2023年7月31日月曜日

3139「喜びの世界への帰還」2023.7.31

今回は「いっぷくからありがとう」さんの2023年07月18日の「喜びの世界への帰還」と2023年07月19日の「心の感度」の2つの記事を紹介します。


「喜びの世界への帰還」


死とは、私たち平凡な人々にとって一大事なことです。 

身近な人であれば、悲しみ、時によっては、「ああしてあげればよかった」と、

一生後悔を背負って生きていくかもしれません。 

ですが、臨死体験を経験された方のお話や、生まれる前の記憶を持つ子供たちの話を聞けば、

死とは、それほど深刻なことではなく、元居た場所に、また帰るだけ。 

肉体がある時よりも、はるかに長い時を過ごしている本来の場所に戻るだけ・・のようです。

ですので、あまり深刻なお話にはなりません。 

また他の星団から直接地球に転生し、その記憶を持ったまま生まれて来たレインボーチルドレンのお話では、どうしても疑問があって、分からない時には、元居た星団に残している自分自身の本体と通信し、その答えを得ることもあるとのこと・・ 

これの意味するところは、私たちの魂は、物理的などこの地点(宇宙)及び、多次元に同時に存在できるということです。 

また、光よりも早く通信できるということ。 

量子力学の電子の蓋然性と同じです。

本人が意識をフォーカスさせているところに強く出ます。 

つまり、肉体を持つ時は、強く肉体に意識を向けているために、自分自身が神々と同じく

多次元的な存在だとは気づかないけれど、本来、魂は、肉体を超えて生き、存在する・・

と言うことだと思います。 

そういった観点から、今日は、聖心女子大学教授、シスターの鈴木秀子さんのお話をご紹介します。 

鈴木さんの臨死体験にまつわるお話で、亡くなった方のために「喜ぶ」という内容です。 

<引用開始> 引用元 


≪臨死体験で変わったこと≫

司会者―臨死体験をした後、何か変わったことは?

誰かがなくなったときに、家族は泣いてますよね、亡くなったときに、

あの人はあの素晴らしい世界へ行ったんだから、その人のために喜ぶ。

家族は悲しいから家族のためには祈りますけれども、亡くなった人のためには

喜びを感じるようになりました。 

それがとても大きなことですね。 

司会者――あちらの世界が素晴らしい世界だから、

(患者が)病気で苦しんでいらして、厳しい状態の時にも、 

「安心なさってください」という言葉が説得力を持つんでしょうか?

(死がまじかに迫っている人たちに)私は手を当てたまま、本当に神様の愛が伝わって 

私を通ってその方に伝わり、神様の愛が循環しているような、臨死体験で味わった

無条件の愛の中にいる安らぎというか、安心感というか、そういうものをもう一度、再現している幸せを感じます。

司会者――なぜ臨死体験の幸福感が再現されるのですか?

つらい人とか、もう死が控えている苦しい苦しい人は、もう見栄とか、体面をつくろうことができない。

いのちのギリギリまで迫られているから、その人の“ありのまま”をさらけ出しているわけです。 

だから私はその人たちから刺激を受けて、自分も飾ることなく、その人たちから自分の

“ありのまま”を引き出されて、そうすると、お互いに一体感が浮かんでくるんですね。 

もう死ぬ前の人間が一番望むのは“愛”だけですよ。 

だから自分も愛を溢れさせるし、愛を受け止める。 

だから病人をお見舞いに伺うのは大きな喜びであり、恵みであり、癒しを与えてもらう瞬間でもあるんですね。 

司会者――最後に、これからの目標は?

一つ大きな目標があるんです。 

年を取るにつれて全部、どんどん、昨日までできたことが、今日はできなくなる。失われてゆく。 

じゃあ、自分が最後の最後まですることは何だろうかと考えたときに、気づいたことは、息を吸うことと吐くことじゃありません?  

だから、息を吸うことと吐くことは死の瞬間までするから、これを使わない方法はないと思ったんです。

・吸うときに感謝を込めて吸い、

・吐く息に神を讃美する。 

感謝、讃美という思いを込めて、

吸ったり吐いたりする特訓を自分にしているんです。

<引用終了>

   

鈴木秀子さんは臨死体験をしてから後、不思議な力に突き動かされて、病院などに、

死に行く人々を訪ね歩く活動をされています。 

そこでは、ただ 

・同調

・肯定 

・息を合わせる 

・寄り添うこと 

それしか行われませんが、2人の間に神聖な結びつきが生まれ、神々のエネルギーが循環するのだそうです。 

その結果、死を待つ人々の心は、愛に満たされ、穏やかな気持ちで、神さまに抱かれて行くのだそうです。 

派手さはありませんが、それこそが、まさに神々のやり方です。 

愛の交流を通じ、心を救って行くのです。 

イエスも同じことをなさいました。 

 

「心の感度」


私たちは、3つの世界の中で同時に生きています。

・見える世界(物理的な次元)

・見えない世界(黄泉の国)

・心の世界 

一番大きくて、全てを包括し、大事なのが心の世界です。

心の世界こそが、見える世界、見えない世界を包括した世界の現実を作り出します。 

ですので、ご自分の心の浄化こそが、全ての根本であり、

永遠に続く幸福を作り出すことができます。 

決してどこかの誰かが、やってくれることではありません。

目に見える、物に執着したり、

目に見えない霊的な物ばかりに心をフォーカスさせるよりも、 

まずは、自分の心の洗濯こそが、重要だと思います。 

私たち人間は「考える葦である」などと言われます。 

ただ、毎日を、食べて寝て、暮らしているわけではありません。 

生活するため、生きるためだけに働いているわけではありません。

  

生きている間に様々な事件が起こります。

様々な人との出会いと別れがあります。 

誰かと友達になります。

長く続く友達もいれば、あっという間に分かれる人もいます。 

愛や友情を交わし合う人もいれば、憎しみ、罵り合う人もいます。 

それは全てこの世で、いろんな経験をして、いろんな感情を味わうためです。

子供たちに対する大規模なアンケート調査でも明らかなように 

これらの出来事は全て生まれる前に、もう決めてから出てきます。

ですので、乗り越えられない試練や苦難は絶対に設定してきません。

全ての目的が、その経験を通じ、魂の豊さを経験するためです。

心の感度を上げるためです。 

さて、今日は。そのような観点から「卒業式」にまつわるお話をご紹介します。

子どもたちの”いじめ”が深刻な社会問題になり、国会でも取り上げられる昨今、 

心温まるお話しです。

<引用開始>

 

小松まり子さんというお母さんがおられて、その方のお子さんの足が不自由で、

小学校の六年間、車椅子で通っていたんです。

六年間・・車椅子の後押しをしたのは、近所の子どもたちでした。  

毎日当番を決めて、登下校の後押しをしたのです。  

来年から中学・・みんなと同じ中学に行けると思ったら・・ 

教育委員会から「お宅のお子さんは体が不自由だから、設備の整った肢体不自由児の中学校に転校してください」って言われたのです。

ご両親は納得されたのですが、友達は納得しませんでした。 

六年間一緒に通ったんだから、中学も一緒でいたい・・ 

署名運動までして嘆願した。 

「エレベーターが無くても、トイレに1人で入れなくても、僕らがいます・・ 

車椅子を担いででもやります」って言うんです。 

そんな約束までして・・また三年間、一緒に中学に通ったのです。

三年生の最後の日・・卒業式の日に、一緒に卒業したかったのですが、身体不自由なうえに弱かったものですから、風邪を引いて卒業式に出られなくなったのです。

いつものように迎えに来た友達に、ベランダから「九年間ありがとう!」とお礼を言った。 

『じゃ・・お前の卒業証書貰ってきてやるよ』と、友達は登校していった。

お父さんも「今日は早く帰るから・・一緒に卒業を祝おう」と言って出かけた。

お昼にチャイムが鳴ったので、お母さんがドアを開けたら・・ 

お父さんではなかったんですね。

卒業式を終えられた校長先生が、卒業証書を、わざわさ息子さんのために持ってこられ・・

各学年で担任をされた先生方も・・ 

小学校からズ~と車椅子を押してくれた生徒たちも・・ 

一緒に来てくれたのです。

盲目の友達のために校長先生は 

『お子さんのお部屋で、卒業式をやらせてください・・』 とおっしゃった。  

みんな部屋に集まった・・ 

お子さんを前に、校長先生が卒業証書を読んでくれた。

先生方は「よく頑張ったね!」と握手し 友達は、周りを囲んで校歌を歌ってくれた。

お子さんは、車椅子に座って証書を握りしめ、泣いていました。  

お父さんもお母さんも、涙が溢れて止まりませんでした。  

お父さんは、部屋のみんなに、喉を詰まらせながら、お礼を言いました。

『息子は・・

皆さんの心温まる援助のお蔭で、無事小学校と中学校の両方を卒業できました・・ 

何を学んだかは 本人に聞かないと分かりませんが・・

人から受ける優しさほど、人の心を豊かにしてくれるものはない・・  

ということを学んでくれたら、それだけで十分です』

NHKふれあいトークより

<引用終了>

 

家の実家は、もう何十年も前に衰退してしまいましたが、着物の町でした。

亡くなった父も小さいながらも、着物の染め物工場をやっていました。

私が中学卒業する頃、私と同級だった特別支援学級に通っていた男の子が、

卒業と同時に家の染め物工場で働くことになりました。

彼の障害は身体の方ではなく、勉強が少し人より遅れると言う障害でした。

(でも、やっぱり心は凄く純粋!!)

父は、その同級生を雇って仕事を教えることになりました。

私はというと、まだ働くどころか、親の脛かじりの高校生です。

今となっては、父がどういう気持ちだったのかは解りません。 

そんな父を尊敬しています。

九年間、車椅子を押し続けてもらった少年。

少年のお父様が言うように、何事にも変えられないほどの素晴らしい体験を通して、 

それまで以上に優しく思いやりある人生に変わられたと思います。

ですが、もしかしたらそれ以上に、「心の豊かさ」を手にいれたのは、九年間車椅子を押し続けた同級生たちかもしれないですね。。

お互い様、お陰様。 

有難いことですね。

こんな仕組み、こんな経験をさせて下さる、全てをディレクションしてくださった神様に感謝です。 

私たちは、こんな風に、色んな出来事、いろんな人との、出会い、別れを通じ魂を震わせ、

良いことも悪いことも、様々な経験を通じ、人を思いやる心の感度を上げて、魂を輝かせているのかもしれませんね。


2023年7月30日日曜日

3138「神さまの教える諦めの心」2023.7.30

 今回は「いっぷくからありがとう」さんの2023年07月17日の記事を紹介します。


「神さまの教える諦めの心」


今日は、聖なる諦め、諦めることがゴールであり、スタートであるというお話です。

このテーマでは、以前から何度も何度も書いていますが、 

このテーマも、日本神界 高位の魂である、山幸彦の魂を持つ、小学生のトキ君の情報とピッタリと一致しているため、 

このことが、神様の真実であることが推認できます。 

私のブログでは、ブッダやイエス、そして日本人の心に伝わる古の神道を情報ソースとして書いていますが、この6歳の子供が、いくら神様の魂を持つとは言え、同じ内容を語っていることに驚きます。 

既に、沢山の神様の魂が、この日本に転生を始めているそうです。 

本当に「精神性復活の時代」夜明けが近づいて来た様です。 

トキ君の情報は以下です。

一瞬で幸せになれる言葉…皆様に響きますように…人が人として生きていくうえで大切な何かに気付けますよに。これからも私達は皆様の幸せを祈ります😌🙏 youtu.be 

約2分くらいから「諦める」についてです。

6歳と幼く語彙が少ないため、5分30秒くらいから違いを身体で表現してくれています。

 


