次の講演者は沖縄久高島のノロの真栄田苗です。
「私は沖縄の久高島に住んでいます。沖縄にはノロ制度があります。第2尚家によって作られたもので、その前は神役、神職です。全てのものに神は宿るので祈りを捧げるのです。アマミ親ウフアミ、アマユ親ノロ。
祈りの基本には12年に1度行なわれるイザイホーの祭りがあります。祭りは賑やかで、歩き、厳かに祈ります。マテイという順序立てて祈るのがウフアミの役目です。馬に乗ってここの地に下りてきた神様がいます。守り助言する、神を迎える儀式です。戦後、私が6,7歳の頃に祭事がありました。
不思議な事が起こる島ですが、私には当たり前のことで不思議ではありません。昔、久高の祈りが始まったのは何時なのかは定かでありません。弥生の頃ではといわれています。土器で儀式が成されていたのを知れます。
私の家系が1番古いものです。五穀の発生が久高島と言われています。「実らせて下さい」の祈りが基本で、気象的なものです。太陽、雪、風の祈り手、台風、海を守る祈り手などがいて、天地、宇宙、地球、海など35神を何時も祈るのです。その担い手が35名いました。しかし最近、祈り手は2人だけになりました。35年前には半分位いたのですが、しかしこれが今の現状です。
私が17,8歳の頃にそうなるだろうと感じていました。イザイホーの儀式があり、高校生の頃に島に帰りました。久高ノロとホタカノロの両家がやりました。その時に先細りになるのではないかと言ったら怒られました。
自分の家系が祈りをしないといけないのですが、子供心に面倒くさい立ち居振る舞いで、若い人の意見を聞き入れて貰えなかったです。学校を卒業し結婚し、子供を生んで、出来るなら避けて通りたいと思ったのですが、避けさせて貰えませんでした。
35歳の時に主人が病気で亡くなりました。東京新宿に治療に来きましたが駄目でした。その後、悪戦苦闘の人生でした。それまでは仕事をして、結婚も上手く行き、有頂天に成っていました。私はついていると思い、気を抜いていたのです。サポーターがいることを忘れてしまい足をすくわれたのです。身近な者に足をすくわれる事が何度も起きました。そして無理をして身体を壊したのですが、しかしまだ諦めなかったのです。
40歳過ぎて色んな病気を体験しました。眠れず、食べられずでしたが胃潰瘍、乳癌、子宮筋腫になり、身体との向き合いもさせられました。自分の中でこれが最後で助からないと思いました。その時に友人から貴方のは病気で無いと言われたのです。
占いの人の所に行ったのですが、4箇所で見て貰えませんでした。駄目だ、と自分の中で納得しました。あるところではどんぶりに塩を入れて頭から振りかけられたりしました。そして、もう助からない人からお金を貰えない、とも言われました。
食事に行った所である人に会いました。その人は私の為にそこにいてくれたと思える人で、2度と会えませんでした。その人に「実家に母はいるか。母に先祖の意思を受け継ぐといったら病気は治る。」と言われたのです。そして家に帰って直ぐに母に電話をしました。
そうしたら出血が止まらなかった筋腫が、自然に塊が出てきてケロッと治ったのです。その後、乳癌も治り、島に帰って先祖に受けると報告しましたが、現実問題として色んな事が山積みで、子供は小さくまだ学校で、姑が病気でした。
島に帰るきっかけは姑が亡くなり1年目の58歳の時です。朝歩いていると「寿命は67歳」と天から声が聞こえてきました。そして約束を思い出しました。その後、後寿命は10年で島に戻ったのです。