「「アソベの森」、古くからそう呼ばれてきた、神が宿る山・岩木山。いにしえより津軽の文化を育んできたこの山に、見守られるように、抱かれるように佇む宿・いわき荘。
岩木山を望むお部屋でゆっくりと寛いで、しずかに流れる時間にやすらいで、
青森の旬の幸を集めたお料理を味わって、湯と地元の人々のぬくもりに癒やされて、
ゆたかな自然と文化にふれて…。」
この言葉に惹かれて訪れました。瀟洒な建物のホテルで天井が高いレストランで優雅にランチお勧めの山彩膳を頂きました。地元の食材を活かした料理を美味しく頂けました。
利き酒試飲販売でGさんは美味しいと地元のお酒をゲットしてニコニコです。心身満たされて午後の巡りの再開です。
岩木山神社は直ぐ到着です。閑散としていてゆっくり参道を進みます。以下は岩木山神社の簡単な紹介です。
「津軽富士とも呼ばれる美しい岩木山のふもとにある神社で、創建約1,200余年の歴史を持っています。
岩木山神社は、本州最北端の鎮守様の木材・県産のヒバを使用し、古いものは390年の風雪を耐えた建造物です。
岩木山を望む鳥居から本殿までの長い参道は、杉木立に囲まれています。
何回かの焼失を経て、藩政時代に再建された社殿は重厚で「奥の日光」という異名を取るほど秀麗です。旧暦8月1日を中心に行われるお山参詣、津軽の象徴である岩木山は「お山」とか「お岩木様」と呼ばれ、津軽の人々の信仰の山です。」
本殿参拝の後に何時もの龍神様を祭る白雲神社に詣でました。いつもの幟旗が無いので一瞬戸惑いましたが、池には玉子が何個か入れられています。橋を渡って社であわ歌を響かせました。その時のお言葉です。
「さらに申す。この地の動きは早きと成り行き、大いに動く。
皆々様が変わり行きて、この地の関わり変わり行き、
大いなる安心の世界へ参ることとなる。
急ぎて旅立つ時至る。」 14:43
大きな変化の後に大いなる安心の世界に参るとあります。変化は如何ほどでしょうか。
次の目的地は岩木山を下り弘前市坂元にある久渡寺です。久渡寺には私は以前に参拝していますが中山さんは初めての所で、今回の妙見の巡りでは色々考えて間近になってこの地を決めました。
久渡寺については以下の様な記載があります。
「青森県弘前市中心部から南に約10キロ。久渡寺(くどじ)山(標高約663メートル)の山腹に、津軽三十三観音の一番札所の久渡寺が見えてくる。山門の先には、227段の石段。老杉に囲まれた立地が神秘的な空気を醸し出している。
石段を上ると目の前に聖観音堂があり、すぐ後ろ手には約250体の観音様の石像が連なっている。須藤光昭住職(44)によると、石像群は地蔵と勘違いされ、「心霊スポット」と言われることもあるというが、実は歴史が隠されている。
1970年代、土砂災害で境内の一部が被害に遭い、多くの人々から援助を受けた。寄付をした人たちの家内安全を祈願しようと、当時の住職がこれらの石像を寄進したのだという。
そんな久渡寺の歴史は1191(建久2)年にさかのぼる。唐僧・円智上人が、慈覚大師作の聖観音を本尊として建立。江戸時代には津軽真言五山の一つとして、藩の祈願所となり、手厚い保護を受けた。だが、明治維新の神仏分離で藩からの援助が受けられなくなった。檀家(だんか)制度を持たない同寺は運営困難に陥る。そこで、東北に伝わる民間信仰「オシラ様」をまつるオシラ講を始めたという。
オシラ様とは桑の木で作った30センチほどの棒に男女の顔や馬の頭を彫るなどし、衣装を着せたご神体。久渡寺では明治以降、家や村でまつっているオシラ様を人々が持ち寄り祈とうしてもらうオシラ講を執り行ってきた。その信仰に寺は支えられてきた。須藤住職は「信仰の強さと歴史の重さを実感する」と言う。
須藤住職によると、引きこもりの我が子を案じた親が何度も祈願に来たことも。後に元気になった子を連れてお礼参りに訪れたといい、「ほっとした笑顔を見ると、住職冥利に尽きる。誰かを思う人たちの姿を見ると、人のつながりを再確認する」と話す。毎月、寺を訪れるという弘前市内の80代女性は「家族の幸せを思ってオシラ様をまつります。久渡寺に来ると曇っていた気分も明るくなる」と話した。
本堂では毎年5月に集団祭祀(さいし)を開催。県内外から多くの人がオシラ様を持ってやって来る。祈とうを受けるオシラ様は年間2000~3000体に上るという。木造の本堂は約70年間、多くの人々が願いを託す場所として親しまれてきた。
須藤住職は「信仰を伝え、受け継いでいくことも寺の責務。人々の心のよりどころである祈願寺として、今後もこの信仰を歴史に刻んでいきたい」と話している。 」