2016年11月30日水曜日

773「陸奥三陸15」2016,11,30

 次の目的地の神割崎は同じ南三陸町のある名所です。神割崎に付いては以下の紹介があります。
「神割崎は志津川湾の南端に位置している南三陸金華山国定公園の絶景を望める観光スポットです。海に突出た岩が波の海食によって二つに割れ、その間を太平洋の荒波が流れ込む圧巻な姿をみることができます。
 また、この岬からは太平洋を一望でき遠く牡鹿半島や金華山まで眺めることができ、勇壮なリアス式海岸を望める名所です。
 峻険な岸壁に荒々しく波が打ち寄せ、飛沫が舞う神割崎。この神割崎では1年に2回、ちょうど真っ二つに割れた岩の間を朝日が昇ってくることがあります。岩と岩の隙間を太陽の光が照らしながら昇ってくるさまは、何ともいえない力強い美しさに満ち溢れています。 
 付近の岩場には逞しいクロマツの木々やニッコウキスゲ、ハマギクなどの花を眺めることもでき、荒々しい波打ち際とは正反対の、穏やかでゆったりとした松林の森林浴を楽しむこともできます。また小高い丘の上には灯台が建っており、付近のシンボル的存在を示しています。」
 以下の写真は神割崎に登る朝陽ですがITで拝借したものです。


 そしてこの地には神割崎伝説が残されています。
「昔この付近に戸倉村と十三浜村という二つの村がありました。この二つの村が村境をめぐって争っていたとき、浜辺に巨大なクジラが打ち上げられました。両方の村ともこのクジラの所有権を争いましたが、決着がつかず、翌日に持ち越すことになりました。ところがその晩、岬のあたりから轟音が聞こえ驚いた村人は駆けつけてみると、岬の大岩が2つに割れていました。両村の村人達は、「これぞ神の裁き」と思い、神の決めたこの場所を村境にし、争いも解決したそうです。」

 先ほどの神行堂山の巨石も二つに割れていましたが、この神割崎も二つに割れています。1つが二分される、海、山で見られた大きな象徴です。これからの世界を示しているのでしょうか。それでも全てを無しにして1つに出来る世界が来るのでしょうか。
 これは10月7日のあわ歌会で私が拝受した時に、中山さんが描かれた絵の2番目、丸が2つに割れた絵は神行堂山の巨石を表して、その次に3番目に描かれた四角が分離したものが神割崎の姿を表しているのでは無いかと思います。1番目の絵は3方向に分岐していましたが、それら、分岐や二分を含めて最後は4番目の絵のように円のラセンで1つにして行く象徴の様に思えます。






 波が打ち寄せる海岸まで下りて神割崎に、太平洋に向かってあわ歌を響かせました。波が打ち寄せ轟きを発して身近に波しぶきが飛んできます。岩には沢山の顔が見えます。
そして夕陽の光が微妙な色合いの世界をかもし出しています。写り行く自然の妙を見ながらのあわ歌です。




その時のお言葉です。

「更なる嬉しき、美しきを見られませ。
 これよりもこの美しきを友として
 続けて参るは、皆々の思いがあればなり。
 忘れる事なく、続けて思いて下され。」17:06




 丁度夕陽が綺麗です。予定ではもう1箇所、石巻市の釣石神社がありますが、日没でもはや無理ですのでキャンセルです。この地で今回の巡りは全て終了です。

海岸沿いに南下して、北上川の河口付近からから川沿い遡上して進みます。夕闇が綺麗です。仙台駅には19時ごろに到着して、いつもの中華屋さんで分散会です。
 次回の12月の内容も決まり、更なる陸奥のあわ歌の旅は続きます。
http://genkiup.net/awa/28.12.03.pdf

2016年11月29日火曜日

772「陸奥三陸14」2016,11,29

 黒崎仙境を後にして次の目的地は唐桑半島にある巨釜・半造・折石ですが、既に12時を過ぎています。昼食は13時の予定ですので、唐桑の地はパスして昼食会場の気仙沼市内の味の館海鮮に向かいました。
 陸前高田市内を抜けて気仙沼に向かうのですがまだまだ震災の復興途中で巨大な防波堤、土地の造成工事の真っ只中です。
 


