2014年6月15日日曜日

313「縄文スピリット4」2014,6,14

 八戸埋蔵文化財センター是川縄文館は八戸市内西部にあり数年前に立派な施設として建設移転しています。http://www.korekawa-jomon.jp/
 是川遺跡は八戸市内を流れる馬渕川と新井田川の間から石器時代から江戸時代までの遺跡が多数各所で発掘されていますが、その中でも有名な縄文遺跡です。開館時間9時少し前に到着して、開館と同時に入館して縄文美を体感、堪能しました。


 ここで発掘された石器、土偶、土器、が多数展示されていますが極めつけは国宝の「合掌土偶」です。特別室で暗い個室に展示されて照明を受けるその姿、佇まいは強烈な印象を与えます。私は何度か見学に訪れていますがその空間は将に特別です。自然、神、先祖への真摯なそれでいて穏やかな祈りの思いが伝わり素の人間の生き様を感じます。皆さん縄文スピリットとの感動の対面でした。







 次の目的地は新郷村のキリストの墓です。年々有名になり訪れる方も増えて整備が成されてきています。謂れは以下です。
「「ゴルゴダの丘で磔刑になったキリストが実は密かに日本に渡っていた」そんな突拍子もない仮説が、茨城県磯原町(現北茨城市)にある皇祖皇大神宮の竹内家に伝わる竹内古文書から出てきたのが昭和10年のことです。竹内氏自らこの新郷村を訪れ、キリストの墓を発見しました。
 1936年に考古学者の一団が「キリストの遺書」を発見したり、考古学・地質学者の山根キク氏の著書でとりあげられたりして、新郷村は神秘の村として人々の注目をあびるようになりました。



 キリストの墓と弟のイスキリの墓であるかは判断を預けるとしても、この新郷村にはいくつかのミステリーがあります。 戸来(へらい)はヘブライからくるという説。父親をアヤまたはダダ、母親をアパまたはガガということ。子供を初めて野外に出すとき額に墨で十字を書くこと。足がしびれたとき額に十字を書くこと。ダビデの星を代々家紋とする家があること。そして、「ナニヤドヤラー、ナニヤドナサレノ」という意味不明の節回しの祭唄が伝えられていること‥」
 丘には十字の墓標が2つ、対面するようにこんもり盛り上げた地面に差してあります。キリストと弟のイスキリの墓です。墓の左手奥にはキリストの里伝承館があり見学しました。数々の資料が展示されていますが、果たしてここがキリストの墓か、その真偽は分かりませんが、東北の青森にそのような伝承がある事自体が今の時代と違う世界観、ユダヤとヤマトとの歴史があったように思えます。

 キリストの墓から十和田湖方面に10分ほど行くと大石神ピラミッドがあります。広い道路を左に折れて程なく赤い鳥居が見えてきます。山中にその巨石は鎮座していました。ピラミッドと言うとエジプトの世界を思い浮かべますが、ここは山頂に巨石を配置して祭祀を行っていたようです。以下紹介文です。
「太陽信仰のピラミッドか?竹内古文書によると、エジプトのピラミッドよりも古い数万年前のピラミッドが、日本には7基あるとされています。昭和10年に画家の鳥谷幡山によって発見された十和利山のピラミットが4基目だとされています。山という自然の地形を利用して、頂上に巨石を配置したピラミットです。太陽礼拝所として古代から使われていたと考えられています。」








 神人さんは初めての訪問でとても興味深々で各所の巨石を見学しておられました。そしてここでも石と対話をされましたが以下の様な内容でした。
「岩に刻まれた記憶。太古からあるもの。
 人々によって生み出されたエリア。
 皆、集いし場所。星の者達と繋がりし場所。我ら星の記憶を得る場所。
 他の者達を集める為の場所。皆の思いを届ける場所。
 いつの世も、この地に大きな信頼、信仰、対象としてあった場所。
 皆が敬い、集い、歌い、笑いあった場所。
 時の勢力によって滅ぼされ、記憶を奪われた場所。
 今からの時は、この場所の持つ記憶がそれぞれ紐解かれ、伝えられていく場所。
 他の星の者達にも記憶されている場所の一つ。」

