像が「陽神岩(男岩)」との事です。
確かに、巨大な岩山になっている様で、この辺りの地層は、北上山地における「仙婆巌層」と呼ばれ、主に「火山砕屑物(さいせつぶつ)」が固結してできた「堆積岩(火砕岩)」との事です。別角度からの「陽神岩(男岩)」画像も右側に掲載しておきますが、所々に「穴」が空いているようです。
また、この「陽神岩(男岩)」と対をなす「陰神岩(女岩)」は、その下を流れる「気仙川」を挟んで向かい側に位置しています。
参考までに、当地「仙婆巌」の地図も掲載しておきます。そして、「陰神岩(女岩)」ですが、下図の通り、無残にも、中心をトンネルが貫通してしまっております。
トンネルがあった方が、「女岩」らしいという話もあるようですが、元々は、トンネルなど無かった訳ですから、それは、ちょっと違った意味での「女岩」となってしまいます。
この「陰陽岩(男岩/女岩)」の二岩は、これまで紹介してきた通り、「陽神岩」は旧国道を覆うように出ており、「陰神岩」は川を隔てて屏風状に切り立った形となっています。
他方、この「仙婆巌」と言う地名の由来ですが、様々な由来が、伝説として伝わっているようで、本ブログでは、その中から2つの伝説を紹介します。
・千把萱(せんば-かや)伝説 :自分の子を跡継ぎにしたいため、我が子を綿にくるみ、継子を千把の萱に包んで岩頭から投げ落とした所、綿にくるんだ我が子が死んで、母親は、そのおろかさに気づいたと言う伝説。
・気仙風土草 (相原 友直) :数十丈の岩頭から、千把の萱に包まれて落ちるのと、傘二本を右左の手に持って落ちることが議論され、一人は萱に包まれ、一人は傘を持って飛び降りました。唐傘を用いたる者がつつがなく、萱をほどいて見たら死んでいた。これより里人「千把萱」と云う。
何か、失礼ですが、どちらの伝説も、「陰陽岩」と同じくパッとしない伝説の様に思えますが・・・陸前高田市に関しては、この辺で終わりにしたいと思います。
ちなみに、この「陰陽岩」と類似した「岩系」の情報に関しては、岩手県の最北部、二戸市にある「馬仙峡の夫婦岩」を紹介した事があります。」
国道から旧道に入ると正面に男岩がそして蛇行する気仙川の向こう岸に女岩の岩壁がありますが、道路のトンネル、橋があり残念な感じは否めません。これと言って特筆することは無いのですが、気仙川の河岸に大きな木は存在感がありました。
いずれにしても今泉街道、気仙街道と呼ばれた街道の要所でこの仙婆巌の陰陽岩にまつわる伝説が沢山あるという事は民には親しまれた地だったのでしょう。