 お店には13時丁度に到着です。この店は今年の4月の中山さんとの奥州33観音巡りでも昼食を頂いています。その時とても好評だった上海鮮丼を再度、皆さんに食べて頂きました。昨日の宮古丼といい三陸の海の幸が満載されていて、味も頗る良くて皆さん大満足です。笑顔で美味しく頂けました。心身満たされて午後の巡りに元気に出発です。
 




 午後最初の目的地は南三陸町入谷山の神平にある神行堂山の巨石群です。南三陸町も津波で大被害を被っています。ここも造成工事が行われていて殺風景な世界です。海岸の国道45号線から西側の内陸部に少し入って、綺麗なピラミッドの様な山容の神行堂山が見えてきます。山の中腹から左手に細い道を進むと集落があり、その先に狭い駐車場があります。立派な看板案内が出ていてありがたいです。


 神行堂山は名前からも伺える修験の山で、以下の様な紹介があります。
「入谷地区の最高峰で、標高461mです。この山も惣内山と同様、入谷花崗岩帯の外縁部にあたり、航空写真で見ると、惣内山から坂の貝峠を経てこの山に至る山並みが桵葉川の盆地を取り囲んでいる様子がまるでハート型の右半分のように見えます。
 山名は山岳修験に関わるものらしく、南麓の花崗岩の巨石は高野山明神として祀られており、弘法大師ゆかりと伝える独鈷(密教の宝具)や蔵王権現像を持ち伝える旧家があります。」

 細い道を進むと林の中に巨石がそこかしこにあります。
 この岩は2億年以上も前に形成された岩石から出来ていて、地下で生じたマグマが冷えて固まったものがいくつか突出した、と看板には出ています。正面の大きな岩は3つの亀裂が入っていて二つに割れています。昔大蛇を退治した時の落雷によって割れたとありますが丁度、人が1人通れる位の隙間があります。
http://watarubuu.web.fc2.com/yamasinkou.htm





中山さんがすかさずチャレンジです、その隙間を奥側から入って行かれ、程なくして正面から登場です。次々に我こそはと何人かの方々が通り抜けることができました。この隙間を通れるのは善人で悪人は通れないとか。この巨石を用いて成人男女が社会人の仲間入りをするために通らなければいけない通過儀礼として行われていたようです。以下の様な表記がありましたので紹介します。
「神行堂山は入谷を囲むように聳える入谷三山(惣内山・童子山)の中心の山で、金の産出で栄えた入谷の信仰の里山、山頂の石祠は金華山神社から分祀されたと云われ金華山方向を向いている。 
 また、神行堂山は、「石の平の高野山」とも呼ばれ、古く弘法大師が寺を開こうとしたが叶わず、のちに高野山に寺を開いたと云われる。 
 山麓には巨石群があり、大蛇を退治した時に落雷で裂けたと云われる3つに割れた石がある。古くから成人の儀式として割れ目を通り抜ける『胎内くぐり』が行なわれ、善人しか通りぬけられないと云われていた。」
「また,この石には,こんな伝説も・・・
 かつて大蛇が棲みつき,里を荒らすようになり,人々が退治に乗り出し,ついに巨石の上に追い詰めたが,大蛇は巨石の上にわだかまって人々を睨みつけて,しばらく睨み合いが続きましたが,不意にまばゆい閃光が走り轟音とともに,大蛇は岩もろとも二つに裂けて死んでいたとのことで,以後,二つに裂けた巨石を御神体として高野山大権現を祀り,毎年祭祀を欠かさなかったとの伝説も残されているそうです。」
http://hee3hee3.exblog.jp/15932970/

 その巨石の前であわ歌を響かせました。その時のお言葉です。
「あ~ (あわ歌)
 見事に晴れ行くこの響きは、皆々様が、発して頂き、
 これよりのこの大きなる広き道、
 晴れ渡り行き、共々に進まれますように。」15:53




 終わって下る時には太陽が燦燦と光を注いで、見事に晴れ渡っています。心も晴れ晴れして何か達成したような軽妙な気分です。次の目的地に向かいます。





2016年11月28日月曜日

771「陸奥三陸13」2016,11,28

 黒崎仙境に向かってあわ歌を響かせました。その時のお言葉です。
「心あれば唱えて参られ。
 古き元なるこの音ぞ。(柏手6回)
 さん さん さん いや うえ うるう むう さん さん う〜」12:06





