2020年12月20日日曜日

2189「苦楽・人の喜び」2020.12.20

 今回も「いっぷくからありがとう」さんの2020年12月16日「苦の後に楽が来る」と2020年12月17日「人としての喜び」を紹介します。


「苦の後に楽が来る」

今日は美輪明宏さんのお話です。尚、文章の中で「修業」など、美輪さん一流の言葉使いをされています。 ですが、それは文章中でも述べられていますが、人間はその美しい姿、完全なる人格、つまり神と同じ純粋エネルギーに近づくために生まれてきている・・ という意味で使われています。ですので言葉尻だけを捉え、艱難苦難の修業と、誤解なされないようにお願いいたします。文章表現の細かいところではなく、美輪さんが仰りたい大意・真意をご理解下されば幸いです。


<引用開始> 引用元 

美しい生き方というのは、たとえば死後にも、ものすごく影響することだと思うのです。

楽あれば苦あり。すごく悪いことがあった後に、ものすごくいいことが起きるようになっている。この地球という星はそういう場所なのです。

そして私たちの開発途中の魂は、

・あらゆる人種、職業、容姿、性格と、

・あらゆるパターンの人間の人生を、

心を、体験し、修業しなければならないのです。

あるときは

・黒人になったり、

・白人になったり、あるいは

・黄色人種になったり。

・男になったり、

・女になったり、 

私のように真ん中になってみたり(笑)。

いろいろなタイプの人生を何千何万回と生まれ変わり、死に変わり、輪廻転生を繰り返して体験して生きていかなくちゃいけないのです。そしてそこで苦労して勉強していく。

「私はどうしてこんなに孤独で、ひどい人生を歩まなくてはいけないのかしら」と思っても、

実は、生まれる前に、あの世で自分でプログラミングしてそれを選んで生まれてきたのだから、その人はその人生を体験しなきゃいけない義務を持っている。

 この地球に修業しにきているのだから。だから文句はいえないわけ。よく人生に疲れたからといって自殺する人がいるけれども、これは言ってみれば、人生の職場放棄で人生の中途退学なのです。ですから次に生まれ変わっても、また一からやりなおさなければいけない。辛い思いをして死んだとしても、結局、また同じコースを生まれかわってきて同じことを繰り返さないといけない。

 だから自殺で死ぬのは痛いし苦しい目にあっただけ骨折り損のくたびれ儲け。だからどんなに苦しくても辛くても、人生は自然死までがんばった方がいいということです。

 反対に苦労が多い人生でも、前向きにすべてクリアして経験していくと、優しくて厳しくて温かい思いやりある、自信にあふれた人格へ成長していく。

 人間はその美しい姿、完全なる人格、つまり神と同じ、純粋エネルギーに近づくために生まれてきているのです。あの世ではこの世の権力や地位、肩書なんて何の役にも立ちません。

本当に平等なのです。魂が純粋で、美しければ美しいほど、それに準じ比例した高いところにいける。真っ黒で汚くて、恨みつらみ憎しみで想念が固まり、ストップしたまま、あの世で暮らすなんて嫌でしょう。

 だからこそ、私は現世で、ウォーミングアップとしてまず心の優しさ温かさ美しさを、といつも呼びかけているのです。そう、未来永劫(みらいえいごう)、この世でも、あの世でも平和で安らかで美しく生きていくために…。

<引用終了>


・輪廻転生があること。

・自分の人生は、生まれる前にあの世で、自分自身で設計して生まれてきた。

・人間はその美しい姿、完全なる人格、つまり神と同じ純粋エネルギーに近づくために生まれてきている

・自分の生前の考え方、癖(不平不満、愚痴)が死後の行き先さえ変えてしまう。

これらは全て、中間世記憶を持つ子供たちが、思い出したことと同じです。

また、ここで頻繁に紹介している小林正観さんの考えと同じです。私も、それが真実であろうと思います。そしてそれが真実であるならば、

・今、例え不幸のどん底でも、それは自分で計画してきたこと

・従って、自分を破滅に追いやるためでなく、自分の魂を輝かせるための苦労である。

ということですね。

 そして地球に生まれてきた幸運な魂たちは、皆それぞれの、魂磨きの環境を選んで生まれて来ているわけですから、見た目で人を判断したり、バカにしたりしてはいけないと言うことになります。