トキ君は以下のように話しています。 

・諦めるは、ゴールでありスタート

・諦めると、また新たなスタートに立てる

・「諦めない」と言う言葉は、ゴールを自ら遠くへと設定してしまうこと

・諦めた瞬間に心が解放される

・本当に自分がやりたいことであれば、あきらめなくても良いけれど

少しでも嫌な気持ちがあるなら、諦めて新たなスタートに立った方が良い

・諦めると楽になって心が明るくなる

・諦めた瞬間に、どんなことでも出来るようになる

・諦めるということは「それでいいんだよ」って言うこと

・諦めないは「それじゃ、ダメ」って言うこと

・諦めるとは 認めるっていう意味

・出来ない自分を諦める

・出来ない相手を諦める

また同じようにブッダと神道のエッセンスより

「諦め」について以前書いた記事がありますので、加筆修正して載せたいと思います。

小林正観さんのお話から、ブッダの悟りと、日本に昔からある神道が、驚いたことに全く同じ到達点にたどり着いている、について書こうと思います。 

 

ブッダは2,500年前に、この世の苦しみ、悲しみの原因は、自分の思いどおりにならないこと、と悟りました。

自分の思いどおりにならないことに対して、それに逆らって、なんとかしようと するからこそ、人は悩み・苦しむのです。

人の苦しみや悲しみは、外から与えられるものではありません。

苦しい・悲しいと思う心、つまり、人の内(心)から、苦しみや悲しみが発生しているのです。

だから、お釈迦様は、こうおっしゃっています。

「すべて、受け入れなさい」と。

それは、頑張る生き方ではなく、楽に生きる生き方です。

・人に頼って

・人に甘えて

・あるいは人に頼られて

・時には人から甘えられて

自分の思いどおりに、世の中を変えようとしないで、それを受け入れて、こころを楽にして生きてゆくこと。

そして、最高の形は、「ありがとう」と、感謝することだったのです。

・水を飲めることに「 ありがとう 」

・息ができることに「 ありがとう 」

・食事できることに「 ありがとう 」

・仕事があることに「 ありがとう 」

・家族がいることに「 ありがとう 」

・友達がいることに「 ありがとう 」

・話ができることに「 ありがとう 」

・歩けることに  「 ありがとう 」

・病気でないことに「 ありがとう 」

・生きていることに「 ありがとう 」 

これは、日本に古くから存在していた古神道と同じ結論です。 

感謝の心が神々の恩寵の表れる場となる・・ 

ということです。 

 

日本の神道には 

・教義も

・教祖 

もいません。

だから宗教とは呼ばれません。 

全てのもの、全ての自然現象に神々の意吹きが宿るとして、尊重し、敬う心です。 

このブッダの悟りの神髄に対して、きっと反論のある方もいるかもしれません。

だって実際に

・貧困でお金がなく

・病気で、毎日が苦しい

・友人に裏切られた

・職場にいじめが存在する

・世の中には許せない犯罪者がいる

・憎い

・苦しい

・辛い

自分が辛いのは

・あいつのせい

・世の中のせい 

でもきっとご本人もわかっているはずです。 

自分が辛く、苦しいのは 

・憎しみの心があるから

・人のせいにしているから 

ブッダは仰いました。

「すべて、受け入れなさい」(そのことを諦めなさい、許しなさい) 

自分の心の状態が現実を作ります。

憎しみの心を抱いていては、次から次へと 憎しみの対象が目の前に現れてくることでしょう。 

「これがない、あれもない」と、常に足りない部分ばかりを見ていては、地獄の餓鬼と同じ心になってしまいます。 

そもそも神様は私たちが生きていくうえで、必要なものは全部、準備してくださいました。

そのうえで、私たちを、その場所に置いてくださいました。 

「置かれた場所で、咲きなさい」と。

神さまが準備してくださったものは

・健康や

・お金

・幸運

それだけではありません。 

・苦しみ

・悲しみ

・貧困

・病気 

も一緒に置いてくださいます。 

それは、その状況が、私たちの魂を磨いて、輝かせてくれるからです。 

本人が超えられないものは、置かれません。 

人よりもつらく、悲しく、苦しい状況は神様に見込まれているからです。 

私たちは、足りないことばかり見つめることをやめ、ゆっくりと、澄んだ心で周りを見渡せば、きっと、本当の幸せを見つけることができるでしょう。 

なぜなら、誠の幸せこそ、神様が私たちに一番、渡したいと願っているものだからです。 

幸せは、向こうから勝手にやってくるものではありません。

すでに自分を、山ほど取り囲んでいるものです。

神様が準備してくれていたものです。

それに、気がつけるかどうか。

ただそれだけの違いのようです。 

そうブッダは、般若心経で教えてくださいました。

・憎しみの心

・人を蔑む心 

が消えて、お幸せになられますように。

 

2023年7月29日土曜日

3137「打出の小槌」2023.7.29

 今回は「いっぷくからありがとう」さんの2023年07月16日の記事を紹介します。


「打出の小槌」


私たちみんな、願い事をかなえてくれる「打出の小槌」を持っています。 

望む物の名を唱えながら打つと、それが出てくるという、小さい槌(つち)のことです。

これを読んでらっしゃるあなたは、言葉をしゃべれますか?

もし、しゃべることができるのなら、既に「打出の小槌」を持っています。

どういうことか、小林正観さんのお話をご紹介します。 

簡単なことなのですが、本当のことです。幸せに直結します。

是非、素直な心でお読みください。

<転載開始> 転載元

 

相談に来られた方がいます。

それは二人の女性で、奥さんとそのお母様ということでした。

お母様は70歳を過ぎてもしっかりしている。

目が見える、自分の足で歩ける、という健康体です。

しかも、奥さんの二人の子供は、それぞれ元気で大学へ通っていて、

優秀で奨学金をもらっている特待生とのこと。

というふうに、一つひとつ挙げていったら、実はものすごく恵まれていました。

そして、夫は植物状態になった時、死んではいないのに、保険金が満額おりた、というお話でした。

だからそれによって2年間、奥さんはどこにも勤めることなく、生活費も医療費もすべてまかなえている、とのことでした。

ただ未来が見えてこないので、「つらくてしょうがない」と言っているのです。

でも、今のような見方をしたら、ものすごく恵まれていように見えませんか?

その恵まれていることに目を向けないで、つらい、悲しい方へばかり目がいって、それについて「つらい、悲しい」と言いつづけた結果、楽しいことがひとつもなかったのです。

さらに、私はもうひとつこんな話を聞きました。

このご主人に、毎日のようにお見舞いに行っているそうですが、

「早く目覚めて。早く私たちのこのひどい状態をなんとかして。

あなたが私たちのために働いてくれないと、私たちはどうにもならない」

と2年間ずっと言いつづけてきたそうです。

私がもし寝たきりの夫であったならば、仮に意識が戻っていたとしても、目を覚まさないと思います。

だってそうやって愚痴や泣き言、早く私たちを楽にしてよ、困ったことがたくさんあって…

ということばばかり聞かされていたら、楽しいわけはないし、体じゅうの細胞や脳神経だって、活性化しません。

そうではなく、たとえば

 

「3月になって、梅がすごくきれいに咲いてますよ。4月になったら、桜が咲きましたよ。今年は特にきれいですよ。

5月はツツジ、6月は花菖蒲、7月はユリ…。

そしてだんだんと木々の葉っぱが色づく季節になりました。

こんな楽しいことがあって、きれいな景色があって…」

ということを、話して聞かせてあげたらどうですか。

私がもし植物状態になっている人を目覚めさせたかったら、

食べ物の話をするかもしれません。

「7月はモモがおいしい、8月はスイカ、9月は梨、10月は柿、11月はリンゴ、12月はミカン…」

人間の意識というものは、細胞の中に包まれています。

ですから、細胞(容れ物)がちゃんとしてくると、魂もちゃんとしてピュアになってくる可能性がある。

愚痴や泣き言を2年間も浴びせ続けてるのと、

「すごく楽しくて幸せ。こんなおいしいものがあったよ。

こんな美しい景色があったよ」と聞かせつづけるのとでは、

体と魂に与える影響は雲泥の差があります。

相談に来られた二人は、

「この2年間、どこかへ出かけようとか、何かおもしろいものを見に行こうかという気になったことはありませんでした。でも、正観さんの話を聞いて、帰りがけに博物館があったので、1時間ほど見学してきました」

そして、手にはお土産を持っていて、

「今日はとても楽しくて、よかったです」と言っていたということでした。

「はじめに言葉ありき。言葉は神とともにあり。

言葉は神なりき」という聖書の一説は、 

発した言葉によって、またそれを言いたくなるような現象が降ってくる

という宇宙の法則だったということが、このレポートによって実証されました。

実は私たちの発する言葉は「打出(うちで)の小槌(こづち)」だったのです。

おとぎ話の中にでてくる打出の小槌は、

ほとんどの人は「そんなものあるわけない」と言うと思います。

私もずっとそう思っていました。

しかし、本当にあるということが、わかってしまいました。

「こうすると、こうなる」という宇宙方程式であり、自分の発する言葉によって、

自分に降ってくる現象を作っていることがわかったら、 

打出の小槌を持っているようなものではないでしょうか。

私たちは宇宙の「打出の小槌」を使いこなせるのです。

<転載終了>

 

「発した言葉によって、またそれを言いたくなるような現象が降ってくる」のだそうです。

私もこれは本当のことだと思います。

自分の口から出した言葉が、自分を取り巻く現実を作るのなら、

「不平不満・愚痴・悪口・文句・泣き言」の五戒や、

「つらい」「悲しい」「悔しい」「苦しい」「つまらない」の言葉ではなく、

・嬉しい、

・楽しい、

・幸せ、

・愛している、

・大好き、

・ありがとう、

・ツイてる 

と言う言葉を使いたいものですね。

この言葉を使い続けることで、この言葉をまた言いたくなる現象や出来事に囲まれ、

また、周りの人の心も温かくすることができます。 

優しい人々の囲まれて生きることができるでしょう。

以前、良寛さんが20年間も住んでいた、五合案に行ってきました。相当な山奥でした。

 

小さなおうち(庵)でした。

良寛さんは子供と遊ぶのが好きで、世の中の俗事にはこだわらず、財産や名声や地位に対する欲望がなく、お坊さんでありながらお寺に住まず、毎日托鉢して、村の子供たちと遊び、

詩や和歌や俳句を作ったり、書をかいたり、その日その日を悠々と過ごしていました。

良寛さんは、まじめに愚直に、愛語の精神で生きることを生涯守り、実行されました。

愛語とは、ブッダの教えの一つで、自分の生活の中で、

・他人に対しては、「良い言葉」「愛情の在る言葉」しか発しないことを、自分の修行の柱とする。

・言葉にしない時は、黙って心中で他人へ「愛情のある言葉」を思う。

・言葉に出来ない時は、黙って「愛情のある行動」を他人に行う。

私たちも、こうありたいものです。

口から出る言葉が、良いも悪いも私たちの住む世界、現実を作り出すのですから。

同じ世界に生きながら、私たち一人一人は、例え家族、友人であろうと、全く別の、自分の現実の世界で生きています。

 