 黒崎仙境に付いては以下の記載があります。
「黒崎神社は嘉祥年間(848~851)の創建と伝えられ、祭神は神功皇后である。古来より広田半島に住む漁民の信仰を集め、かつては沖を通る船は必ず帆を下げて航海の安全と大漁を祈願したという。こうした「礼帆」の習俗は、沿岸部で漁労航海神を祀った神社には全国的に見られ、かなり普遍的なものと言える。しかしそのいっぽうで黒崎神社の古い信仰には、海中にある神秘的な洞窟へのそれもあったらしい。当社の本宮(創建当時の黒崎神社があった場所)近くには海に面して亀裂のような断崖があり、その根元には雌沼雄沼という岩穴があって、次のような伝説が伝わっている。
「黒崎仙峡は、陸中海岸国立公園の中で最も雄大な海蝕景観を誇っている。
 この黒崎仙峡の岬の天狗の投げ石の下に一つの岩穴がある。この岩穴はいつもは海の中にあって見えないが、旧暦の3月3日だけは潮が引いて、よくその穴を見ることができる。この日にはまたこの穴から神楽のような音楽が聞こえてくるという噂を聞きつけて多くの村人たちが見物に来るようになった。
 ある年のこと、この神楽のことを聞いた殿様が、なんとかして岩穴の秘密を知りたいと思い、調べに行くものはいないかと「お触れ」を出した。
 このとき、与八と佐十という兄弟が名乗り出た。彼らは常日ごろ、仲が悪くお互いに意地を張り合っていた。
 2人は準備をして岩穴探検にとりかかった。潮との長時間の戦いの後、狭い水路の所で、2人は船を捨てて海に飛び込んだ。
 岩穴の前は深い淵になっており、潮の流れが激しくうず巻いていた。何度も押し流されたが、泳ぎ達者の2人はとうとうここを泳ぎ切った。
 静かなよどみに出たとき、頭上から不思議ななんとも妙なる楽の音が聞こえてきた。与八と佐十はふと正面の岩壁の上を見上げた。突然2人の顔色が変った。岩の上に長い髪を腰まで伸ばして白衣の女が横たわっていたのである。音楽もやみ、ただならぬ妖気がただよってきた。
 恐怖におののく2人は無我夢中で逃げ帰った。殿様の前で岩穴の秘密を話し終えると、2人はそのまま手を取り合って死んでいった。」-「気仙の伝説 陸中海岸の伝説より」

 更にこの信仰の背景を考察していますが、他の神社も出ますがそのまま紹介します。
「これもまた伊古奈姫命神社と同じく、「海洋から来臨する神霊の籠もる洞窟」という基層信仰に、「外部からの来訪」という項を介して、後世になって平家の落ち武者伝説が上載されてできた伝承ではなかったか。
 伊古奈姫命神社は社名通り女神を祀っているが、蛇ケ崎神社も豊玉姫命を祀っており、黒崎神社の祭神である神功皇后も女神の一種と考えられる。こうしてみると海中洞窟への信仰が見られる神社には女神が祀られている傾向が感じられる。これは洞窟地形が母胎を連想させることと無関係ではないだろう。古代人にとって岬の突端は、海洋から神が来臨する聖なる場所であった。かつてはこのような場所にある洞窟に女神がいて、来訪した神と神婚し、威力ある新しい神霊が誕生するというような信仰があったのではないか。」
 
 更に「祭神の神功皇后について思いつきを一言。」として以下の記載もありました。
「神功皇后は神社の祭神として珍しいものではないが、周知の通り、普通は八幡神として応神天皇とセットで祀られていることが多い。神功皇后が単独で祀られている場合もあるが、そういう神社は神功皇后伝説が多く残された地域に鎮座しているもので、当社のように皇后の渡航ルートから大きく外れた地域で単独に祀っている例は珍しいのではないか。ところで、『太平洋が池のよう』で紹介した子友町の八幡神社は、当社から北に3km程度しか離れていないが、この神社は八幡神社であるにも関わらず応神天皇しか祀られていない。あるいは当社と八幡神社には信仰面でつながりがあり、両社は母子神としてセットだった、ということはなかろうか。」 

