「仙台での最初のライブは青麻神社でした。最初は分かりませんでしたが、そこの御神体は京都の鞍馬から来ています。私も鞍馬とはご縁があり、これも何かの繋がりと思いました。
霊界が変わるとこの世界が変わります。今、霊界は激変していますので、この世も激変すると思いますので、楽しみにしていてください。今は過去の霊界の名残、植えつけられた意識、思考の名残が出ている状態ですが、やがてそのネガティブなものは変わって行く状況です。」
「青森にアソベ族、ツボケ族がいました。ネイティブなアソベ族が岩木山の当たりに暮らしていました。そこへ大陸から入って来たのがツボケ族です。それらがやがて融合して行くのですが、最初は争い、喧嘩をしていました。そこへ大和から流れてきた人たちが入って来たのです。そこに出来たのがアラハバキです。十三港(とさみなと)は交易が盛んで栄えていたのです。
私の霊媒のスタートは戦国時代の因縁解消から始めましたが、やがて東北の因縁解消に使われる様になって来ています。そして今は音で解消するようになってきています。」
「アソベ、ツボケの歌では、それぞれの代表が私に入ってもらい、それに私が伴奏をつけている感じです。最初はそれぞれが口げんかをしていたのですが、段々仲良くなってきています。平和的に成って来ていて、因縁が解消されてきていると思っています。」
「アラハバキの歌は東北の括りで同じ様な感じがします。
音楽のツールを持っている霊媒は得だと思います。演奏して楽しめるし、ご褒美を貰い、喜びを与えてもらっています。使えるものを使わないと損です。コンプレックスに感じているものを使うと、それが個性になります。その方が面白いです。ですから私は霊媒をとことん利用しようと思います。お陰で時代、時代のミュージッシャンと仲良くさせてもらえ、また、時代、土地で違う音が入ってくるのです。」
その後、「雪国」、八戸がモチーフの「故郷へ」。その後に青森の歌を歌ってくださいました。演歌の吉幾三さんの「津軽平野」です。神人さんは他の方の歌をカバーすることは無いのですが、これから「青森健仁」、として青森の歌の演奏をして行くとのことです。
続いて「八甲田山」は春夏秋冬を奏でたインストの曲。そして「ねぶた」の曲です。
「私は中学生の時、車力村にいました。そこはやがてつがる市になりましたが、日本海地震でぐちゃぐちゃの被害でした。車力村はマイナーな所なので報道されず知られていないのですが、凄い被害がありました。でも当時に地震を経験しているので少々のものでは驚かなくなっています。苦しみも笑える様になると良いです。」
次の曲は「津軽祭り集」です。「小学校のころ山車で祭囃子をしていました。津軽は三味線ですが三味線を弾かずにアコースティックギターでそれを表現しています。」
エンディングは「祭り」です。
「ねぶた祭りは誰でも参加できます。3000円位で衣装借りられ、飛び入りで参加できます。躍りはそれぞれの脚で2回づつ跳ねるだけで良いです。祭りは6日間やって、最終日は花火大会です。そこでねぶた大賞をとると凄いです。トップとそれ以外の格差はあまりにも大きいです。今年は若い女性のねぶた士が大賞を取りましたが、女性らしい感性でした。これからそれを目指す若い方が増えてくるかもしれません。
青森のねぶたは戦後に始まりました。弘前のねぷたはもっと古くから行われています。掛け声、ラッセーラ、ラッセーラ。ラッセ、ラッセ、ラッセラ。掛け声を掛けて、跳ねてください。」