2018年7月6日金曜日

1356「再生5」2018,7,6

 S造船は石巻市渡波にあります。最後に来てから1年半以上は経ちます。最後の時は建物が解体され更地になり造成工事の時でした。万石浦への水路に架かる橋を越えると右手に造船所の社屋が見えます。橋を渡り直ぐに右に曲がり真新しい3階建ての建物が一際目を引きます。様変わりです。


 造船所には舟が5,6艘陸揚げされています。車を停めて下りるとSさんが笑顔で出迎えて下さいました。行き違いに若者2人が出て行きましたが、石巻大学の学生さんのアルバイトとのことです。先ずは握手をして再会を祝いました。昨年4月のテンメイ総会にSさんが出席して下さりましたので1年ぶりです。
積もる話しも沢山ありますが、新しい造船所を見学させて頂きました。敷地は約3倍程に広がった感じです。支倉常長のサンファン記念館へ向かう道路から海側です。道路が岩山に突き当たり、かつては三叉路に分かれ、左にカーブしてサンファン記念館へ、そしてその右側の道路沿いに住宅が何件かありましたが、住宅は全て被災して、それらの隣地、道路も含めて東端の鬘神社の鳥居までが造船所の敷地です。
 突き当たりの岩山にはSさんのお祖父さんの時からお祀りしている神様が鎮座していますが、工事業者のミスで一部崩壊しています。今は敷地はまだフェンスで囲っています。

 造船所の再建に莫大の資金が必要です。行政が行う復興工事、護岸工事との連携も必要です。関係機関との折衝で最終的には国の再建補助金を活用して出来ることになりました。この補助金交付は全国で始めて決まったもので、地元紙に2014年2月21日にその記事が掲載されました。これを知って私たちも大いに喜びました。

 しかし、数々の計画変更やら、ある意味で理不尽な行政の対応などに難儀し時間は過ぎていきます。しかしどうにか着工出来、予定より3年ほど遅れ、ほぼ完成を見たのですが、施工業者の不正が発覚して現在、その対応に追われているようです。
 社屋、造船所は完成はし、業務を再開できて、お客様達の期待に応えることが出来て嬉しいことですが、喜び半減の状態とのことです。
 Sさんは弟さんと二人でこの大きな造船所を切り盛りしていますが、素晴らしい連携です。素人目で是だけの船を一堂にどの様に作業されるのが、さすが熟練のプロの技です。
 以前は鉄道のレールが6本、海から引かれていてそこから船を引き上げていたのですが、津波でそのレールはひん曲がり、海底が抉られ、地形が変わり、今度はドックから船をクレーンで引き上げて作業する方式に切り替わったようで、確かアメリカ製で日本ではここにしかない最新式のもののようです。











 行政の護岸工事は鉄骨を打ち込んでコンクリート敷設の様ですが、Sさん達は岩での敷設を希望したのですが採用拒否されたようです。自分の敷地内の一部のみ岩の護岸がありますが自然に馴染む雰囲気です。この石組み工事も兄弟2人で全て行った様です。
 岩には海草、海苔が繁茂し、小さな魚達の楽園に成っています。行政の行った護岸工事の鉄骨は既に錆びていて数十年で朽ち果てると彼らは言います。かつてあった自然の恵みを破壊を少なくし如何に取り戻すか、その手段を知り、自分達で出来る事を誠実に実践している彼らには、今の世の中の当たり前がなんともギャップが大きく、致し方無い所です。葛藤に苛まれている様ですが、やがて夢は実現していくことでしょう。敷地内に小さくても砂浜があり、やがて皆で集える時が来る事でしょう。




 社屋の3階の展望の効く部屋でお茶を頂きながら雑談です。話の中で彼の近くに住む友人の話しが出ました。造船所に来た時に工事の不正の話しをしたところ、実は自分にも今、家のことで同じ様なことがあると言うのです。
 昨年初めに住宅を新築したのですが、工務店の杜撰な工事で各所に問題があるとのことです。クレームして改善依頼をしたのですが、一向に改善してくれず、最後は工務店の社長が逆切れして怒られたとのことです。話しを聞いてどこの工務店かと尋ねたらT工務店と言うではありませんか。Sさんが知っているあの工務店です。そんなはずは無いのではと自宅を見に行った所、言うとおり杜撰としか言えない状況なのです。正そうと思って助言したのですが、本人は諦めの様です。
 私も知っている工務店です。何とも言えない悲しきことです。相手の幸せ、豊かさを満たす一生に1度の大きな夢の買い物が住宅建築です。誠意の証が形に表れ、相手の健康、喜び豊かさを育む匠の技を提供する仕事なのに残念な事です。造船所の不正と言い、やがて天罰が下ることでしょう。今の世の風潮と言え、改心して誠意、誠心生きて欲しいものです。

 話しも弾みもう17時です。最後に家族の事をお聞きした所、昔、一緒にKさんの田植えに連れて来ていた小学生の長男がこの春、東北大に入学したとのことです。父の仕事の分野とは違えど嬉しいことです。造船所の向かいに住んでいたご両親は健在で、仙台で娘さん達と過ごしているとのことです。自宅は地震で土台が傾斜して住めない状態なのです。私達もお父さん、お母さんに色々お世話になりましたが、立派な人格者です。
 最後に、元気に活躍してください、私たちも出来る支援をして行きたい、とお伝えしてお別れしました。兄弟で再生し、きっとしっかりとやり遂げていくことでしょう。又、訪れたいと思います。