 先に訪れた是川遺跡の文化、新郷村にある巨石文化、ユダヤとの関連と相まって青森には古の時代に大きな文明が花開き、他星、宇宙規模での交信が交流があったのでしょうか。

 ピラミッドを見てから、神人さんのリクエストで新緑の奥入瀬渓流を車窓から眺め、見どころの滝や渓流の流れでバスを停め、皆さんで自然の美しさを味わいました。石ケ戸で下車をして渓流近くまで行って直接、水に触れ 石ケ戸の巨石を見学しました。あとは来た道を逆方向に十和田湖に戻り、休み屋に向かいました。






 湖畔から十和田神社に向かう道筋、開運の小道には巌谷が6か所あり神様が祀られています。激しい火山活動によって溶岩から火山性ガスが吹き出した穴のなごりが祠(ほこら)で、昔、修験者がこの穴にこもり修行したとか?風神、火神、山神、金神、天岩戸神、日神がおられます。それぞれで、「あいうえお」の音を発して参拝しました。


 十和田湖畔で昼食を頂き、十和田神社を参拝し、乙女の像を見て湖畔を散策して最後の目的地、秋田県鹿角市の大湯環状列石(ストーンサークル)に向かいます。
 その前に大湯環状列石から程近いところにある、黒又山(クロマンタ)の本宮神社に寄りました。山の形がきれいなピラミッドで古代に儀式に使われたのではないかと、大湯環状列石との関連から古代のロマンを掻き立てられる場所で、色々なところで取り上げられています。山頂の本宮神社参拝は時間的に無理で鳥居で今回は断念しました。
http://www008.upp.so-net.ne.jp/k-hime/kuromanta.html/



 大湯環状列石は「縄文時代後期の大型の配石遺跡。国の特別史跡に指定されている。環状石籬(かんじょうせきり)やストーンサークルとも呼ばれる。」



 神人さんはここも初めてです。かなり響く物があったようです。ここでも以下のメッセージを頂かれました。
「祭場跡。繋がり、集まり、結ぶ、約束の地。和解の場。
 人々が集いし、祀り合い、分かち合う、教育の場。
 大いなる神々との約束の場。
 ここを聖地とみなして皆が集い、約束石を置いて、繋がっているのを確認し合う。
 それぞれの石の前で声を響かせて、真中へまことを向けて、天地を繋がる形を見なした。
 我々が語り合い、確かめあう為の場。東北全土の民達が集い、約束を交わす祭場。
 それを見届けるために多くの星の者が来た。繋がっているのを確かめた。
 ここに来れる者達は限られていた。各地の代表と知恵があり、才覚ある者だ。
 この地に来れる者に成ろうとした。智慧が降ろされ、各地の代表者は語り合った。
 ここはその時代、もっとも大切にされた約束の場。語り合う場である。
 ここが守られたのは幸いであった。
 石それぞれには、それぞれの民族の思いが込められ置かれていった。証しであった。
 墓でなく約束する為の祭場。天と地の繋がりを得て、確かめる場。
 我々霊人はその取次に係った。話が出来る者が祭りをして皆に伝えた。
 ここに居たことがあり、何度も叶った。縁ある霊人が必要な智慧を授ける。
 時が来て得られるひとつ、ひとつ渡す。我等は助けて、必要な事を伝え、間違いがないか伝え、邪魔立てする者を連れて行く。
 あなたの才覚が如何なものか確かめてもらう。一つ一つ明らかに致す。又、集う事が。
 神人、その時代における響きは、うるう。そなたのその時の名は、うるう、そう伝えておく。」
「何度か来たことがある地だ。ここは大事な土地だった。地の者達はこの地では嘘なく、約束の為の場で、争いはダメ。他星の存在とも繋がる場。全部を見透かせられる場。民族同士の和合をする場。石は約束をするために思いを込めて置くもの。東日本の民族はここにきて約束した聖地でまた帰って行ったところ。」
 
 神人さんはこの地を訪れることが出来て良かったとしみじみとおっしゃっていました。縄文の自然と和して営む、その時代の縄文スピリットを確認出来、これからの進み行く大きな更なる気づき、モチベーションを得られたようです。同行させて頂いた私達も,縄文スピリットの奥深い世界を共有で来て、実り多き時空を共に満喫できたことは幸いでした。


 仙台に向けて帰路に着き、無事に旅を終える事が出来ました。