2023年7月28日金曜日

3136「幸せになるために」2023.7.28

 今回は「いっぷくからありがとう」さんの2023年07月15日の記事を紹介します。


「幸せになるために」


ブッダは私たちの苦しみの原因を、思い通りにならないことを、思い通りにしようとすること、そうおっしゃいました。 

コロナが発生してからの3年間で、いろんなことが起こり、その渦中で、私たちの心は揺れ動き、様々なことに遭遇したことかもしれません。

物事が、思い通りに運ぶ順境の時もあれば、何をやってもうまくいかず、

周りの人も、自分の期待通りには動かず、悶々とした逆境の時もあったかもしれません。 

ですが、その大変化の数年もいよいよ終わりそうです。

逆境の中でも恨まず、憎まず、文句を言わず、人のせいにせず、じっと耐え、

魂を鍛えてくださる神々の働きに感謝の気持ちを持ち続け、忍耐を手に入れた人には、 

良き恵がもたらされることでしょう。 

どのような苦しみ、悲しみが降りかかろうと、それはを生まれる前に

そうなるように設定して来たのは、誰でもなく自分自身です。

今の状況を「あの人のせいで・・」と人のせいにするわけにはいきません。

・今置かれている状況は

・困った出来事は、

・悩みの種は、 

真っ直ぐに自分に向かって、起こっています。

誰かのとばっちりで起きた事ではありません。

自分が苦しみに感じるのと同じだけのパワーで、自分に対して、

生き方や、考え方の見直しを求めて起きてくれている「出来事」です。

今、時が熟したことによって、やっと目の前に、その現象が現れてくれました。

それは、私たちの魂が、この人生の歩みで、少しずつ進歩して、やっとその問題を感じ、

そして解決する時が来たという証でもあります。

その事を斎藤一人さんがお話してくださっているのでご紹介します。

<転載開始> 転載元

 

生きていると、いろいろなトラブルや問題が出てきます。

そして、問題が出てくると、たいてい、人は悩んだり、苦しんだりします。

でも、問題というものは、自分の魂を成長させるためのものなんです。

人間は、自分に起きた問題を利用して魂のステージ、いわゆる「霊格」をあげていきます。

ただ、ほとんどの人は、自分の魂をどうやって成長させるかを知らない。

それどころか、目の前に起きた問題が

自分の魂を一つ上にあげる階段だということも知らない人も多いんです。

だから、苦労したり、悩んだりするのです。

でも、私はなぜか、昔から知っていました。

問題が起きたときこそ、「魂を成長させる方法」というのがあることを。

魂を成長させると同時に、その問題を解決してしまう方法があるということを。

 

その方法はたった一つです。

たった一つの方法で、全部の問題が解決できます。

それは、感謝です。

なにか問題が起きたとき、多くの人は「なぜ、こんな問題が起きたんだろう」と考えます。

理詰めで考えると、いろいろな原因が思い当たるでしょう。

でも、魂的な視野からいうと、自分に起きるトラブルや問題は

「自分の感謝のなさ」を教えてくれるものとして出てきています。

だから、上司が自分にいやがらせをするのだとしたら、

いやがらせをしない同僚やなんかに感謝が足りなかったのです。

感謝の反対は「当たり前」。

同僚たちがいやがらせをしないのは当たり前だと思っていた。

ということは、感謝を知らないのです。

だから、病気になったのだとしたら、からだに感謝することを知らなかったんです。

それの「気づき」のために、どこかからだの具合が悪くなる。

それに気づき、他の具合が悪くないところ、一つひとつに感謝すればいいのです。

必要な治療を受けながら、感謝すればいい。

そうやって、問題のないところに感謝して、感謝して、最後に、問題そのものにまで感謝できたとき、その問題は消滅するようになっています。

これはお約束ごとです。

この世は、そういう仕組みになっています。

ということは、問題が起きたとき、「これは自分が感謝を知らなくて起きたんだ」と思い、

最初から問題そのものに感謝するのが、一番いいんですよね。

でも、最初から問題そのものに感謝するという流れには行かないものなのです。

だから、最初は問題を起こしていない周りに感謝から始めるのです。 

周りへの感謝から始めると、やがて、その問題にも感謝できるようになります。

そして、魂が上にあがります。

<転載終了>

 

何か自分の意に沿わないことが起きた時、私たちは不平や、不満、愚痴を口にし、

何とかそこから逃れようとジタバタします。

今までのぬるま湯につかったままでいたいと思います。

ですが、そのトラブルや問題と言うのは、私たちに「感謝の心」を思い出しなさい、 

と言うチャンスの時期が到来したと、伝えているのだそうです。

困ったことに対して、不平や不満、愚痴を口にせずに、今まで「当たり前」だと思っていた、周りの方々の優しさや思いやりに目を向けて、感謝すること・・

そして最後は、その問題自体にも、

気付かせてくれたキッカケとなってくれたことに感謝すること・・

すると、一人さんの仰るように、もう問題点は消滅してしまいます。

そして同時に私たちの魂は、また一歩進歩していきます。

今感じている、

・困ったことは何ですか? 

・不安に思うことは何ですか?

・不満に思っていることは何ですか?

以前の記事にも書きましたが、中間世記憶を持つ子供たちの天国での神さまとの相談の様子からすると、私たちは生まれる前に、両親を選んで生まれてきました。

そして健康な体になるのか、病気の子供として生まれるのか、

どんな経験をこの人生でするのかを、決めたうえで生まれてくるのだそうです。

そして容姿や性格までも、その人生の目的達成のために決めて生まれてくるのだそうです。

性格もです!

これが何を意味するかお分かりですか?

つまり、

・目の前のどうしようもない人、

・自分の思い通りにならない、夫や子供、

・性格の悪い上司

 

それらは全て、その役割を全うするために、今世において、その性格になることを 

嫌われるのを覚悟であえて選んで生まれて来たということです。

元々、その方は、陰険な意地悪な性格の魂だったわけではありません。

今世において、あなたとの関わりにおいて、そのような決められた役回りをする必要に駆られ、その性格を選んで生まれてきたと言うことです。

私たちの身近にいる人と言うのは、一番ご縁が深く、大切にしなければならない人です。

自分が嫌だと感じる一面だけを見て判断するのではなく、

感謝の気持ちで、優しさと思いやりでお付き合いしたいものですね。

その方たちは、私たちに「感謝の心」の大切さを教えるために、

あえて悪役を演じてくださっている魂たちだからです。

最後に作家の三浦綾子さんのお話をご紹介します。 

三浦さんは学校の先生だったのですが、24歳の時に突然の高熱で入院。

その入院が13年にも及びます。

結核自体が、当時不治の病だったのですが、脊椎カリエスを併発。

動かせるのは首だけで、寝返りを打つことも、排泄物を自分で処理することも出来ない毎日。

それが4年も続きました。

その後も、ご本人が「病気のデパート」と呼んでいるぐらい、ありとあらゆる病魔が襲ってきました。

紫斑病、喉頭がん、三大痛い病といわれる帯状疱疹が顔に発症、鼻が潰れる。

「お岩さんみたい」と三浦さんが言うと、お手伝いの女性が「そんなこと言うと、お岩さんに失礼ですよ」と言ったという話をご本の中で書いていらっしゃいました。

そして大腸がん、パーキンソン病と続きます。

普通の人間だったら、絶望のふちに追いやられるのに、三浦さんはいつも明るく、ユーモアに溢(あふ)れていたそうです。

「神様が何か思(おぼ)し召しが会って、私を病気にしたんだと思います。

神様にひいきにされていると思うこともあります。

特別に目をかけられ、特別に任務を与えられたと・・・。

いい気なもんですねぇ(笑)」

人間の精神は、どこまでも闇に行ってしまうこともあるけれど、何かきっかけさえあれば、反転しどこまでも高みに行くこともできるのですね。 

皆さんがご自分の内に居らっしゃる神さまに気付き、お幸せになれますように。

 




2023年7月27日木曜日

3135「死を超えて明かされる秘密」2023.7.27

 今回は「いっぷくからありがとう」さんの2023年07月14日の記事を紹介します。


「死を超えて明かされる秘密」


ブッダの前世の物語、ジャータカによれば、ブッダは29歳で修行に発ち、35歳で悟りを開きました。

インドには古くから、命あるものは生まれ変わりを繰り返すという「輪廻」の思想があります。 

仏教を伝えた人々は、ブッダは無限とも言えるような過去から生まれ変わりを繰り返し、

その中で善業を積んできたから、最終的に悟りを開くことができたと考えました。 

このブッダの過去世での善業を伝える物語を集めたのが、「ジャータカ」です。 

ブッダはかつて2つの重要な法則を私たちに教えてくださいました。

・因果の法則

・縁起の法則



因果の法則(カルマの法則)とは、すべての物事には必ず原因と結果があり、すべてはその原因と結果の連鎖で成り立っているというものです。

これは私たち人間の生活や人生の話だけではなく、動物や植物といった生命全て、地球そのものが、この因果の法則によって成り立っていると言われます。

縁起の法則では、私たちの生まれてから死ぬまでに起こってくる全ての出来事は、生きている私たちの意思や努力で変えられるものではなく、既に生まれてくる前に決めたストーリーの通り、決まっている。

そしてこの人生ストーリーは私たち自身と、神様で相談して決めてくるのだそうです。

この因果の法則は私たちの宇宙では、ブッダの説いたとおり絶対的な法則ですから、私たちのこの人生ストーリーも、この法則から外れるものではありません。

神様から私たちの魂が枝分かれして宇宙空間に旅立ってから、今までに生み出した 因(カルマ・・良い意味でも悪い意味でも)によって、私たちは結果を受け取るわけですから、 

人生ストーリーの中で起こる色々な出来事も、この因による結果の出来事が組み込まれることになります。

例えば、

・貧しい人に施しをしたことがあったので、困った時に助けが現れる・・

・困っている人を見て、見て見ぬふりをして逃げてしまったので、

 大切な時に物事の遅延が重なり、なかなかことがうまく運ばない

など・・(本当はこのように単純には起こりませんが)

 

この因果の法則は、言いかえると宇宙の法則

与えたものが、受け取るもの

と言うことです。

・温かい言葉を投げかければ、温かな言葉をかけられます。

・笑顔を向ければ笑顔が帰ってきます。

・親切にすれば、親切にされます。

・傲慢な態度を取れば、傲慢な態度で返されます。

因果の法則は決して私たちを苦しめるものではありません。

神様が、私たちを苦しめる法則など作らないからです。

この人生ストーリーをベストなタイミングを図り、起こしてくださっているのが神様や仏さま。

そしてこの地球において、そのストーリーを展開するために、色々な役割を演じてくださっているのが、友人・知人・家族たちとなります。 

様々な役目があります。

・親切な役

・憎まれ役

・味方、敵

・殺し役、殺され役

・運命を回転させる推進役

・親、兄弟、友人、同僚役

全部この因果の法則の「結果」部分の出来事を、私たちの人生という大舞台で一緒に演じてくださっています。

ブッダが縁起の法則で言うように、私たちの人生ストーリーは、寸分の狂いもなく決まっており、私たちは、その流れに身を任せるだけです。

 

ブッダの言うように、私たち生きている間の

・意思や努力

・必死なもがき

で変えられることは 0パーセントです。

変えられません。

ましては他人(子供や家族を含め)の人生を、私たちの自分勝手な価値観で変えさせようとすることなど不可能です。

因果の法則も、縁起の法則も、神様が決めた法則です。

つまり「慈悲や愛」に根ざしているということです。

神様と私たちが生まれてくる時に決めてきたシナリオは、私たちの魂の成長を目的に書かれていますから、愛そのものと言えます。

私たち生きている人間は、起こってくる出来事を 「あるがまま、ありのまま」に感謝して受取り、下手にもがいたり、変えようとは思わず、神様を純粋に信じて生きていれば、

それで良いようです。

難しいことはありません。

自然界に生きる、動物や植物たちと同じです。

私たち自身の決断も、行動も結論から言えば、もう決まっていることです。

私たちは神々の「愛」を信じ、「あるがまま、ありのまま」の流れに任せ、神々が織りなす愛と善を自分自身の役割として演じながら、味わい、理解するための経験をこの地球でさせていただいているのかもしれません。