 生きている私たちには、その見えない深い理由など分からないのですから。縁があって、

・同じ時代、

・同じ地域

に生まれてきているのですから、お互いの長所も短所もひっくるめて「個性」を尊重し、

相手の尊厳を尊び、助け合って生きていきたいものですね。

それがひいては自分の宇宙全体を、幸せにしてくれますから。


「人としての喜び」

これから、地球がどんなに変わろうと、美しき心は、全ての障害を超えて、私たちを幸せな世界に運んでくれることでしょう。それは、肉体がある間だけではなく、肉体を脱いで、魂の世界に戻った時でさえ裏切らないことでしょう。 

・知識や学歴がなくとも、

・お金や地位などなくとも

・健康でなくとも

そのような物は、肉体がある間、目的を達成するための道具でしかないのですから永遠の魂にとって、何の障害にもなりません。

むしろ、それらに執着し、かさに着て、無意識のうちに、心を汚していくよりも無意識のうちに、マウンティングし、人を支配しようとするよりも、むしろ何も持たなくとも、馬鹿だと人に蔑まされようとも、良寛さんのように大愚であって、心美しき人の方が、どんなに光り輝く魂を持つことでしょう。

さて今日は小林正観さんのお話を、参考にして書きたいと思います。 

それは、平凡な生き方かもしれません。誰にも、尊敬もされなければ、注目もされない生き方かもしれません。ですが、もしかしたら神々に一番近い生き方かもしれません。


<転載開始> 転載元

 まわりの方々に喜ばれる喜びは、自分のことで、自分が喜ぶのとは、比べられないほどの大きさです。人は、人の間に生きていることからこそ「人間」と呼べます。

 人間として生きるということは、自分のためではなく、他に存在する者(物)のために

生きるということ。人間の身体の中には 37兆個もの細胞があります。

 その一つ一つに、個別の意識があります。体の中に目を向けてみても、肺や心臓、肝臓、腸など自分のためにだけに存在する臓器は何ひとつありません。みな体内の、他の臓器や細胞を生かすために働いています。

 まさに、ひとつの宇宙が人間の体の中に、凝縮されていると言っても過言ではありません。

ですので、人は、この世に生れたからには自分が、いかに目標に向かって歩み、目標を達成するかということではなく、いかに周りに喜ばれる存在になるか、ということがとても大切です。

たとえば頼まれごとをやってあげて、相手がにっこり笑って「ありがとう」と言ってくれたとき、本当の「人としての喜び」が湧いてきます。喜ばれることが、人間の最も根源的な幸せです。

 人に喜ばれることをしてみましょう。その時、いちばん楽しくて、幸せなのは実は自分自身なのではないか、そう思えるに違いありません。

<転載終了>


・大きな成功を成し遂げて、人々に尊敬される人

・仕事のバリバリできる人

・平凡な人間だけど、何時もにこにこ笑っていて、困っている人がいれば、何はさておき駆けつけて、一緒に悩み、傍に寄りそう人

・仕事は、それほどできないけれど、人の喜びを共に喜び、人の悲しみを共に悲しんでくれる人

 皆さんは、どちらの生き方が理想ですか?自分が、何かを人にして差し上げた時に、誰かから、にっこり笑って「ありがとう」って言われると、本当に幸せな気分になれますね。

もしかして、氣難しい顔をして人を寄せ付けないような人も、何時も、身勝手で、人の上げ足を取っているような人もその人の内側の良き部分、神さまの部分を見つけて差し上げて、

「ありがとう」の一言をかけた途端、魔法のように、頑なだった心が溶けだして良き人に変わってしまうかもしれません。

 私たちは、誰でも本当は、

・人に認めてもらいたいのです。

・「ありがとう」と笑顔を、向けてもらいたいのです。


 最後に、宮沢賢治の「雨にも負けず」をご紹介して終わりにします。

雨にも負けず 風にも負けず 雪にも夏の暑さにも負けぬ 丈夫なからだをもち

慾はなく 決して怒らず いつも静かに笑っている

一日に玄米四合と味噌と少しの野菜を食べ

あらゆることを自分を勘定に入れずに よく見聞きし分かり そして忘れず

野原の松の林の陰の 小さな萱ぶきの小屋にいて

東に病気の子供あれば行って看病してやり

西に疲れた母あれば行ってその稲の束を負い

南に死にそうな人あれば行ってこわがらなくてもいいといい

北に喧嘩や訴訟があればつまらないからやめろといい

日照りの時は涙を流し 寒さの夏はおろおろ歩き

みんなに でくのぼーと呼ばれ

褒められもせず 苦にもされず

そういうものに わたしは なりたい