2017年12月28日木曜日

1167「出羽6」2017,12,28

 今日の最後の目的地は秋田市太平八田字金山「太平山金山瀧」です。太平山は標高1,170.4mで連峰をなし、秋田県でも有数の名山で信仰の山です。山容は雄大でバランスが取れた素晴らしい姿です。進む道の正面にその姿を見ることが出来ました。


 太平山金山瀧に向かう途中、秋田市太平木曽石に三吉神社があります。今回は時間が無く参拝せずに金山瀧に向かいました。
 しかしこの神社の由緒は金山瀧と深いので少し紹介します。     
「三吉大神を初めてお祀りした神社として、三吉神社総本宮とも言われる。 
神社の創祀は、小川伝之助(のちに辰に改姓)翁がご神託を得て、金山滝から山を切り開き、木曽吉山に始めて三吉大神をお祀りした時に始まる。時に、嘉永二年。西洋暦1849年なり。
 天保五年 辰(たつ)伝之助翁(当時姓は小川)が父重病にして九死に一生の際 天性の強烈なる孝心全身に発動し産土神(八幡宮)に日夜祈誓、或る日の丑の刻 翁に三吉大神祭るべしとの産土神の神託あり、その神示に従い木曽吉山(今の太平山の中岳で市内より眺むれば正面に三峰中一段高く大きく聳える峰 )を開き大神を鎮祭す。
 当初山麓の金山瀧の傍らに岩穴を掘り 祓戸大神 火結神 並びに三吉霊神の御尊像を奉安 日夜艱難辛苦神教に従い木曽石口登山道を切り開きつつ 金山瀧神社 釣志嶽神社 神仙山神社(前岳)を草建。女人堂に篭りつつ修業怠りなく遂に、嘉永二年中岳に木曽吉山神社を創建。ここに始めて三吉霊神を奉斎(太平山の神にあらず)三吉信仰の発祥となる。」  

 三吉神社から4kmほど行くと金山滝があります。太平山登山口になっていて、他に何箇所かある登山口の中でここが本来のルートの様です。太平山信仰の修験僧はこの滝で身を清め頂上を目指したといいます。
 川の脇に駐車場があります。川の上流には堰があり、何本かの川の下りは一瞬、瀧のようにも見えます。橋を渡って少し登山道を登ると直ぐに左手に曲がって金山瀧が現われます。瀧としては小さなものですが、山懐から流れ落ちるその場の雰囲気には神聖さがあります。祠の中に社、祭壇があります。
 




 日暮れ近くですので早々に失礼して宿に向かいます。宿泊先は男鹿温泉の元湯雄山閣です。宿に着く頃はとっぷりと夜の帳が下りて真っ暗な宵闇の中、正面に宿の灯りが見え、暖かく迎えて下さいました。
 この宿は温泉の元湯で、なまはげの湯で有名です。何度か利用していますが期待に違わず今回も大満足です。先ずはまなはげの湯に入って1日の疲れを癒しました。宿の専用の源泉から噴き出すお湯は、季節や気温で茶褐色、緑、白色と湯色を変えるといいます。湯の花が豊富で、まったりと肌にからみつく湯ざわりは癒される感覚です。なまはげの顔の口でたパイプの先から間欠的に吹き出る源泉は面白い音とリズムです。湯船の縁に湯ノ花が年輪の様に付着していきます。体の芯までポカポカに温まり、湯冷めしにくいありがたい温泉でした。
 温泉に行く廊下の途中に男鹿を愛した紀行家・菅江真澄の足跡を讃えて菅江真澄に関する資料館がありました。

 夕食は私たちだけの個室で冬の男鹿の名物郷土料理を頂きましたが、極めつけは石焼き鍋です。木製の桶にみそ仕立てのだし汁と魚介類や野菜を入れ、そこによく焼いた石を入れて一気に加熱して煮るものです。漁師や海女の間で伝えられた料理です。皆さん地酒と美味しい料理に大満足です。











 2次会も楽しく出来ましたが、私は酔ってほとんど参加せずに先にお休みでした。

 12月のJR東日本の新幹線の中の雑誌に、男鹿の石焼き鍋が出ていたのを見ましたがベストなタイミングな出逢いでした。