2016年8月13日土曜日

664「ゼロ磁場3」2016,8,13

 心地良い汗をかいた後、一息ついてあわ歌を皆さんで奏上する儀式です。山頂での方位を確認して、昨日の中山さんの絵の通りに皆さん配置します。中心に中山さん、北に私が立ち、南にTさん、西にOさん、東にKさんです。その周りに他の方々が円を成して立ちます。


 心地よき響きの中に、地元、鹿角市のSさんが駆けつけてくださり、途中からあわ歌を共に響かせました。地元の遺伝子が加わり、相乗効果が起きた事でしょう。後で伺ったらSさんは黒又山の山頂に登るのは初めてとのことです。これまた嬉しき始まりの始まりでした。


 歌い終わって中山さんからのお言葉は次の内容でした。
「高みにありたる大きなる身、これよりこの地に立ちて参る。
 大きなる動きを整えて参る。
 進み行く行くこれからに、共々ご用意致しましょう。」10:43

 いよいよ大きなる身がこの地に立ち、大きな動きを整えて行く様です。楽しみなことです。

 下りはあっという間です。Sさんはここだけの参加で沢山の差し入れを持ってきてくださいました。ありがたきことです。皆さんに分けて頂きました。

 黒又山には以下のような地理的な特徴があり、なんらかの重要なポイントとしての位置付けがあったように思えます。
「黒又山の本当に凄いところは、現存する主要縄文遺跡と結ぶと、扇の要のような位置に配置されていることです。しかも正確に距離を測定していた形勢があるんですね。
 たとえば、黒又山の山頂から御所野遺跡(岩手県一戸町)の中心と釜石環状列石(岩手県八幡平市)の中心までの距離はそれぞれ42・4キロとまったく同じ距離にあります。 しかもその誤差は、国土地理院の距離測定ソフトを使うと、42キロという距離でわずか3メートルしかないんですね。つまり測量点が私が想定している黒又山の山頂と遺跡の中心点でなかったならば(たとえば、黒又山の山頂から数メートルずれた地点が測量点であったならば)、誤差がまったくない完璧な測量であった可能性も出てくるわけです。」
「神社は、間違いなく黒又山を中心とする測量ライン上の重要な三角点、あるいは「聖地」として残された可能性が高い、ということです。
 その議論を始める前に知っておかなければならない事実は、「根一の神社(出羽神社)」と「風張の神社(愛宕神社)」の緯度が北緯40度16分51秒と秒数まで一致する緯線上にあるように、縄文遺跡である伊勢堂岱遺跡と御所野遺跡の緯度が、同一緯線上にあるということです。前者の中心は北緯40度12分04秒、後者の中心は北緯40度11分52秒と12秒ほどズレがありますが、伊勢堂岱遺跡の南部分と御所野遺跡の北部分は完全に緯度が一致します。しかも、それは82キロの距離の完璧な東西線となるわけですね。
 面白い測量の痕跡はそれだけではありません。この二つの縄文遺跡は黒又山からほぼ等距離にあります。ということは、二つの縄文遺跡と黒又山を結ぶと、82キロの緯線を底辺とする巨大な二等辺三角形が出来上がるというわけです。」
http://plaza.rakuten.co.jp/yfuse/diary/201508100000/

 更に、黒又山は東西南北と冬至夏至ラインの中心点としても役割があったようです。その事について、以下の表記があります。

「黒又山は単に美しい稜線を描く小山という単純な理由だけではなく環大平洋学会の唱える「ピラミッドである条件」の「美しい三角形の山」「山頂まで徒歩で登ることができる」「周囲に秩序ある形式が祭祀施設が配置されている」などという条件の元、見事に適中する珍しい山です。
 中でも正確に東西ラインから22度離れた位置(冬至の日の出、日没ライン)に現存する祭祀場所があることが黒又山を山岳祭祀遺跡に位置付ける最も決定的な要因になったのは言うまでもありません
 鳳凰(火の鳥)を信仰する太陽の文明思想をも兼ね備えた太古十和田高原の人々は「生まれ」「滅びる」の自然の営みを冬至を夏至にそれを見てとても重要なポイントとして位置付けたと考えられます。」

http://www008.upp.so-net.ne.jp/k-hime/kuromanta.html/

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