2018年7月19日木曜日

1370「シャーマン13」2018,7,19

 宿泊先は私たちの定宿になった大鰐温泉の不二やホテルです。予定の16時半を少し過ぎて到着です。1日のバスの長旅を癒す温泉は格別のご褒美です。のんびり過ごす間に、神人さんは一人でライブの器材のセッティングです。
 そして大広間での神人シャーマンライブは17時半頃から始まりました。神人さんは「オール青森神人ライブ」とおっしゃっていましたが、青森に所縁の歌が次々に繰り広げられます。神人さんは青森の南部地方、八戸市で生まれ、中学3年から津軽地方に移り住み、高校卒業まで生きた地です。

 濃厚に縄文、アイヌ、蝦夷の遺伝子を継承するシャーマン、ミュージッシャンとして今回は、津軽の地で青森に特化した歌が優しく、穏やかに、語りかえる様にしんみりと歌いあげました。沢山の青森所縁のカバー曲を披露してくださいました。
 最初は吉幾造の「津軽平野」です。途中の語りは神人流に変換して、津軽弁で面白、おかしくアドリブ的に繰り広げ熱唱です。


 次に美空ひばりの「津軽のふるさと」です。昨日の夜のライブで挑戦してキーが合わなくて途中でキャンセルしていました。それで天命舎のTさんがその「津軽のふるさと」の楽譜を持っていて、今朝、そのコピーを差し上げたのです。神人さんのサイトでコピーしたものを元に練習していたのですが、その楽譜の内容が違っていたようでした。それが判明して、神人さんは大喜びです。
 いざ演奏始めたのですが、やはり上手く行かずに途中で止めてしまいました。練習しないと難しい様です。次回にリベンジしたいとおっしゃい、直ぐに切り換えて自分の好きな曲、新沼謙治の「津軽恋歌」を歌われました。素晴らしい情感が伝わってきます。

 次は今日訪れた亀ヶ岡遺跡のある、神人さんが津軽で最初に住んだ木造の「木造田植え歌」です。そしてその岩木山の麓、亀ヶ岡の地で栄えたといわれる、アソベ族、ツボケ族を歌った神人さんのオリジナル曲の「アソベとツボケ」です。歌の言葉は全く意味不明で即興のように発せられています。きっと多くのその部族の霊存在が登場し、思い思いに表現してくださったのでしょう。
 次は「縄文の月」、もう1曲オリジナル曲で曲名は聞き取れませんでしたが祭りうたです。次のオリジナルが続き何度か聞いている「八甲田山」です。
「アラハバキ」の曲は津軽弁で歌います。アラハバキは古の神で以下の様に記されています。

「アラハバキとは、主に東北地方において伝えられている古い神格である。
概要
古代日本において、どのような神々が崇拝されていたか? について、残念ながら明確な記述は存在しない。しかし当時の遺跡からは様々な祭祀跡が発見されており、宗教の萌芽と呼ぶべきものは既に有っただろうと思われている。
その後、現在の関西地方に興った大和朝廷の手により、「国家」としての日本の統一は成し遂げられた。しかしその過程で、古代から尊崇され続けてきたはずの大勢の神々もまた、征服されたたくさんの部族と運命を共にしただろうとみられている。
その際、一部は「国津神」として改めて「日本神話」のパンテオンに組み入れられたが、中には軍事的には征服されながら自らの信仰を捨てなかった人々により護られ、「日本神話」の体系の外で尊崇され続けた神も有ったと考えられる。
この「アラハバキ神」は、そうした神のうちの一柱ではないかと一般に受け止められている。しかし、文章による記録を全く残さなかった人々によって信仰され続けた神でもあり、そのため本当の出自については全く分っていない他、その詳しい性格や、能力、信仰形態などについて、不明な点も多い。
分っているのはただ、多賀の柵が造営された時には既に祭られていた、古い神と言うことだけである。
かつて多賀の柵が置かれた東北地方は、朝廷の権威が容易には通じなかったことから「化外の地」とされ、そこに住む人々は事あるごとに都人から蔑視をされて日々を過ごした。しかし化外の人々には、化外の人々なりの意地と、誇りと、何より日々の平穏を望む心が当然あっただろうと考えられる。
時には敵に向かって荒ぶり、時には心を穏やかに見守ることも有るとされるこの神は、或いは、そうした遠い時代に生きた人々の生と死を受け止めてくれた、かけがえのない存在なのかもしれない。
注意点
アラハバキ神は、古くから実際に信仰されているにも拘らず、その詳細については詳しく分っていないと言う特徴を持っている。そのため、偽書「東日流外三郡誌」を始め、オカルト本などにおいては、独自の解釈を加味された形で紹介されてしまう事も多い。
繰返しになるが、この神については不明な点も多く、確実に分っているのは次のことくらいである。祭る場所によって多少の違いは有ることも考慮しなければならないが、あまりはっきりと何らかの特徴を打ち出して紹介する話などがあれば、それは本来の姿から大きくかけ離れたものである可能性が高い。
・他の地方でも尊崇されているが、最も厚く信仰されているのは東北地方である。
・長髄彦と混同される事もあるが、もともとは「記紀神話」と別系統の神だったらしい。
・神格としてはあくまで神であり、妖怪などの類ではない。
・約1300年前(8世紀)には既に祭られていた。
・神名は音のみであり、漢字はすべて当て字である。また「アラバキ」と短く呼ばれることもある。
ただしこれらについても「アラハバキとは、もともと部族の名前だったのでは」などの異説もあるほどで、その実態については、いまだ未知の領域と言うよりほかにない状況となっている。
とは言え、この神もまた、太古から私たち自身の祖先によって敬われてきた存在であることに間違い無く、その事に想いを馳せ、軽々しく扱うようなことはせず、現代の人も、かつての人の心に対し恥ずかしくないだけの態度をもってこの神に和することを心がけるべきだろう。」
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