狭い山道を進み神社前に着くと、ぱっと開けますが何とも心もとなくなる鬱蒼とした長い林道です。神社は通り越して大部が岩に向かいます。
舞草神社は以下の様に紹介されています。
「式内社・儛草神社に比定されている古社。社名は、「まいくさ」と呼び、「もくさ」とも呼ばれる神社。社伝によれば、大同2年(807)に坂上田村麿によって創建。神仏習合時代は、吉祥山東城寺と称していた。古くは、白山岳に鎮座していたという伝承もある。
白山岳周辺には、鍛冶遺跡があり、舞草鍛冶として有名で、全国の刀工の祖神としての崇敬も篤い。」
「儛草神社は、718年に菊理姫命を祭神としたのが始まりの、由緒ある神社です。坂上田村麻呂が必勝祈願の為観音を安置したとも言われています。そして、日本刀の源流と言われている舞草刀を作刀していた鍛冶集団、舞草鍛冶が修験者として鍛錬しつつ活動してい
たとされる場所です。」
この舞草神社は日本刀発祥の地です。なぜ日本刀の発祥の地が岩手県にあるのかと思う方が多いのではないかと思います。又白山信仰、熊野信仰などとの繋がりのある地で興味のある方は以下を参照下さい。
「舞草刀と白山神そして物部部族」
http://wwr2.ucom.ne.jp/hetoyc15/hitori/hakusan1.htm
又、「舞草神社のいわれ」東北大名誉教授 高橋富雄先生のお話に「なぜ「舞草刀」が「日本刀」の源流なのか」、「日本の原点がどこにあって「舞草刀」が「日本刀」の源流なのか」、「日本国」とは「日高見国・蝦夷国」のこと」など興味深い内容が記されています。
http://iwaigaku.com/contents.php?c=chair&p=112&sc=9
その最後に「「大分岩」は「丈部岩」のことか」と言う見出しで以下の様な表記があります。
「私は今日見た「大分岩」というものがありましたね。いろいろな説を承りました。私はこれは、大部の「大」は、意味の分からなくなった「丈部(はせつかべ)」の「丈」という字、「丈部岩」ということだと考えます。こここそは「丈部郷」の郷民たちの、神祭りの場としての神体、岩で、本来舞草神社の奥庭はここだったというような考え方さえすることができるのでないかと、私はそんなふうに思っています。」
さて前置きが長くなりましたが、陸奥の豊かな土地を一望できる神体の岩に登り、暫し美しき国土を豊かな自然の恵みを満々ともたらす山河、田畑を眺望して過ごしました。北上川(日高見川)は太陽にキラキラと光輝いています。
天地に向かってあわ歌を響かせました。その時のお言葉です。
「沙汰ありて伝えます。
これよりの北の地、以前に訪ねたる大きな岩、皆々繋ぎて、この北の地を元へと変えます。
この光、来る年の2月の初め、必ず5つ選びて響かせ、繋ぎて、結ばれませ。」12:33
次なるミッションが下されました。この北の地で既に訪ねた大きな5つの岩で響かせること、それにより北の地を元へ変えるとあります。果たしてその5つとは何処でしょうか?