2018年7月26日木曜日

1377「シャーマン20」2018,7,26

 順調にコースを巡り、「神人さんの居ない神人ツアー」も最後の目的地になりました。目指すは大仙市神宮寺にある神宮寺岳です。国道13号大曲バイパスからその姿、山塊が見えてきます。遠くからもその秀麗な三角形の山が見ることができ人目を引きます。雄物川川岸にから聳え立つピラミッド山で、俗に言う神奈備と呼ばれる紡錘型の山です。市内の中川原コミュニティー公園の雄物川岸からその雄姿を見る計画です。

 以下がその神宮寺岳の紹介です
「神宮寺岳(副川岳):概要
 神宮寺岳はその山容が秀麗で、角度によっては綺麗な三角錐をしている事から古代自然崇拝の対象になっていたと推定されています。奈良時代に入り大和朝廷の権力が出羽国まで進出すると、当時は当地域が蝦夷との国境だった可能性が高く、秀麗だった神宮寺岳(当時は副川岳と呼ばれていたと思われます。)の山頂に副川神社を勧請し北方の守護神としたと思われます。
延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳に記載された所謂式内社は秋田県内では副川神社、波宇志別神社(保呂羽山)、塩湯彦神社(御岳山)の3社しかなく、重要視されていた事が窺えます。中世に入ると神仏習合し熊野信仰なども絡み修験の地となり、さらに八幡信仰が合わさった事で次第に副川神社本来の信仰が薄れていきました。その後、里宮だったとされる宮が八幡神社となり信仰が移った為、副川神社の存在が失われ、神宮寺岳の山頂の宮は何時しか嶽六所神社と呼ばれるようになりました。副川神社と嶽六所神社の関係は不詳ですが、嶽六所神社の創建は大宝年間(701~04)に勧請したとも、坂上田村麻呂が勧請したとも伝えられています。 
 祭神は六所明神(稻倉魂神、五十猛命、金山毘古命、高彦根命、大己貴命、事代主命)で副川神社が祀っていたとさえる「杉生の神」とも異なります。正徳4年(1714)、久保田藩4代藩主佐竹義格は古社の再興に尽力しましたが、副川神社は神宮寺岳では無く、現在の八郎潟町の高岳山山頂に再興しています。当時、副川神社の信仰は廃れ、古社地が判明出来なかった為、政治的な理由で遷座したされ、後にこの事が理由に郡名を変更したとも云われています(延喜式神名帳には社地が山本郡だった為、新たに再興した副川神社が鎮座する土地も山本郡でなければならないという理屈、逆に言えば現在の大仙市や仙北郡は古代には山本郡と呼ばれていた地域。)。又、戊辰戦争の舞台の1つでもあり、官軍だった久保田藩は神宮寺に本営を設けて神宮寺岳を要塞化させ、進軍してきた庄内軍と激しい攻防戦が繰り広げました。」

 バスが公園の中まで入れるか心配したのですが、名ドライバーの腕前宜しく、雄物川河岸近くまで進む事ができました。川向こうに河岸から聳えるその山容には私は何度見ても魅せられます。この神宮寺岳山麓には縄文時代の小沢遺跡もあり、古から聖地であり、川の交通の拠点として栄えていたのでしょう。暫し神奈備の山と豊かな雄物川の流れの妙に浸りました。今回参加したある方はこの地がもっとも印象深かったとおっしゃり、最後まで河岸に座り、その景色に見入っていました。



 ここでも神人ライブを願っていたのですが又いつかの機会です。ここで秋田から途中参加のSさんとお別れです。Sさんは唐松神社、この神宮寺岳も始めてのようでした。一人のドライブで同行いただきましたが、皆さんにラスクの差し入れを頂きました。いつもありがとうございます。


 バスは一路、仙台駅を目指して帰路に着きます。車中では昨晩の残ったお酒などでささやかな打ち上げです。皆さんに旅の感想を述べていただき、嬉しく聞かせていただきました。
 雲間から太陽の光が注いでいます。更に進むと局所豪雨に遭遇し、仙台には予定より少し早く20時過ぎに到着です。




「神人さんの居ない神人ツアー」も無事の帰還です。皆様色々ありがとうございました。 次回の神人ツアーは8月11,12日です。再会を願ってお別れです。
http://genkiup.net/seminar/seminar319.pdf