 

因果の法則とは、盗んだから盗まれる。。と言うような単純な反応ではなく、様々な因が絡まりあって、結果を生むようです。

激しい結果を受け取ることで、一気に沢山の因の解消を図ることもあるようです。

(そのためには強い魂である必要がありますが)これも神様と相談して人生ストーリーに組み込まれます。 

そしてもう一つ大切なことがあります。

既に因果の法則の「因」を燃やしつくした方も居らっしゃるということです。

その場合、因果の法則の因に縛られることがありませんから、行動の自由度も増しますが、 

多くの場合は、既に高貴な魂となっていますから、自己犠牲的な、人類の成長に貢献するような出来事を人生ストーリーに組み込んで来られる方がいらっしゃると言うことです。

3.11の東日本大震災では多くの犠牲がありましたが、その方々の貴重な生命の犠牲をキッカケとして日本の集合意識は大きく目覚めました。 

神々の計画であった精神性の復活の時代が始まりました。

生きている人間からすると「死」と言うものは永遠の別れ、悲しいもの、忌み嫌うべきものと捉えがちですが、大きな永遠の生命の流れの視点から見れば、一つの通過点という意味になります。

悲しいことではありません。

また逢えるのですから。

ですがその分、生きている人々に大きなインパクトを与える出来事になります。

悲しい、苦しそうな、辛そうな死を迎えた人もそこには大きな意味があったということです。

決して偶然に、運悪く、バチが当たって死んだわけではありません。

それをきっかけに世の中の流れが変わったのかもしれません。

周りの人の心に何か変化が起こったかもしれません。

 

自然界を見れば、この自己犠牲的な死を選ぶ動物や植物は沢山います。

それは、その動物たちの集合意識が、個の生命よりも集合体としての全体の存続を選んだ時です。

決して自分が死に役になったからと不平・不満を言う者はいません。

人間も同じです。本当はそんな純粋な心を持っています。

人間の肉体の生体反応では頻繁にこのことが行われています。 

ある細胞が犠牲になることで、他を生かすようなことが沢山あります。

たとえ私たち残された者たちの顕在意識が、疑問、不満を持ったとしても、本当は潜在意識、次元の上のレベルの私たちの意識では納得しています。

それが最後の別れではないと知っているからです。

その出来事を通過することで、 

全体の調和と進化が測れることが分かっているのですから。

死別は大きな出来事です。

その隠された秘められた大切な、壮大な意味は神様しか分かりません。

ですが、神様は私たちを見捨てません。

裏切りません。愛そのものです。

残された私たちは、今 目の前の人、事を大切に、誠実に生きることで、亡くなった大切な人たちと、死を乗り越えてまた笑顔で会えることでしょう。

そして秘められた秘密は、死を超えて、その再会の時にきっと明らかにされることでしょう。


 

2023年7月26日水曜日

3134「消毒カタストロフの新しい輪廻がまたも始まり」2023.7.26

 今回はIn Deepさんの2023年7月13日の記事を紹介します。


「消毒カタストロフの新しい輪廻がまたも始まり」

 消毒カタストロフの新しい輪廻がまたも始まり - In Deep


この不健康習慣には終わりが見えない

2020年にコロナのパンデミックが始まった時、最初に「参った」と思ったのは、

「異常な殺菌、消毒《運動》が日本中で巻き起こったこと」でした。今でも続いています。

もともと、コロナの前から、このブログでは、現代の人間を「弱く」している原因のひとつに「衛生的すぎる日常がある」ということを書かせていただくことがありました。

最初に書いたのは、7年くらい前の以下の記事でしょうか。

(記事) 数百万の「無菌室」が導く崩壊 : 「微生物との共生を拒否した日本人」たちが創り出す未来の社会は In Deep 2016年12月13日

 

この記事の後半のほうに私は以下のように書いています。

2016年12月13日のブログ記事より

この数十年の世界は、「菌という存在はすべて殺させばいい」という概念で突き進んできました。

しかし、それは間違っていることが今は明白になっています。

それでも、今でも、たとえば、風邪が流行する時は、

「うがい、手洗いをしましょう」となります。

具体的な方法を書かずに「うがい、手洗いをしましょう」と言われれば、中には、

「消毒作用のあるうがい薬で毎日うがいをする人」

だとか、

「執拗に石鹸や消毒剤で手を洗う」

人なども出てくるかもしれません。

それは結果として、「喉の大事な常在菌を殺してしまい」、あるいは「手についている常在菌を殺してしまう」ということにつながります。

どのくらい常在菌が「死んで」、どのくらい復活しないかといいますと、ひとつのページによれば、以下のようにあります。

> 石鹸やボディーソープを使うと、90%常在菌が流れ落ちるといわれています。若年層は12時間程度で再び常在菌が元通りになりますが、中高年では20時間と長い時間がかかります。

> 手は体に比べると常在菌の回復が早いのですが、界面活性剤配合の石鹸をたびたび使うことで常在菌が大幅に減少してしまうのです。  indeep.jp

 

この数年後、コロナの世となり、「執拗に石鹸や消毒剤で手を洗う」という光景は日常になり、そして、今に至っては、「コロナも何も関係なく、すべての風邪とか感染症に同じことを進めている」始末です。

最近も、「ヘルパンギーナ予防には、次亜塩素酸ナトリウムで消毒するのが有効」という長野県の報道を見ました。

「ヘルパンギーナ」感染急拡大 予防ポイント「アルコールは効かない」「次亜塩素酸ナトリウムで消毒を」 (2023/07/12)

 

次亜塩素酸ナトリウムというのは、つまりハイターのことです。

こんなのを消毒用に毎日毎日使っていれば、消毒する人たちの手や肺(必ず吸入してしまうため)は影響を受け続けるわけですし、何より、それが赤ちゃんの肌とかに頻繁にふれるとなると、あるいは、必ず吸入するという前提からは、

「発達中の赤ちゃんの皮膚常在菌や、口腔常在菌、そして腸内細菌環境がメチャクチャになってしまう可能性がある」と思います。

思いだしますのは、コロナの流行が始まった 2020年の春には、「コロナ対策として、第四級アンモニウム塩での手指の消毒が有効」とさえ報じられていました。以下は、2020年4月の報道です。

> …消毒効果が分かったのは界面活性剤のほか、塩酸や食塩水を専用機器で電気分解して作る「次亜塩素酸水」とウエットティッシュに含まれる「第4級アンモニウム塩」。いずれもドアノブなど物品の消毒に有効で、第4級アンモニウム塩は手指にも使える。 (時事通信 2020/04/15)

 

これらのような報道を見ていまして、「どうなっちゃうんだ、この世の中」という気もしていました。

あるいは、コロナが始まった頃に赤ちゃんだった子どもたち、つまり現在、3歳とか 4歳とかの子どもたちの間で、感染症などを含めた病気の拡大が止まらない理由もこのあたりにもあるのではないかと感じます。

消毒、消毒の繰り返しによって、あらゆる面で「弱く」なってしまった。

 

まあ、もっとも、何らかの感染症が流行しているときには、

「環境中の何もかもが、そのウイルス等で満ちている」

わけですので、この観点からでも、「一時的に手指を消毒してどうする」とか「一時的にドアノブやタオルを消毒してどうする」という、特に難しく考えなくとも誰にでもわかる理屈があります。

 

自由自在に環境を駆け巡るウイルスへの暴露を「防ぐ」?

たとえば、先ほどの長野県の報道では、「ヘルパンギーナ」という、まあ、本来ワイワイと騒ぐようなものではない夏風邪ですが (しかも、将来的な免疫の観点からは、おそらく赤ちゃんが感染したほうがいいもの)、原因ウイルスはいろいろとあるようですけれど、最近の論文を参考に、代表的な原因ウイルスのひとつを「エンテロウイルス」としてみます。

以下は、論文からの部分的な抜粋です。

2023年5月の論文「ヘルパンギーナ」より

…エンテロウイルスは、エンベロープを持たない小型の単一プラス鎖 RNA ウイルスだ。それらは、広い pH 範囲で生存することができ、50℃ までの温度でも感染力を保持する。

これらの特性により、それらは環境中で比較的長期間生存することができる。人間はこれらのウイルスの唯一の自然宿主だ。

…エンテロウイルスは通常、糞口経路を介して広がる。さらに、感染した唾液、呼吸器の飛沫の摂取、または小胞からの液体との直接接触によっても感染が起こる可能性がある。

潜伏期間は3日から5日。無症状の患者でもウイルスの排出が起こる可能性がある。呼吸器でのウイルス排出は最大 3週間、便中では最大 8週間持続する可能性がある。

ncbi.nlm.nih.gov

 

環境中で比較的長期間生存することができて、「便中では最大 8週間持続する」ようなわりと強靭なウイルスであり、それがこれだけさまざまな感染経路を持っているというようなものに対して、 

「予防する」 

という観念を持つことは不思議だと思わざるを得ません。

というか、その子の近い将来のことを考えれば、「感染・発症が正しい」道のりだと思います。夏風邪は、熱も 38℃台くらいまでしか上がらないということで、赤ちゃんの 38℃は、明らかに微熱です。

過去記事「子どもがみんな解熱剤でやられてしまう」に、米シアトル小児病院ウェブサイトの「発熱 - 俗説と事実」から抜粋していますが、冒頭に以下のように書かれています。

(シアトル小児病院ウェブサイトより)

> 俗説 すべての発熱は子どもにとって悪いものだ。

> 事実 発熱は体の免疫システムをオンにします。それらは体が感染と戦うのを助けています。 37.8° ~ 40°C の通常の発熱は、病気の子どもにとっては良いことなのです。

さらには、

> 実際には、微熱は 37.8° ~ 39° C のことです。

ともあります。

この「子どもの熱」の観念については、親の方々は大いに勉強するべきだと思います。

解熱剤などの間違った使い方により取り返しのつかない結果を及ぼす可能性があるからです。

さきほどのブログ記事に、日本小児科学会理事会の「インフルエンザ脳炎・脳症における解熱剤の影響について」という文書を掲載していますが、測らずも、そこに示されている数値からは、「脳症で死亡した子どものほとんど(8割)が解熱剤によるもの」だと読めるのです。

お子さまが発熱すると心配になるのはとてもわかります。

しかし、現代医療の「 38.5℃を超えたら解熱剤を」という方法論自体が間違いであるかもしれないことも示されているのです。

(記事) 熱を下げてはいけない : 感染症の治癒メカニズムが人体で発動するのは「体温が《38.5℃以上》に上がったときのみ」であることが中国科学院の研究で判明

 In Deep 2019年1月19日

 

無理に熱を下げてはいけないのは、大人でも同じだと思います。高熱できちんとウイルスが死滅していない状態により、単なる風邪が「長く続く風邪」に変貌しやすくなります。

ともかく、先ほどのシアトル小児科の「 39℃までは微熱です」という言葉は至高だと思います。 

ところで…。先ほどの「ヘルパンギーナ」という論文に以下の記述がありました。

> 小胞からの液体との直接接触によっても感染が起こる可能性がある。

 