2016年11月27日日曜日

770「陸奥三陸12」2016,11,27

 碁石海岸は陸前、大船渡市を代表する名所です。その中で穴通磯(あなとおしいそ)は最も素晴らしい景観です。
 以下の紹介があります。
「三陸復興国立公園碁石海岸の北方に位置する代表的な景勝地「穴通磯」。長い年月をかけ、海水の浸食によって岩に3つの巨穴が空いた様は、見る者を圧倒させるとともに大自然の雄大さ、美しさを感じさせてくれる。また、穴通磯の洞穴をくぐり抜けると開運成就、子宝にも恵まれるという伝説もある神秘的な場所だ。碁石海岸穴通船(わかめ漁に使われる小型船)に乗船すれば、この洞穴をくぐり抜ける体験ができるとともに、海面すれすれからリアス海岸独特の海岸美を見上げながら、海上を爽快に駆け抜ければ、ここでしか味わえない感動間違い無し。」
「海蝕によって3つに穴が開いた奇岩の中の奇岩で、波が穏やかな日にはトンネルのように穴をくぐり抜けることができます。古くから縁起のいい奇岩とされ、子宝に恵まれない若夫婦を漁師が小舟に乗せて穴をくぐり祈願したところ沢山の子宝に恵まれたという言い伝えがあります。右の穴をくぐると男の子。真ん中の穴をくぐると女の子を授かるとのことですよ♪残念ながら現在は震災の地盤沈下により真ん中の穴しか通ることしかできませんが縁起がいいことから多くの観光客の皆様に喜んでいただいています。」





 私たちは駐車場から遊歩道を下って5分ほどで展望所に到着です。珍しい巨石に皆さん驚きです。自然の妙技でしょうが何とも不思議な形態に残ったものです。暫し写真撮影に興じ、穴通磯に向かってあわ歌を皆さんで響かせました。




 ここでは先に中山さんが音を発しで歌い、最後にあ~の音を出して左回り3回を行いました。その時のお言葉です。

「あ~あ~あ~ (あわ歌)
 伝えます。
 踏み行く道は、これよりの大きく広きへ広がりて、
 皆々様に、多くを知りて頂きます。
 嬉しき、楽しき、驚き、苦しき、皆々混じりて参りましょうが、
 只々、平らに過ごし行き、
 その身のご用意なさりませ。」11:04




 次の目的地は陸前高田市にある黒崎仙境です。碁石海岸のある末崎半島の隣の広田半島ですが、リアス式海岸ですので道はかなりの距離です。広田半島に先端にありますが、黒崎仙境温泉の案内の幟旗を目にしながら進みます。
 程なく立派な神社が左手にありますますが、黒崎神社の里宮で、広い駐車場があります。そこを過ぎて温泉の筋向いに車を止めて、遊歩道を10数分半島先端に歩きます。
 右手に小さい社が祀られていますがここが黒崎神社本宮です。その先の半島の先には展望所がありますが、地震の影響で閉鎖されていて立ち入り禁止です。
 その神社正面の海岸、その両側にそそり立つ岩壁の間から海が見下ろせます。その地が黒崎仙境です。見下ろすと吸い込まれる様な、どきどきする感じの景観です。






 以下の様な紹介があります。
「峡谷断崖を挟んだ岩上に、直径約2mくらいの大石塊が二個、相対してあり、天狗がお手玉をして遊んだと伝えられています。
 黒崎仙峡の岩頭に立てば万里の潮風に心身抱かれ、洋々たる前面を見渡せば煙波正に渺々とした大海原は、人をして陸上古今の変遷を超越し神代の感を抱かしめる。
 更に四望の心を脚下に移すと、水面より十五米(五丈)断崖直に海に没して紺碧の色その深さを知らない。
 左に雌沼雄沼と呼ばれる海水深く侵食洞入する渓谷の岩窟あり。その奥は見ることが出来ないが、沼に似た所よりその名があり、激浪の侵入する時、荒削りの岩肌に五彩の飛沫を吹き上げる様豪快と言う外ない。
 沼を挟んで岩上に径一米(数尺)くらいの大石二個相対してある。之天狗の投げ石、又お手玉と伝えている。見る程に造花の奇妙と言ってよい。
――― 承安二年(1172) 鎮座黒崎神社誌ヨリ」
http://blog.goo.ne.jp/familyplot1976/e/f03bdf68e880321d138944535a437e4f
http://www.kurosaki-onsen.com/kankou.html