2018年7月25日水曜日

1376「シャーマン19」2018,7,25


 次の目的地は大仙市協和にある唐松神社です。この神社は珍しい社があり、古代の豪族として大和朝廷で名をあげ業績を上げていた物部氏所縁の所で興味深い歴史があります。以下紹介します。

「御祭神は饒速日尊。物部氏の遠祖
秋田県大仙市(旧協和町)にある。奥羽本線羽後境駅の南500mほど。13号線から少し西へ入った所に鎮座している。道路に面して、赤い一之鳥居。貫の貫通していない中山鳥居に似た変わった形。路地のような参道を進むと、石造の二之鳥居。二之鳥居から境内まで、樹齢300年の見事なスギ並木。朱の鳥居が参道に二つ並んで、奥に社殿がある。そして社殿後方には、境内を取り巻くように淀川が流れている。
 一之鳥居から二之鳥居、そして朱の鳥居から社殿まで、やや下り坂の参道が続き、参道突き当りから、数段の階段を下ると社殿があるという構図。通常の神社では、社殿は境内の一段高い所に鎮座しているが、当社は、一段低い。昔、社殿は唐松岳山頂にあったが、佐竹藩主であった佐竹義処が、乗馬のまま、社前を通過しようとして落馬。怒った義処が、山頂から現在の窪地に移したと言う。
 参道の左側、社務所の東の池には唐松山天日宮がある。池中に石の築山があり、その上に鎮座。また、南側の池にも石組があり、中央に玉鉾大神と刻まれた石碑がある。

 当社・唐松神社に関しては、進藤孝一氏の『秋田「物部文書」伝承』に詳しい。
 以下の記述は、その本に記載されている物部文書による。
唐松神社は、本来「韓服宮」という名前。三韓征伐後、つまり韓を征服した神功皇后の創建という意味。新羅征討に参加した、物部氏・膽咋連(いくいくむらじ)が、皇后の御腹帯を拝受し、当地に来て、月出野に、当社を創建した。
 また、三韓征伐の帰路、神功皇后は男鹿半島から当地に立寄り、石見川(岩見川)を経て、当地に上陸(船岡という)。船玉大神を祀った。唐松神社の北東5Kmに、その船玉神社が祀られており、祭神は神功皇后を援けた住吉三神。」
 当社境内にある唐松山天日宮について。
「物部文書によると、物部氏祖神である饒速日命は、鳥見山(鳥海山)の「潮の処」に天降った。その後、逆合川の地・日殿山(唐松岳)に「日の宮」を造営し、大神祖神・天御祖神・地御祖神を祀ったという。
 延宝8年に、藩主佐竹義処により、山頂から現在地に遷座。今でも、唐松岳に元宮がある。
 饒速日命の居住していた場所は、御倉棚と呼ばれ、十種神宝を納めていた三倉神社のある場所。当地で、饒速日命は住民に神祭、呪ない、医術を伝え、後に大和へ移ったという。
 饒速日命は日殿山に、神功皇后は月出野に、社殿を造営しており、日月の対比が面白い。
 当社祭神の軻具突命は、別名・愛子大神。当地の物部氏の氏神である火結神のこと。
 また、当社は、「女一代守神」のお宮でもある。当社を窪地に遷した義処により指定されたもので、義処の息女久姫の難産を見かね、当社に祈願したところ、無事男子を出産したという。」
「物部文書」そのものの真贋に関しては、素人なのでわからないが、半島や大陸からの移民が、九州だけではなく、北陸や東北、北海道からもと考えるのは、極めて自然だろう。
 日本各地に移住した先進文化を持った人びとが、原住民を統治し、融合しながら、大和へ集中した結果、反大和、前大和の旗を掲げるのもありえること。
 物部氏という氏族が、秋田オリジナルであるのか、九州オリジナルであるのか、あるいは半島からの分派であるのか、さらには各地の半島出身者の大同団結か。 貫の貫通しない鳥居と、やや下る参道、スギ並木が特徴だが、一段低い窪地の社殿がやはり、際立っている。小雨の中の参拝だが、夏休みのせいか、参拝人も数組。」

「まほろば唐松」:神社の後ろにある唐松山
「唐松城
 唐松とは、物部伝承によると、古代神功皇后が朝鮮半島の新羅を討征し、その後、この地に遠征して韓服(唐松)神社を祀ったことから、この名があるといわれている。
 唐松城は平安時代、陸奥の郡之司であった安倍貞任の弟、境講師官照の強固な城であったが、康平6年(1063)に源義家(八幡太郎義家)の攻撃にあい、落城したと言い伝えられている。
 中世の末期には、羽州、淀川、繋街道の重要な分岐点であった唐松城周辺は、檜山(能代市)並びに湊(秋田市土崎)に拠点を置く安東氏の最前線基地として、数々の凄惨を極めた戦いが繰り広げられた古戦場である。」

 樹齢300年の杉並木の狭い参道を進みます。本殿は階段を下り1段低いところに祀られています。珍しい設置です。殿様の意向に従わないとこのようなお咎めが下る時代だったのです。







 参道を少し戻り、右手にある唐松山天日宮を参拝しましたが、初めての方々は驚きの声を上げます。池の中にある珍しい石組みの社は珍しいです。皆さん写真撮影に興じて楽しんでいました。