「小胞からの液体との直接接触?」とやや不思議な感じがしました。普通、「小胞」だけの表現ですと、「細胞内にある膜に包まれた袋状の構造で、細胞中に物質を貯蔵したり、細胞内外に物質を輸送するために用いられる (Wikipedia)」という説明であり、この作用は、自らの体内のみでのものだと思います。

「直接接触によって感染」というのが、外部への感染のことを示しているのだとすると、エクソソーム的なことなんですかね。

エクソソームは、日本語だと「細胞外」の「小胞」ということになり、エクソソームは、最近、記事にしたりしましたが、いろんなものを相互に周囲に伝えます。

この解釈はともかく、考えてみれば、ヘルパンギーナの原因となるうちのひとつのエンテロウイルスもまたエクソソーム等により外部に放出されている可能性を考えますと、もう、環境中は、どこもかしこも、そのウイルスだらけではないかと想像できます。

「その感染を予防する?」

という思いがさらに強くなります。

予防 (暴露を防ぐこと)は無理です。

そうじゃなく、感染しても健全に病気を乗り切る「強い身体」が最も重要で、そして、「強い免疫 (感染しないという意味ではなく)」が必要だと思います。

病気が流行している! と、メディアの言う通りに、部屋中をハイターとか第四級アンモニウム塩入りの消毒剤で磨き上げてしまえば、そりゃ、赤ちゃんの身体も免疫も弱くなります。

なにより「絶対に吸入される」という観点から、赤ちゃんの腸内細菌環境にも悪いはずです。以下は、アメリカの医療サイトの「殺菌能力のある洗浄剤は口腔微生物を殺してしまう」として、警告していたものを取り上げました。

(記事) 全身の健康を守るためには「殺菌のためのうがいや殺菌のための歯みがきをしてはいけない」 In Deep 2019年12月27日

 

口内細菌環境の不均衡が、結果的に「腸内細菌環境への悪影響につながる」ことが書かれています。

現代の日本の生活は「普通でも清潔すぎる」のですから、それ以上何かをするのは狂気じみています。

むしろ、汚くするほうがいいです。

私なんか、部屋の中に庭の土とか放り込んでますからね(それはやめろ)。

実際、抗菌製品などをはじめとする「衛生製品の売り上げ」が著しく増加した 1980年代から、子どものアレルギーの増加は指数関数的といっていい増え方をしています。

日本におけるアレルギー疾患の患者の推移

 


日本健康増進支援機構

 

大人のアレルギーも増えていますけれど、子どものほうが抗菌剤の影響を受けやすいです。以下の記事では、過剰な衛生がもたらす事態について書いています。大げさなタイトルですが、長い目で見ると大げさでもないです。基本的な常在細菌を欠いた状態では、子どもは健全に成長できません。

(記事) 過剰な消毒がどのように小さな子たちを殺していくか

 In Deep 2021年10月21日

 

過剰な衛生が拡大すればするほど、子どもたちの病気への防御が弱くなり、何より身体そのものが弱くなっていく。

そして、今だとヘルパンギーナということになりますが、「また次の感染症が流行した場合」、おそらく、また過剰な消毒、殺菌が始まる。 (今は、免疫抑制の観点から、どんな病気でも大流行しやすい状況下にあります)

その繰り返しの中で、時間や年数の経過と共に、子どもたちの状態や、感染症の状況の事態は悪化していく。

今はその「永遠の輪廻の渦中」にあるわけで、気づいたお母さんだけでも、輪廻を断ち切る、すなわち過剰な消毒の中止を実行してほしいと思います。

くどいようですが、日本の今の生活は現状でも清潔なのですから、それ以上何も必要はないはずです。



2023年7月25日火曜日

3133「神さまと繋がること」2023.7.25

  今回は「いっぷくからありがとう」さんの2023年07月13日の記事を紹介します。


「神さまと繋がること」


この夜明け前の一番暗い時、ヨハネの黙示録の中で示されている、

第7のラッパの音が鳴り響く世の中で生きていて 一番心強いことは、

やはり神様とともに生きることではないでしょうか。 

神様と生きる、そうは言っても、ピンとこない方も多いかもしれません。 

ですが、もともと私たちは、神さまから魂の一部を頂いて生まれてきました。 

元春日大社宮司で、高名な形成外科医であった葉室頼昭さんのご著書を基にして書きたいと思います。 

はじめのはじめ、至高の神の意志がありました。 

神さまは自分のご意思を実行に移すために、150億年前、ビッグバンを起こし、全てが始まりました。 

古事記によれば宇宙で一番はじめに現れた神は、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)です。

ですが、すぐにお隠れになりました。

その後まもなく現れたのが 

・高御産巣日神(たかみむすひのかみ)

・神産巣日神(かみむすひのかみ)

やはり同じようにすぐに姿を隠してしまいました。

この3柱の神を造化三神(ぞうけさんしん)と呼びます。

むすひのかみ達は、以前記事にも書きましたが

量子力学で言われる「弱い力」、つまり、中間子、素粒子を結びつける力です。 

日本の湯川博士が発見しました。 

この力が存在したために、原始ができ、分子になり、物質が生まれました。



つまり、この宇宙に存在する物すべてに、原子よりももっと小さなレベルで、神々が宿っているということになります。 

もちろん私たちの中にも至高の神さまがいらっしゃいます。 

私たちの考えていること、過去、現在、未来、全て見渡して、私たちとともにいらしてくれます。

葉室元宮司が仰るには、神さまの意図、つまり至高の神が宇宙を創造した目的は 

外側から、神さま自身の 真・善・美を見て味わい、知ること。 

内側からでは、自分自身を見ること、知ること、感じることができないからです。 

そのため、宇宙神から頂いた、魂、生命を使い、枝分かれした生命体たちは、様々なことを経験し、味わい、知ります。 

その経験、知識を集めて、再び私たちは、宇宙神の元に戻ります。 

ですから、私たちが経験すること感じること、思うこと・・

それに善悪はありません。

全てが経験として蓄積されるからです。 

 

ですから私たちは、人の行動、言葉の一面だけを切り取り、受け取って、良い、悪い のジャッジをすることはできません。 

その経験も、宇宙・創造神にとっては必要な経験だからです。 

色んな宇宙、星々、そして3次元、4次元、5次元・・ いろんな次元で、宇宙神から生み出された沢山の魂たちが経験を積んでいます。 

ですが、その中でも、地球と言う私たちの惑星、それも3次元の世界は、生まれ変わり、つまり魂たちが経験するために、肉体をまとい、生まれてくる場所として、 大変人気が高く、倍率が高いようです。 

何故なら私たちには 肉体をまとっている間、感情を持つことができるからです。 

この地球は、「宇宙一感情レベルが高い星」なのだそうです。 

感情と言うのは、対象に対して抱く気持ちのこと。 

喜び、悲しみ、怒り、諦め、驚き、嫌悪、恐怖など。 

また周りの人々の心に

・寄り添う力、

・感じ取る力

・同じ気持ちを味わう力

つまり共感力も、この感情があるからです。 

人生80年、生きていると様々な出来事が起こります。(自分で生まれる前に計画してきたことです) 

それらを経験するたびに、私たちの感情が大きく揺さぶられます。

私の人生、どちらかと言えば、辛いこと、悲しいこと、苦しいことが多かった。 

そう思う方もいらっしゃるかもしれません。 

ですが、その経験をしてきたうえでの今現在の私たちです。 

経験値から言えば、今日の私は、過去一番最高の私です。  

その経験も、生まれてこなければできませんでした。

辛く苦しみの暗闇の中で、出会った、誰かのほんの小さな優しさ、温かさ、思いやり 

心に沁みませんでしたか? 

苦しんだ経験があるから、同じ苦しみの中にいる人たちの心が分かるようになったのではないですか? 

それって、魂にとったら、大飛躍です。 

輝きがぐんと増しました。

※その経験を求めて、宇宙中から生命体が集まります。 

本当の優しさは、その何倍もの苦しみや悲しみを乗り越えてきたからこそ、身に付いたものではなかったでしょうか? 

それとも今の苦しい環境を、人のせいにして、そこから逃れたいがゆえに、憎み、ののしり、恨み続けるのでしょうか? 

私たちの内にいらっしゃり、常に一緒に歩んでくださっている神さまが望むことは、

私たち人間たちが、いろんな経験を通じ 

・素直な心で

・互いを思いやり、助けいあい、

・お互いさま、お陰さまの気持ちで仲良く笑顔で暮らしていく   

そんな身近で平凡なことではないでしょうか。

それこそが、神々が私たち人間に、一番望んでいらっしゃる心ではないかと思うのです。 

だからこそ、宇宙神は、私たちの心の浄化を一番の喜びとされるのではないかと思います。 

私たちの心の霧が晴れ、神々しい光が差し込んだ時、宇宙神は、小躍りして喜んでくださると思います。 

自分の周りに居てくれた人たち、家族、友人、同僚、そんな人たちに感謝と、祈りにも似た気持ちで接することができれば、神々は喜び、今度はそこで、その場において私たちと、神々の 美しいエネルギー交換がなされることでしょう。 

 

その時、私たちはきっと気付くはずです。  

・私が好きな人も

・私が嫌いな人も

・私を好きな人も

・私を嫌いな人も

みんな、みんな大切な人だったと。

かけがえのない人だったと。 

溢れる感謝の気持ちと共に。

私たちは、人の 嫉妬、やっかみ、悪意には鈍感でも構いません 

ですが、人の優しさ、温かさ、思いやり、愛情には敏感でありたいものです。 

なぜなら、そこには 必ず神さまがいらっしゃるからです。 

心の浄化が始まった時、神々の喜びとともに、大いなる幸せも続々と現れることでしょう。

何故なら、人の心の浄化こそが、神々のなさる最大の奇跡だからです。

 

2023年7月24日月曜日

3132「究極の選択」2023.7.24

 今回は「いっぷくからありがとう」さんの2023年07月12日の記事を紹介します。


「究極の選択」


今日は神様から示された究極の選択についてです。

ブッダによれば、私たちの悩み事、苦難の多くの原因は、自分に起こってきた出来事を

・受け入れたくない

・認めたくない

という気持ちから、抵抗し、逃げ出し、そしてそれができない、無駄だとわかると

・不平不満、愚痴、文句

を言い、ますます人生を暗くしてしまうことに起因しているようです。

  

ですが、本当の真実は 

・その出来事は神様が起こしてくださったことであり

・その目的は、その出来事を通じ、私たちの魂を磨くため

・そしてますます幸せな段階へと、私たちを進ませるためのもの 

そういうものだということです。 

すべては、その出来事を、 

・認め

・受け入れ

・その新たな環境の中(おかれた場所)で、

 小さな幸せを見つけ、

・笑顔で感謝の気持ちをもつこと 

そうした途端、周りの環境は、一切変化がないのに、一瞬にして、神々に祝福され、

天国に住む者に変化します。 

小林正観さんのお子様、慶子ちゃん。 

生まれながらに心臓に穴があき、脳にも障害を持って生まれたお子様のお話をお読みください。

<引用開始>

 

