2018年7月18日水曜日

1369「シャーマン12」2018,7,18

 ベンセ湿原を後にして岩木山の方向に車は南下します。次の目的地は石神遺跡の予定だったのですが時間の都合でキャンセルし、弘前市十腰内字猿沢にある巌鬼山神社にむかいます。岩木山神社が津軽一の宮で有名なのですが、元々は巌鬼山神社が始まり、元宮のようです。以下が神社の紹介です。

「巌鬼山神社は正式には「巖鬼山神社」と書き、創建は796年。巌鬼山西方寺観音院として建立、その後807年坂上田村麻呂により再建されたと伝えられており、その昔はまだ岩木山山頂にある岩木山神社奥院に対する下宮として信仰を集めていました(岩木山の3つある峰のうちのひとつは「巌鬼山(岩鬼山)」と呼ばれています)。ちなみに平安時代の1091年に当地から百沢の地に遷座されたのが現在の岩木山神社となります。祭神は岩木山神社の元社にあたる為、岩木山神社と同じ大山祇神。この他津軽地方に伝わる鬼神太夫伝説のスポットでもあり、鬼神太夫が打ったとされる「刀」も祀られています。
 また 巌鬼山神社は津軽地方最大のパワースポットといわれている岩木山神社の元宮であったことや、境内を流れる清流や巨木に心癒される人も多く、「津軽のパワースポット」と呼ばれています。
 拝殿に向かって左側にある大杉。高さは41mを超える巨大なもので樹齢は1000年以上と推測されています。青森県内にはこの大杉に匹敵する大杉は無く、県の天然記念物に指定されています。
鬼伝説
 巌鬼山神社にも用いられている「鬼」という文字。実は岩木山北東部には「鬼」という文字の地名や寺社が多数存在しています(岩木山も元は岩鬼山と書いていました)。鬼といえば人々に悪さするのが一般的ですが津軽地方の鬼は人の為に尽くしてくれる良い鬼として言い伝えられている場合もあり、鬼を信仰する風習が残っています。
鬼神太夫伝説
 昔、鬼神太夫という怪力の刀鍛冶がおりました。この鬼神太夫、刀鍛冶長者の娘に惚れ込み、長者に娘を嫁にくれと申し込みました。
 ところが娘をやりたくない長者は、鬼神太夫に「一晩で十腰(本)の刀を鍛えることができたら娘をやろう」と条件をつけました。もちろん、そんなことは到底できないと踏んでのことですが、鬼神太夫は真に受けて本当に一晩のうちに十本の刀を鍛えてしまいました。長者は驚くと同時に困って、そのうち一本を盗み出し、鳴沢川に捨ててしまうのです。
鬼神太夫は九本しかない刀を何度も数え「十腰ない、十腰ない」と呟きながら、恨めしげに去っていきました。この時鬼神太夫が呟いた「十腰ない」が現在の「十腰内」の地名の由来となったと云われています。」
 
 巌鬼山神社に向かうに従い雲が切れて太陽が輝きだし、岩木山の裾野も見えて光が山に降り注がれて来ました。天地の喜びの供応のように思います。






神社は閑散として幽玄な雰囲気でありました。参道を進み、巨大な杉に皆さん驚きの声を発し、パワーを頂こうと木に手を触れ、抱きついています。この2本のご神木の間で神人ライブが始まりました。



 太鼓が打ち鳴らされ声が林間に響きわたります。意味不明な音の響きですが無形存在にはしっかり伝わる情報交換です。


15分程のライブは終わり、晴れ晴れとした神人さんを囲んで記念撮影です。

 ここでの霊存在との交信内容は以下のようでした。
「巌鬼山神社ではイタコの様な人霊が出てきて、掛け合いのようだった。山神の使いで、言葉を代弁する女性シャーマンが次の様に言いました。
「山神が言う事が絶対で、決めた事に従い生きること。今はそれを伝える人が居ない。好き勝手に山をちょす様(いじる)になり、人間共が皆駄目になった。」と。」
 全てが人間の好き勝手、欲望が引き起こしている現象のようです。謙虚に己が役わりに気付いて、人として天地自然に相応しい生き方、哲学、実践が求められています。
 ここで今日の巡りの予定地は終えて宿にバスは向かいます。