和人の攻撃を事前に知らせてアイヌを救った和人の鷹匠、越後庄太夫が、見せしめのために生きたまま焼き殺されたという崖の上で儀式をしました。アシリ・レラさんの祈りと口羽和尚の施餓鬼供養の間に、天外伺朗のパイプセレモニーを行いました。アイヌの虐殺に抵抗して殺された日本人の越後庄太夫が浮かばれたようだ。(シャクシャインは1669年に起きたアイヌ最大の蜂起と言われる戦いの主導者で娘の夫が越後庄太夫。)
大勢の人が祈りに来て、太陽の周りに日輪が出来ました。鷹が空を舞う時に死ぬと言われますが、火あぶりにあい、祝詞を唱えて焼かれたそうです。
私がパイプセレモニーをした時に祝詞の声が聞こえたと何人も言ったのですが私には聞こえませんでした。するとアシリ・レラさんがセレモニーを途中で止め、アイヌの毒殺されたシャクシャインが来ていて、口羽和尚の前に座っている、と言ったのです。そしてレラに、「私の祈りの言葉がわからない」、と訴えたようで、レラがシャクシャインにアイヌ語で説明していました。その後、シャクシャインは納得して越後庄太夫の後を追って、浮いて行ったようです。シャクシャインは首が無い姿だったそうです。他の2人も来ていたが和尚の前に座っていたようです。
なぜシャクシャインが口羽和尚の前に座ったのかですが、島根県は鮭が遡って来るところで、口羽和尚はアイヌにも手伝ってもらって、島根県の川に鮭が俎上するための運動を続けており、その関係で20年間シャクシャインの供養をして来ていたのでした。そのことがあり彼の前に座ったのだろうと言うことです。
目に見えているこの世界の裏側で、私には見えない厳粛なドラマが進行していたようで、 私はただ、パイプを持って祈るだけでした。
1669年10月にシャクシャイン達、アイヌは虐殺されています。それ以降、レラはじめアイヌの人達が祈って来ていたのに浮かばれなかったのが上がることが出来たのです。シャクシャイン記念館に行った時に、レラが言ったように、彼の銅像のところに日輪が出て、鷹がそこに来て舞っていました。これらはエンターティメントとしても最高のもので、自然の演出が起きたことは凄いことでした。
私は16年間パイプセレモニーをしてきていますが、あまり真剣にしていませんでした。しかし明日の朝はしっかりやります。2017年の祈りの旅は東北になります。5月20日から22日ですが、明日のセレモニーはその前哨戦の様にするつもりです。私は、なんちゃって長老なので、こんなことになるとは思っていなかった。
しかし、この祈りの旅は私が生きているうちには終わらないと思う。これを継承してもらう為に、このワークを語り継ぐための記録を残すことにし、吉岡監督に映画を撮って記録して行くし、もうひとつは、悟東あすかさんに漫画を描いてもらっている。