正観さんは、変わった紹介方法すると、 

・ブッダの弟子

・そして空海の弟子

・プレアデス星団から地球に来ました 

そのような人です。 

ですが、もう亡くなってしまいました。

その正観さんは、30歳で結婚し、3年目にして、やっと待ち望んだお子さんが生まれたそうです。

待ち望んだ子ということで、お名前は「慶子」と付けました。

ですが、知的障害と、染色体異常であったため、筋力が、人の半分しかありませんでした。 

その娘さんについて、正観さんが次のように書いています。

彼女は、普通の子供よりも筋力が足りないため、早く走ることができません。 

運動会の徒競争に出ると,1位はおろか、2位になることも、3位になることもありません。

いつも「ビリ」でした。

忘れもしません。彼女が小学校6年のときです。

運動会の前に、足を捻挫してしまった友だちがいました。 

長女は、その友だちと一緒に走ることになっていたため、友だちには悪いのですが・・・・

「はじめてビリじゃないかも知れない」と、妻は期待していたようです。

運動会を終え、妻はいつも以上にニコニコしながら帰ってきました。

長女がビリから抜け出したのかと思いきや、「今回も、やはりビリだった」というのです。

ところが妻は、今回もビリだったことを嘆くどころか、

ニコニコと嬉しそうにしていました。

徒競争が始まると、長女は、足を捻挫した友だちのことを何度も振り返り、気にかけながら走っていたそうです。

自分がゴールすることよりも、自分がビリから抜け出すことよりも,ケガをした友だちのことが心配だったのでしょう。

友だちは足をかばうあまり、転んでしまいました。 

すると長女は走るのをやめ、友だちのもとに駆け寄り、手を引き、起き上がらせ、2人で一緒に走り出したそうです。

2人の姿を見て、生徒も,父兄も立ち上がり、2人に大きな声援を送りました。

そして、いよいよゴールのとき、長女は、友だちの肩をポンと押して、自分より先に友だちをゴールさせたというのです。

この話を聞いたとき、私は気がつきました。

人生の目的は競い合ったり、比べたり、争ったりするものでも、努力したり、頑張ったりして「1位になる」ためにあるのではない。

人生の目的は、「喜ばれる存在になることである」私はこのことを、長女に教わりました。

そして娘は、そのことを教えてくれるために、私たち夫婦の子供になったのだと、妻の話を聞き終え、私は そう気がついたのです。

<引用終了>

 

さて究極の選択はここからです。

正観さんご夫婦が50歳の頃、この慶子ちゃんが生まれて 15年位した頃、お二人でこんな会話があったそうです。

ひとつは、もし神さまが、白い粒でお薬のようなものを差し出して、夫婦二人で決めなさいと 言われたとします。

この粒を飲めば この障害のある子が治り、普通の子のように、健康で元気になることが出来る。 

そう言われたら、そのお薬を飲みますか?  

どうしますか?  

と話したそうです。

すると奥さまは はっきりと「今のままがいい」と答えられたそうです。

もうひとつは、3人目の子どもができたとして、事前に知恵遅れであることが分かったとします。 

「それでも産みますか?」

 という質問、選択です。

奥さまは即答した と言います。

「そのまま 喜んで産む」と

そしてお二人して、この慶子ちゃんが、15年経って 本当に可愛いと思っていることが

心の底から分かったそうです。

生まれた直後は大変 悲しい思いなど、さまざまあったけれど、結局全ては、15年経って見れば「ニュートラル」であったと。 

良いも悪いもなかったのだと。

障害を持って生まれたのが悪いわけでもなく、それを受け入れて、不平不満、愚痴を言わず、

一緒に暮らし、時を経て見れば、決してそれは悪いことではなく、むしろ素晴らしい体験をさせてくれた、と言うことが解ったのだそうです。

 

「人生の読み替え 遅くない」全ての現象はニュートラルだから、 必ず、そしていつでも、

不平不満、愚痴を言うことを止め、静かにそのことに感謝する「読み替え」は必ず出来る。

正観さん そして奥さま。 

慶子ちゃんのことが可愛くて可愛くて仕方ないと、仰います。

幸福も不幸も 自分が決めること。 

そのことを、この慶子ちゃんが教えてくれたのだそうです。

もし、貴方が同じ立場だったら、どちらを選択しますか?

今の目の前の苦労が一気に無くなって、安楽に暮らせる薬を飲みますか?

私たちは、生まれる前に、今世で、 

・いつ何が起きるか、

・いつ誰と出会い、いつ分かれるか

・健康な身体か、病弱な身体かを選び 

神さまと相談し、承諾を得て、生まれてきました。 

天国で神さまと 設定した、人生で起こる全ての出来事は、私たちの魂を、より進化させ、

神さまに近付くため という目的を持っています。 

ですので、全ての出来事に意味があります。

全ての出来事が、寸分の狂いもなく、起きるように、神さまがはからってくれています。

ですので、私たちは、その流れに乗ってさえいれば、 

・ああ、しなければならない

・もっと努力しなければならない

そんなことを全く考えずとも、ただ、目の前に起きて来たことに、感謝し、愛を込めて、行うだけで流れに乗ることができます。 

なぜなら、神さまのみわざは、どの人にも平等に降り注いでいるのですが、そのみわざ、神さまの祝福が現れるには、人間側の「感謝の心」がどうしても必要だからです。

ですので、人生に現れてくる、様々な出来事に「感謝の心」で、接している限り、私たちは、揉まれ揉まれながらも、魂の輝きが増し、結局は幸せな岸辺に、たどり着くようになっています。 

でも、それでも、 あなたは今の目の前の苦労が一気に無くなって、安楽に暮らせる薬を飲みますか?


 

2023年7月23日日曜日

3131「素直になれたら」2023.7.23

 今回は「いっぷくからありがとう」さんの2023年07月11日の記事を紹介します。


「素直になれたら」


今日のお話は、元伊勢道場長、中山靖雄三のお話をご紹介します。

障害のある弟さんを持った、お兄さんのお話です。

障害を持って生まれてくることも、全て生まれる前に、

・ある目的を立て

・その目的を達成するために計画を立て

・この世に出てから関係することになる人たちの承諾を得て

・神様にその計画を承認していただき

・生まれる瞬間の星の影響などを考慮して 

生まれて来るようです。 

綿密な計画です。

特に障害を引き受けて生まれてくることは、進化の進んだ魂にしかできません。 

そして本人だけでなく、周りにも大きな波紋を投げかけます。 

ですが、その波紋は、魂の輝きを増すための大きな大きな試練の波紋です。 

当人たちが、天に帰った時、その大きな意味が明かされることでしょう。 

では、今日のお話を始めます。

<引用開始> 引用元 


修養団で三泊四日の研修を終えられた最後の日に、

「帰ったら弟にごめんなさいって、お詫びをしたいと思います」

と言ってくださった方がおられました。

「私の弟は耳が聞こえません。

そしてしゃべることができません。

その弟と、おふくろと私と三人暮らしなんです。

親父が早く死んで、私が父親代わりで今まできました。

おふくろや弟を大事にしてやらなきゃいけないってことは、いやというほどわかっていましたが、なかなかできませんでした。

今はおふくろに、『母ちゃんは弟のことが心配なんだろう?俺に安心して任せておきなさい』って言いたい気持ちがしています。

だけど、家に帰っておふくろの顔を見たら、照れくさくてとうていそんなことは言えないような気がします。

ただ今日は家に帰って、弟を一回抱きしめて、言っても聞こえませんが、今までごめんって、お詫びをしたいと思います」

そう言われたのです。

それを聞いて、「明日の朝、電話を入れるから話を聞かせてね。絶対嘘つきにならんといてね」と言って別れました。

翌日、電話を入れると、私からの電話を待っていてくださったようでした。

「先生、やれました」そうおっしゃいました。

「ただいま」と帰ったら、弟が部屋にいた。

「謝ろう」と思ったのに、なんとなく体が動かない。

お兄ちゃんがいない間は、鬼のいぬ間でのびのびしていた弟も、お兄ちゃんが帰って来たら、また「やられる」と思ったのでしょう。

気配を察して、弟が慌てて遊び道具を片付けて、外に遊びに出かけようとしたのだそうです。

その時、弟の後ろ姿にだったから言えたのかもしれないけど、

「今までゴメンだったね」と言えたというのです。

今まで弟のせいで、自分がいじめられることもあり、心の底では悪いなと思いながらも、

やり場のない思いを幼い弟にぶつけてしまっていた。

言葉で抵抗できない、ものを言えない弟をいじめていたのだ、というのです。

それをお母さんはずっと見ていて、知ってはいても、お母さんもお兄ちゃんのつらい気持ちを思うと叱ることもできず、そんな兄を見守るしかなかったという家庭だったといいます。

弟に申し訳なかったと思っている今の気持ちを、なんとかわからせたいと思い、外へ飛び出した弟を追いかけた。

すると、弟が必死に走って逃げだすのです。

「逃げんでもいいぞ」と言っても、弟には聞こえない。

いくつめかの信号でやっと襟首を捕まえたのですが、逃げようとして七転八倒します。

なんとか、今の気持ちをわからせたいと思うけど、どうにもならない。

しかたがないから、襟首をぐっと引きずり寄せて、回れ右させてて、自分の体に押さえつけるように抱き寄せながら、「ごめんね、ごめんね」って、体をさすってみたのだそうです。

もがいていた弟も、いつもならボカボカってやられるのに変だな、と思ったのか、ほっと顔を上げたのだそうです。

その弟のなんとも言えない恐々とした表情を見た瞬間、あふれる涙を止めることができなかったといいます。

その流れだす涙が弟の顔にもポトリポトリと当たって、弟にも何かが伝わった。 

「先生、あいつが、何をやってくれたと思う?俺の首ったまに、パッとぶら下がって、

『あ~っ』って、声にならん声を一生懸命搾(しぼ)り出そうとするんだ。

もし、ものが言えたら『にいちゃん、こんな嬉しいことはないよ、ありがとう』

と言いたいんだろうなって思ったら、もうたまらなくて、みんながいる往来で

『ごめんな、ごめんな』の繰り返しでした」とおっしゃいました。

 

それから一緒に家に帰って、お風呂に入って、ご飯食べて、お母さんが布団を並べて敷いてくれたそうです。

いつもは必ず、布団を離して隅に持っていこうとする弟が、その日は並んだ布団にすぽっと入って、すやすやと寝ている。

「言うても聞こえんし、寝てるし、わからんと思ったけど、布団の上から『今までゴメンだったね、ゴメンだったね』って、もう一度、お詫びをさせてもらいました。

こんな思いが、いつまで続くかわからんけど、精一杯大事にしてやりたいなぁ。

そんな気持ちでいっぱいなんです」とおっしゃいました。

みなさん、いろんな条件があるでしょう。

それぞれの条件の中で、今を喜びに変えながら生きていくこと。

それが、世界を清めていくのです。 

発達障害のピアニスト 野田あすかさんがいらっしゃいます。 

22歳で発達障害とわかるまで、両親は自分たちを責め続けたそうです。

彼女が22歳の時、障害のパニックから自宅の2階から飛び降りて右足を粉砕骨折してしまいました。

その後遺症のため、現在でも杖がなければ歩くことができず、日常生活では車椅子が必要です。 

想像してみて下さい。

その時の彼女の心ご両親のお気持ち 

話を戻します。

このお兄さん。

さまざまな条件の中、素直になれなかったその方も、

初めてその人本来の本性(ほんせい)に立ち戻ったのですね。

そこに気づかなかったら、勝手な思いのままの性(しょう)でいってしまいます。

しかし、どんな人も、 

出来事を良し悪しにせず、その条件の中で喜びに出会うご縁をいただいているのだと

気がつきさえすれば、本性に立ちかえることができるのです。

人の本性はみな優しいのですから。

本性に立ちかえると、自分の心が安らげます。

大きな祈りの中で過ごせるものを、みんな生まれながらにして持っているのです。

<引用終了> 

 

みなさん、置かれた場所は異なります。

何の悩みも苦しみも葛藤もない環境の人も悲しみ苦しみの中にいらっしゃる方も、そして、いろんな条件の中で、今あるもの、与えられているものを見い出し、感謝して、花を咲かせようとする人もいます。

不平不満、呪いの言葉を口にする人もいます。

生きているうちに

・地獄に住む人

・天国に住む人と 

分かれてしまいます。 

ですが、きっと神さまは、私たちが生まれてくる時に、どんな環境の中でも喜びを見出し、みんな仲良く、感謝の心で過ごしてくるのですよ。。

 そう言って、送り出してくださったのだと思います。 

もうしばらくして、私たちが、再び天に戻った時、神さまの、悲しむお顔は、見たくないですね。 

笑顔でお会いしたいですね。

 

2023年7月22日土曜日

3130「感謝と自我」2023.7.22

 今回は「いっぷくからありがとう」さんの2023年07月10日の記事を紹介します。


「感謝と自我」


感謝の言葉、「ありがとう」、この言葉を絶えず使うことで、 

・ご自分に沢山の幸運が訪れ

・物事がスムーズに運び

・悪意あるものから守られる 

のだそうです。

この言葉の持つ霊的な波動は、英語の「サンキュー」などと異なり、独自の高い波動を持ち、日本特有のものなのだそうです。 

では、今日は、幸せになる方法を書いてみたいと思います。

ブッダの教えの真髄は、感謝の心、小林正観さんは、そう悟り、それを講演会で語ったのだそうです。 →参考元

それは、私たち日本人の心に根付いている、日本神道でも同じです。感謝の心です。 

ブッダの教えの根本は感謝すること、そう、お話した正観さんは

その日 ホテルに入って夜一人の時、何故か 止めどなく涙が溢れたのだそうです。

この涙はなんだろう?

