12月2日仙台駅に7時に集合して木内鶴彦さんとの出羽の旅に出発しました。この旅は木内さんのファンが集合していて、前回の旅が終わると同時に皆さん次回の参加申し込みをされてしまう大人気です。
ハイエースの10人乗りレンタカーで一路、東北道を北上して田沢湖へ向かいます。空模様が気がかりで、秋田は雪で場所によっては積雪があるのではないかと心配です。最初の休憩は岩手県の前沢SAですが、既に積雪です。どんよりした雲間から太陽の光の筋が射しています。次の休憩の雫石の道の駅も積雪ですが良い天気になって来ました。
最初の目的地は仙北市田沢湖生保内にある青龍大権現です。ほとんど知られていない巨石があるのです。国道341号線の小先達山交差点から県道38号線を西に曲がりの山のはちみつ屋さんの先を北に両脇に田んぼが広がる1直線に進む道の先、その林の中にあるのです。雪に覆われていて、車で進む事は無理です。雪道を徒歩で700mほど進んで青龍大権現に拝謁するかどうかです。皆さんにお尋ねすると半数の5名の方々が手を上げてすたすたと雪道を歩み出しました。私も駐車場に車を止めて後を追います。
既に先を行く皆さんとは300mほどの差がありますが、元気に楽しんで進む内に林の前で追い付きました。左に曲がり少し進むと右の林の中へ進む道があります。50mほどで左手に鳥居、社、その奥に巨石が鎮座しています。
先に青龍大権現の紹介記事を2つを抜粋して紹介します。
「詳細不明。田沢湖に近いので、田沢湖の辰子姫伝説に関連するものかもしれないが、はっきりしない。秋田県・青森県県境の十和田湖にも青龍大権現の伝承があるので、単に大きな湖に因む水神を祀ったものかもしれない。当地の字名は「石神」というらしいので、個人的には、辰子姫とは無関係に、巨岩に対する素朴な信仰と考えたい。」
http://blog.goo.ne.jp/junko-f2/e/23e94930327ec29e65ad3a68a661c29c
「生保内と書いて「おぼない」と読む。アイヌ語で「深い川」を意味する。地名の由来に、前九年の役の時、源義家が仙岩峠を越えて東方を眺めると立派な里があるので、「こんなところがあるとは覚えていなかった」と称賛したことから「おぼない」の名がついた。というダジャレ説もある。
訪ねたのは4月末だが、林の中にはまだ雪が残っていた。林立する杉木立のなかに人の気配はまったくない。丸材で造られた神明鳥居の奥に木造の祠があり、その背後に、高さ約8mほどの龍の頭の形をした岩塊が、背後の山裾からこちらに向かって突き出している。リアルなその形状は、地名となった石神の名にふさわしく、大地の根底からわきあがる不思議なパワーを感じさせる。
祠の左手後方に、注連縄の巻かれた立石とそれを取り巻く石組みがあり、そのかたわらに「青龍大権現 辰子姫供養」と書かれた板塔婆が置かれている。これが、あの辰子姫の墓所だろうか。
過日、青龍大権現と辰子姫のかかわりを市の田沢湖観光情報センターに問い合わせてみた。送られてきた資料に「“丑寅日本記”という昔の文書に、辰子姫が願をかけるために、このお宮にお参りしたとも書かれている歴史のある所である。」と紹介されている。
生保内には、天慶の乱で奥州に落ち延びた平将門の娘・滝夜又姫が、この地に住みつき村の祖先になったという伝説が残されている。この滝夜叉姫が『丑寅日本記』に組み込まれている。滝夜叉姫は、平将門と阿倍國東の次女・辰子との間に生まれた娘であり、幼いときには楓姫と呼ばれていたとある。青龍大権現と関わる部分を以下に引用する。
「~ 一族の者奥州日之本将軍阿倍氏の所領に遁走して救はる。中に将門の正室辰子、遺姫なる楓、成して滝夜叉姫母子は、仙北生保内邑に落着して忍住せり。時に、楓病弱にて、母辰子は青龍大権現の鎮む生保内湖の湖宮に三七二十一日の祈願をせしに、湖神なる青龍大権現の告を夢うつつに聞くも、楓姫を病に救ふは、母辰子を神のもとに仕はしむ、入水を告げて消えり。依て辰子は浮虫と曰ふ乳母に、楓姫のゆく末を頼みて生保内湖に入水せり。~」
この『丑寅日本記』の伝承から、青龍大権現の辰子姫墓所説が生まれたものなのか明らかではないが、道を尋ねた折の「誰も信じちゃいないけど」という中年男性のツッコミも、ご神体里帰り騒動の記憶に根ざすものではなかったかと、今になって思われる。」
http://home.s01.itscom.net/sahara/stone/s_tohoku/aki_seiryu/seiryu.htm