2015年5月26日火曜日

443「禅の会7」2015,5,26

 いのちは1つです。あの人も、この人も私です。宇宙全体、全てが私です。その自覚は難しいのですがそう念ずるのです。自分も他人、他人も自分で、通い合っているいのちと念じていたら良いのです。
 自分の殻が開けて来ると、そこに隙間があって、いのちが交流しているので、思いが外に伝わって行きます。しかし殻があると、自分が思っても外へ出て行かないので伝わらないのです。思いが伝わる、ひとついのちの自覚です。声を大きく言う必要はありません。

 私は本も出版し、講演会も出来て、学校でも出世し、定年退職できました。今、嘱託講師をしているのですが、来年からは非常勤講師でもっと時間が出来るので、これからは大敬カンパニーをやって講演活動などをして行きます。
 私は43才から文章を書けるようになりました。それは自分の力で書いたものでないので、書いたもののお金はもらえないのです。ですから印税などありません。でも私の家内はしっかりしていて、良いマネージャーです。

 大明呪は個人を越えた智慧と光明を受ける祝福の響きです。
 無上呪はどこまでも進化向上しようという意志を授ける祝福の響きです。
 無等等呪はそれぞれの人が持つ天命、役割の成就を援助する祝福の響きです。
 全ての人が成長し、最終ゴールへ行ってほしいというのが宇宙の意思です。どんなパートで響くかは違いますが、宇宙全体の大交響曲です。

 空っぽ財布のことを話します。必要な時に、必要なものが来る、と分かっていたら貯め込む必要がありません。今は恐怖心でいろいろなものを貯め込んでいます。その為に格差社会になっています。それを変えるには、各自が実践して、成功体験を積み上げる事が必要です。すべてはイメージを心に描けば良いのです。そして素直に受け取り、イメージの中で実践するのです。観音経を読んでいる人はイメージで助かるのです。危機一髪で救われるのです。御利益信仰の典型が観音経ですが、禅は現世利益を求めない世界です。

 良いお経としては資料のお経が良いです。最初に延命十句観音経のお話をします。
 延命十句観音経(えんめいじゅっくかんのんきょう)は願いを叶えてくれるお経です。
 観世音 南無仏 (かんぜおん  なむぶつ)
 与仏有因 与仏有縁 (よぶつういん  よぶつうえん)
 仏法僧縁 常楽我浄 (ぶっぽうそうえん  じょうらくがじょう)
 朝念観世音 暮念観世音 (ちょうねんかんぜおん  ぼねんかんぜおん) 
 念念従心起 念念不離心 (ねんねんじゅうしんき  ねんねんふりしん)   
 願いは個人の問題としてすると、他いろいろな方に行くことはエネルギーが分散するので、それは心配している人と同じになってしまい、結果的に何もものに成らないのです。ですからお願いはあまり具体的でない方が良いのです。
 特別なものを願う特殊暗示から、一般的なものを願う一般暗示へ変えた方が良いです。特殊暗示とは、「お金持ちに成る様に」と言うようなものです。しかしこの願いは副作用が大きいです。自分の中にある抵抗観念が強いので言うほどお金が入らないのです。
一方、一般暗示は、「これから毎日、あらゆる面において一層良くなって行く。」と言うものです。これは夜寝る前か、朝起きて直ぐにこの一般暗示をすると良いです。内容としては、「全体として私の人生が良くなる」と念じることです。
 私は観音ステージで沢山いろいろなものを受けていますが、こちらの暗示の方が優っています。
 三国志の中で項羽と劉邦で戦いあいますが、結局は劉邦が勝ちました。局面で勝っても全体で負けてはどうしようもないのです。その為に一般暗示の方が良いのです。しかし特効薬でないので速効性が無いのですが効果はあります。

 四句誓願文(しぐせいがもん)は、これは菩薩の誓願です。
 衆生無辺誓願度 (しゅじょう むへん せいがんど)
 煩悩無尽誓願断 (ぼんのう むじん せいがんだん)
 法門無量誓願学 (ほうもん むりょう せいがんがく)
 仏道無上誓願成 (ぶつどう むじょう せいがんじょう)

 その意味の概略は以下です。
「衆生をどこまでも救いたい。私の煩悩は限りないが、断ち切る様に努力する。
この世で勉強するものは限りないが達成する。この道は遠くまで続くがゴールする。」
と言うものです。
 来世は役割が変わって行くのですが、仲間を拡げて、1人残さず皆で最後にゴールするという菩薩の誓願です。
 菩薩とは、本来は仏に成れたのですが、この地上に残って皆が救われる為にしている方です。しかし、それは当たり前のことです。なぜならば、ひとついのちで全部のいのちが自分だからです。悩んでいる人は私であり、その人がいるということはまだ悟っていないということです。ですからお釈迦様も悟っていないのです。悩んで、辛い思いをしている私もお釈迦様なのです。

 次は懺悔文(ざんげもん)です。
 我昔所造諸悪業 (がしゃくしょぞう しょあくごう)
 皆由無始貪瞋痴 (かいゆむし とんじんち)
 従身語意之所生 (じゅうしんごい ししょしょう)
 一切我今皆懺悔 (いっさいがこん かいさんげ)

 我々が作った諸々の悪業、貪(とん)瞋(じん)痴(ち)(貪り・怒り・愚かさ)は身、口、意から生じるが、それら一切をお詫びする。と言うものです。
 自分の罪は人類全体の罪です。
 オウム真理教の人達も普通の人で、敵ではありません。皆、地盤を共有しているものです。しかし敵を作り、いじめなど、学校で起きている事は世の中で起きていることです。

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