正観さんらしく。 全ての行動を時間を巻き戻しながら点検したのだそうです。 

その結果、講演会でブッダの教えの基本は、感謝することと、お話したことを思い出しました。

それからです。

正観さんが、「ありがとう・感謝」の検証を始めたのは・・

正観さんは当時、年に数回、決まった日に宇宙から、人類にとって重要なメッセージを受け取っていたのですが、この講演会での波動・意識が宇宙に届いたんでしょう。 

だから宇宙から、その通りですよと涙が流れたらしいのです。

  

正観さんは、学生時代、霊的な巨人、高橋信次さんから、ブッダの弟子であった過去を教えてもらっていました。

ですので、現代において、ブッダの教えの真髄を世に広めるご縁があったのでしょう。 

また、小林正観さんから悟りを得た人と称された、波動の法則で有名な、足立育朗さんが講演会で、感謝することの波動的な意味を説明しておられました。

人間の自我と欲、自分だけは・・・という思いの波動、振動波は波が高く、大きい。

つまり低い。波動が粗い。

 

しかし、そこで感謝の心を起こすと、自我と欲の、山の波に対し、感謝の波は、逆の相、 

つまり、谷となって覆いかぶさるそうなのです。

つまり 山を谷で、相殺し、ゼロカウント、フラットな精妙な波に変えてしまう。 

感謝の心は。干渉波となって働く、という事ですと仰いました。

感謝の波動は、自我や欲望の、荒々しい波動に干渉して、精妙な波動にしてしまうと言うことです。

神さまの波動は、精妙(波の高さが小さく)で、振動数が非常に高い、そう言われています。 

ですから、

・自分だけは、、

・俺が俺が、

・私は私は、

・どうして私だけ、、、 

などの自我や欲望を持っていたとしても、例え波動の荒い心であったとしても、そこに感謝の気持ちが起きてくると、一瞬で神さまの波動に近づけると言うことです。 

これは、画期的なことです。

「ありがとう」 という言葉、これは言霊として、宇宙一のパワーがあると言われています。

その理由がここにあったのです。 

心が伴わなくとも。言葉だけでも、威力を発揮すると言われていますが、これに心まで伴ってくれば、どれほどのパワーを発揮するか、計り知れないものがあります。

感謝の思いが強ければ、自我だらけで、負の環境、苦しみの環境しか生み出さなかった心が、

波動の逆転現象を起こし、神々の波動に近付き、良きものを引き寄せ、天国のような美しい

環境を作り出すと言うことです。

感謝の心さえ持てれば、悪しき出来事に見えることさえ、一瞬で、その出来事を神さまからのプレゼントに変えてしまいます。 

もし 何に、どう感謝して良いのか、どうしてもわからない時は、ひとまず、ありがとうの言霊を繰り返してみてください。

  

口に出しても、心の中ででも構いません。 

感謝の心は、神さまの恩寵を、この世界に現実化する媒体です。 

感謝の心が、神さまの恩寵を現実化します。 

また過去にご縁のあった方々の お顔を思い出し、お一人、お一人にありがとうを投げかけてみてください。  

人の思いと言うのは時間と空間の制約を受けません。 

必ず、相手に届きます。

   

出会って下さった方は、良きも悪きも、全て私たちの生まれてきた目的を、遂行するのに必要な方々でした。 

生まれてくる前に、お互いに約束してきた方でした。

その方々にお一人お一人、感謝の言葉をかけてみてください。

そうすることで、今までの経験が、辛かった経験さえ、一瞬で、宝石の体験に変えてしまいます。 

過去を一瞬で、感謝の体験に変容できたのなら、今現在の環境に対しても、同じことができるはずです。 

過去・現在に関して、受け取る体験を全て、感謝の体験、ありがとうと言えるなら、もう未来には、幸せな出来事しか起きないことでしょう。

例え、同じ境遇に置かれても、そこを天国だと感じ、幸せを噛みしめ、神さまの心、感謝の心で満たされることでしょう。 

これが空海の説いた即身成仏の、本当の意味です。

空海は、悩み苦しむ私たちに、こう教えてくださいました。 

生きとし生けるもの、すべてに命があり、心がある。

そのことを忘れてはいけないよ。

すべては、一人一人の命の働きから始まるのだ。

 

難しく考えることはない。

素直に生きて、皆に感謝をしなさい。

そして、おのれの魂が喜ぶ生き方をしなさい。

さすれば、道は開くであろう。

是非、お試しください。

 

2023年7月21日金曜日

3129「欧米のいわゆるコロナ死のほとんどは「コロナ以外の死亡」だった」2023.7.21

 今回は「In Deep」さんの2023年7月19日に記事を紹介します。


「2020年の欧米のいわゆるコロナ死のほとんどは「コロナ以外の死亡」だったことが今にして認められている。しかし数字のカラクリは今も続いているようで」

 2020年の欧米のいわゆるコロナ死のほとんどは「コロナ以外の死亡」だったことが今にして認められている。しかし数字のカラクリは今も続いているようで - In Deep


提示される数字が、ときにすべて虚偽であるこの社会で

データや数値というのは常に「一種の操作」的な範疇のコントロール下にあるのだなあと最近つくづく思いますが、最近の RT が、米ニューヨークタイムズなどの記事を引用して、

「2020年のアメリカのコロナ死とされたものには、バイク事故の犠牲者や銃撃の犠牲者など無関係なものが大量に計上されており、実際のコロナ死は、公表された数字より大幅に少なかった」

として、ニューヨークタイムズ紙が、7月17日に、アメリカ疾病管理予防センター (CDC)のデータを引用して、新型コロナウイルス感染症による米国の死亡者の「 3分の1近くが実際には別の原因によるものであった」と認めたことを報じていました。これは後半で翻訳をご紹介します。

イタリアにいたっては、同国独自の調査により、2021年までの死亡者数を再計算したところ、

「コロナ死とされたうち、実際にコロナウイルスが原因で死亡したと考えられる人は、公表されていた数字の 2.9%だけ」だということも報じていました。

以下は、なつかしのコロナデータサイトですが、こういうことです。

イタリアのコロナ死者数の推移(現在は完全に更新停止)

 

最も多かったと思われるのは、基礎疾患を持つ高齢者の死亡、冬季でしたらインフルエンザによるもの(これも主に基礎疾患を持つ高齢者)、その他、さまざまな要因の死を、

「全部、コロナにしていた」ということが少しずつわかってきたということのようです。

  

アメリカの最新の「超過死亡数」に見るコントロール

しかし、それはそれとして、最初に書きました「統計の数値というのは常に操作の影響下にある」と感じたのは、最近の「アメリカの超過死亡」のグラフでした。

超過死亡に関しては、「タイ王国の超過死亡の増加は、2021年の後半から突如として始まった」ことについてのデータをこちらの記事に載せたことがあります。

2015年からのタイの超過死亡数の推移

 

この同じ統計サイトで、「アメリカの超過死亡の推移」を見て、最近の数字に驚いた次第です。

アメリカの超過死亡の増加は 2020年の第2四半期から始まりましたがが、2020年の分に関しては、先ほどのニューヨークタイムズからの引用のように、「その多くが別の要因の死」だったようですが、何にせよ、2020年からアメリカでは超過死亡が増加し続けました。

そして、以下のグラフでわかりますように、現在、つまり、

「今年 2023年の春から夏は、極端に過小死亡(超過死亡の逆)となっていた」

ことが示されているのですけれど、その数値が極端で…。

アメリカの2015年からの超過死亡の推移

 

この -17%という極端な過小死亡数は、これはこれで「一般的にはあり得ない数値」であり、そして、「この数字をあまり信じられない理由」として、

「アメリカでは、労働年齢の障害者申請数がここにきて増加している」からです。

つまり、(場合によっては永続的な)障害により労働に影響が出ている 16歳 - 64歳の労働年齢の人たちの障害申請数が急激に上昇しているのです。元ブラックロック社のエドワード・ダウドさんが投稿したものです。

以下の記事でもご紹介しています。

アメリカで障害で働くことができなくなった労働人口がここに来て急激に上昇 (2023/07/10) 

横に長いグラフですので、上の記事では部分的に示させていただいているのですが、全体を示しますと、以下のようになります。

なお、この FRED というのは、セントルイス連邦準備銀行が提供している Federal Reserved Economic Data (連邦準備制度の経済データ)の頭文字です。

16-64歳の障害を持つ労働者数の推移 (男性)

 

16-64歳の障害を持つ労働者数の推移 (女性)

 

新たに障害を申請する人の数は、むしろここにきて急激に増加している中で、先ほどのアメリカの超過死亡のデータのように「過剰死が激減している」というのは、ちょっと想定できない部分はあります。

この「障害申請」については、イギリスでも 2021年から急増しています。

以下は、英国政府の「英国障害者プロジェクト」という公式な数値からのグラフです。

2016年-2022年の英国の障害申請数の推移

 

この申請が認められるのは、「 3か月間、障害により日常生活または移動に影響を及ぼしている」ことと「少なくとも、 障害の影響が 9か月間以上続く可能性が高い」場合です。

そういう人たちが「若い労働年齢の間で増えている」のです。

アメリカでは、「若い世代 (0歳 - 54歳)のガン」も急増しています。CDC のデータをグラフにおこしたものが以下です。

2018年 – 2022年12月までの 0 – 54歳のガンによる死亡数の推移

 

このあたりから考えましても、先ほどのアメリカの 2023年第2四半期の極端な死亡率の「低下」の数値は、間違いでなければ、「意図」を感じます。

今は世界中で過剰死が報じられることが多く、以下のような記事でご紹介していますが、一般メディアも取り上げています。

そして、どのメディアも、

「過剰死が増加している原因はまったくわからない」としています。

(記事) オーストラリアの超過死亡率が「過去80年で最大」に。メディアは「不可解な現象だ」と述べる (あまり不可解ではないですが) 地球の記録 2023年3月10日

(記事) 2022年の英国の過剰死の拡大について、公式メディアは「専門家にも理由がまったくわからない」との見解 地球の記録 2023年5月20日

 

