2018年1月24日水曜日

1194「救世主12」2018,1,24

 観察者となることは、自らが鏡そのものであることに気づくことです。そして気づき、自らが創造主となった暁には、たった一人でありながら世界を動かすことができるようになります。
 言ったことと、目の前に展開されることが一致していきます。思ったことが、ただちに目の前に現われるようになります。これがクリエイターです。
 多次元世界の意志と目の前の現実世界が限りなく一致していくのです。この働きを「アラハバキ」と申してきましたね。多次元世界と三次元世界の格差を是正し均衡を図っていく働きのことです。
 これはつまり本音で生きるということと、本能で生きるということです。心の中で思っている本音をきちんと自分自身に焼き付ける。そうすることでその本音をいささかも違わない現実が目の前に現われます。その作用を円滑化させるために鏡が必要なのです。
 多くの人はもともとそもそも鏡であるにもかかわらず、その鏡が曇っているのです。また、滞ってしまっているのです。その鏡をキラキラに、1点の曇りもなく磨き上げなさいよ、と言っているのです。

 また目の前の三次元の現実を精緻に認識するために、日頃から猛烈に勉強しましょうね、と言っています。同じ物事、事柄を見ても、解釈の解析度が違えば認識の度合いも違って来るのです。
 出来るだけ沢山の判断材料と正確な知識と膨大な経験によって、目の前の物事、事柄を、それが何故存在するのかをできる限り正確に捉えることが、この世を御するための第1歩なのです。
 勉強と経験をして、物事や事柄の判断力が高まる事によって、物事の見方が変わります。多角的に俯瞰的に冷静に物事を判断することが出来る様になります。純粋に理性を用いる事が可能となるのです。こうなると、一時の感情によって判断を毀損されることがなくなります。

 魂はその瞬間を待っているのです。多次元世界のロゴスと目の前の三次元物質世界の現物が一致し、それを体感して行くことこそが、人類最大の快感なのです。これこそが、本来肉体を持たない魂が、あえて肉体という物質を身にまとってこの世に生きることの究極の醍醐味です。魂の思うままに肉体と物質的環境が完璧に直結している状態です。

 今の人類はアクセルを踏んでもなかなか加速しない自動車であり、ブレーキを踏んでもなかなか止まらない自動車であり、いくらハンドルを切ってもなかなか曲がれない自動車みたいなものです。
 加速しないように、止まらないように、曲がれないようにしているのがこの世の支配者であり、巨大宗教組織でしょう。人々がみなクリエイターとして自在に生きてしまったら、誰も宗教になんか入らないし、誰も支配されなくなってしまします。
 今の人類は意識と肉体が直結していないのです。それを精緻に、しかも強固に直結させるものが鏡なのです。そして、このように意識と肉体を直結させようとする働き、このことを世間ではサタニズムとしているのです。
 この均衡させ直結させるという働き、このことを神秘思想では「上の如く、下も然り」と表現されます。多くのスピ系の人達はこの「上の如く、下も然り」を精緻な意味も分からないまま安易に用いていますね。アマテラスだ、新道だ、スピリチャルだとかで遊んでいる人には、この「上の如く、下も然り」なぞ理解出来るわけが無いのです。

 つまり、私たちがこれまで神様だと思ってきたアマテラスこそが悪魔であり、私たちがこれまでずっと悪魔だと思ってきたサタニズムこそが福音ということです。全てが逆転されてしまっているのです。
 多次元世界と三次元を変換する鏡は物事を逆転させずに正確に投影します。

 遍在する衆生というさざれ石のような救世主。じつに地味で奥ゆかしく、謙虚で朴訥とした静謐な雰囲気です。しかし、その力は強大です。そして何よりその姿が決して見えないのです。これこそまさにこれから現われる究極の「サイレント・マジョリティ」なのです。
 今回、すでに救世主の点火プラグに一撃がなされたことによって、それはまるで雪崩のように、またドミノ倒しのように一気に全世界へと「インフルエンス(波及)」する。それがどの様な形をもってなされていくのかに付いては、実はまったく予想もできない。すべてのインフルエンスは明後日の方角からやってくるのだから。
 そして目覚めた沢山の救世主たちは、全体ひとつと呼応するインフルエンサーとなり、それぞれ各々が確固たる救世主となります。