以下は、2023年までのイギリスの過剰死の推移です。

2019年から2023年までの英国の累積超過死亡数の推移

  

過剰死が増加している要因として、高齢化を理由に挙げる専門家が出てきたりしますが、2022年から突然高齢化が進んだのかよという話だったりもします。

まあ、ともかく、日本も含めて、今後、超過死亡についての数値もあやういものとなってくるのかもしません。何しろ今後の超過死亡数は、急増していくわけではないにしても、

「今後ずーっとこの状態が続く」可能性のほうが高いからです。

 

この社会では、私たちは常に間違った数字を提示されているという可能性を考えながら生きていく時代なのかもしれません。

ここから RTの報道をご紹介します。パンデミックの初期の欧米では、コロナが原因で死亡した人は、ごくわずかだったという話です。

この話に「偽陽性率の極めて高い PCR 検査」のことを組み合わせれば、パンデミック初期には実際にはコロナ死はほとんどなかったのかもしれないという可能性さえ想起されます。

以下の記事に、偽陽性に関しての 2020年のニューヨークタイムズの記事を取り上げています。

(記事) 「90%ほどの偽陽性」を生み出すPCR検査では「コロナ感染者を検出することはできない」ことがはっきりしている中で発令される準ロックダウンIn Deep 2021年1月7日

 

しかし今は 2020年とは違います。

今の世界は、接種キャンペーン後の免疫抑制下の世界であり、ADE を引き起こす感染増強抗体を多くの方々が持っている世界です。

現在、日本を含めて世界中でコロナが増加していると報告されていますが、状況はそのような意味で 2020年とは違います。今はさらに危険になっています。そして、免疫抑制と ADE に対しての対策は基本的に存在しません。 

________________________________________

米国の新型コロナウイルス感染症による死亡者は、3分の1以上が別の原因によるものだった – ニューヨーク・タイムズ

US Covid-19 deaths overcounted by nearly a third – New York Times RT 2023/07/18

米国ニューヨーク・タイムズ紙は 7月17日、アメリカ疾病管理予防センター (CDC)のデータを引用し、新型コロナウイルス感染症による米国の死亡者の 3分の 1近くが実際には別の原因によるものであると認めた。

NYタイムズは以下のように述べた。

「公式の新型コロナウイルス感染症による死亡者数は、おそらく誇張されている。なぜなら、根本的な死因ではなかったにもかかわらず、死亡時にウイルスに感染していた人も含まれているからである」

CDCのデータと「臨床感染症」誌に掲載された研究は、「最近の新型コロナウイルスによる公式死亡者のほぼ 3分の 1がこのカテゴリーに該当する (別の要因で死亡した)」という主張を裏付けている。

「新型コロナ陽性のマイルストーン」と題されたこの論文は、米国の全死因死亡率がパンデミック前のベースラインに戻ったと主張している。

同報道によれば、パンデミックの最悪期には全死因死亡率が通常よりも約 30%高かったが、そもそも新型コロナウイルスによる死亡が約 30%過大評価されていたことを認めれば、この数字はそれほど怖くないように響く。

この認めは、公式の死者数に対するいかなる疑問も、ソーシャルメディアやディスインフォ上の根拠のない噂によって生み出された単なる「陰謀論」にすぎないという、ニューヨークタイムズ紙やその他の米国の著名報道機関、ファクトチェッカー、そして医療顧問アンソニー・ファウチ氏自身の長年の主張と矛盾するものだ。

ニューヨークタイムズ紙は 2020年、当時のドナルド・トランプ大統領がパンデミックによる死者数が公式数字よりも「少ない」と示唆したことを激しく非難し、 「ほとんどの統計学者や公衆衛生専門家がトランプ氏の考えは間違っていると述べて鋳いる」と主張し、(コロナ死亡数の)数字は実際には「公式の記録よりはるかに高い」とさえ書いた。

ファウチ氏は特に、死者数が人為的に水増しされているという指摘は不当であると考え、2020年に NBC ニュースに対し「そのような事実があるという証拠はまったくない」と語った。

しかし一方で、コロナ死とされていた死亡には、バイク事故の犠牲者、銃撃の犠牲者、その他の無関係な死亡者が合計に追加されていることが判明している。

CDC は当時、患者がウイルス検査を受けていない場合でも新型コロナウイルス感染症を死因として列挙するよう医師に奨励していたにもかかわらず、公式の数字は実際の数字よりも少ないとさえ示唆した。

イタリアでは、2021年に独自の新型コロナウイルス感染症による死亡者数を再計算し、パンデミックによる死亡のうちウイルスのみが原因と考えられるのは「わずか 2.9%」であることが明らかになった。

残りは 1つか複数の慢性疾患を抱えている人たちが、ウイルスではなくこれらの併存疾患が患者の死亡の原因であるという主張がなされたが、事実調査担当者はすぐに反論した。

ワシントン・ポストのコラムニストでロックダウン支持者で著名なリアナ・ウェン氏は、1月に「医療界」が「新型コロナウイルス感染症による死亡者数と入院者数を過大評価している」ことを認め、2人の感染症専門家から新型コロナウイルス感染症の入院患者数は最大 90%も過大評価されていると告げられたと述べている。



2023年7月20日木曜日

3128「幸せの種」2023.7.20

今回は「いっぷくからありがとう」さんの2023年07月09日の記事を紹介します。


「幸せの種」


今日は「幸せは見つけるもの」というテーマで小林正観さんのお話をご紹介します。 

<転載開始> 転載元 


生れてからずっと目が見えない人は、 

「1秒でもいい、いや0.1秒でもいいから、親の顔を見てみたい」

「結婚した相手の顔を見てみたい」 

「子どもの顔を見てみたい」 

と思いながら生きているそうです。

私たちは、0.1秒どころか、生まれてこのかた、目が見えないことなどないにもかかわらず、

目が見えるということに対して、感謝することなどまずありません。

それどころか、 

・あれが欲しい

・これが欲しい

・あれをよこせ

・これをよこせ

と現状に対して不満ばかり口にしています。

私たちは小さい頃から、足りないものをリストアップして、

それを手にいれなければ幸せになれない、と教え込まれています。 

そのように洗脳されているのです。

それを、「夢と希望に満ちあふれた生活」といいます。

それに対して、私は「夢と希望もない生活」を送っています。

夢も希望もない代わりに、悩みも苦しみも煩悩(ぼんのう)もありません。

私は酒もタバコも麻雀も、娯楽といわれるものは何もしませんし、休みもほとんどありません。

「何が楽しくて生きているのですか?」と、ときどき尋ねられることがありますが、 

「ただ幸せをかみしめて」生きている。

「自分がいかに恵まれているか」 

「自分がいかに幸せか」 

「自分がいかにありがたい状況に生きているか」 

ということに気づいたら、「不平不満・愚痴・泣き言・悪口・文句」の

「五戒」など口から出てきません。

願いがかなったら、望んだものが手に入ったら、感謝する、というのは、 

本当の感謝ではありません。

何も要求することなく、不平不満を言うこともなく、いま目の前にあるものを、ありがたく味わう。

それこそが、本当の「感謝」なのです。

人は、自分がいかに幸せな状況のなかで生きているかに気がつきません。

海で泳いでる魚は、

海を見ることができません。

それで「自分も海をみてみたい」と思い、釣り人が垂れている釣り糸にガブリ!とかぶりつくのです。

すると海の上に引っ張り上げられる。

それで初めて、魚は海というものを見ることができるのです。

 

釣り上げられた魚が「私」なら、釣り上げた人とは「神さま」。

釣り上げられた状態は何かといえば、「事故、災難」。

海とは、「幸せ」そのものです。 

神さまに「幸せというものを見せてください」と言うと、神さまは「わかりました」と言って、災難や事故というものを起こして、私たちを釣り上げてくれます。

かぜをひいて、丸1日何も食べられなかったら、かぜが治ったときに食べた1杯のおかゆが、とてつもなくおいしく感じられるでしょう。

元気いっぱいで毎日おいしいごちそうばかり食べていたら、おかゆのおいしさは、なかなかわからないでしょう。

では、かぜで丸1日食べられなかったことは、はたして不幸なことだったのでしょうか?

そうとはいえないでしょう。

その体験があったから、おかゆのおいしさ(幸せ)を味わうことができたのです。 

私たちが「幸せ」を感じるためには、その前には一般的に「つらい、苦しい、大変」といわれる状況が起こるようです。

そういう構造になっている。

そのことに気づいたら、私たちは 

・つらいこと、

・苦しいこと、

・大変なこと 

に遭遇したときも、一喜一憂せずに、平静な心でいられるかもしれません。

<転載終了>

 

私は大分、正観さんが仰るような生き方をするようになりました。

無理して頑張るとかはしません。

人から頼まれるとか、自然の流れで、する羽目になってしまったことをするようにしています。

なぜならそれが神さまの意思であり、神さまが引いて下さった良きレールだと思うからです。

流れに身を任せています。

そして、ちょっとしたことに「小さな幸せ」を見つけようと思っています。

でも世の中には、ちょっと自分にイヤなことがあっただけで「最悪だ!」って言う生き方を

する方もいらっしゃいます。

・幸せの種を見つけるのが上手で、いつも感謝の人生を送る人

・足りないもの、悪いところを見つけるのが上手で、いつも不平不満を口にする人

たったこの方向性の違いだけで、幸福度がだいぶ異なります。

天国か地獄かです。

同じような境遇、出来事に囲まれていても感謝の人の周りは、光が溢れ笑顔に囲まれていることでしょう。

不平不満の人の周りは、同じように暗い顔をした人に囲まれていることでしょう。

人生が楽しくない人、うまくいってない人は、もしかしたら、幸せも成功も、「見つけるもの」だとは思っていなくて、「与えられる」か「偶然入ってくる」ものだと思っているのかもしれません。

チャンスも「来るもの」だと思っていて、「見つけるもの」だと思っていないのかもしれません。

ですが、感謝して笑顔で生きている方には、きっと神さまの恵みもふんだんに現われることでしょう。 

今世の中は、「コロナウイルス」などの過剰な報道で、どんどん、どんどん人々の心が、不安と恐怖に向けられて行っています。

また、

・病気やケガ

・貧困

・リストラ

・介護

など、非常に困難な状況に置かれている方も居るかもしれません。 

ですが、どうぞ安心なさってください。

勇気を持ってください。

神々を信じ、感謝の心で生きている人を神様は決して見捨てません。 

見ていらっしゃいます。 

今は世の中の変動の時期ではありますが、それは、良き世を作るための変化です。 

 

今の状況も、神様が私たちに必要だからこそ、その環境の中に置いてくださいました。

その深い理由を、生きている最中は知る故はありません。 

ですが、ご自分の内にいらっしゃる神さまをどうぞ、信じてください。 

目には見えなくとも、本当にいらっしゃいます。

心を澄ましていれば、いつかお声を聞くこともできるでしょう。 

永遠に続く私たちの魂の道筋の中で、私たちは、ほんの一瞬、地球に立ち寄り、経験をさせていただいています。 

それが終われば、再び自由度の低い肉体を脱ぎ魂の世界に帰っていきます。 

私たちが、今ここ、置かれた環境の中でできることは、精一杯自分なりの、花を咲かせることだけです。 

その花は、人によって様々です。

道端に咲くような可憐な花も、美しい大輪の花もあるでしょう。 

ですが、どの花も、神様にとっては美しく、愛おしい花 

どのような環境であろうと、私たちの感謝の心は、神々が恩寵を表すために大切な媒体です。