2018年5月15日火曜日

1305「扉開き9」2018,5,15

 昼食で満たされて午後の巡りの開始です。お店から直ぐ近く、奥州市水沢区日高小路にある日高神社に向かいます。町中にある立派な神社です。その説明は以下のようです。
           
「日高神社の名称には諸説あり、この地が古来より日高見国と呼ばれ、日高見国勢力の中心地であったことや、前九年の役の折に源頼義が祈祷したところ、雨が急に止み日が高く昇り、未の刻(午後2時ごろ)に安倍貞任を討ったことに因むとされる。
 妙見菩薩を祀る宮として「日高妙見」や「日高妙見神社」とも呼ばれている 
 天之御中主神、火産霊神、大年神、御年神、若年神、水波乃売神、大国主神、倉稲魂神の8柱を祀る。因みに天之御中主神は妙見菩薩と習合する事の多い神である。
 日高神社の創建は弘仁元年(810年)に第52代嵯峨天皇の勅命によりこの地に勧請した事が始まりとされる。この地の首魁であったアテルイが降服し、延暦21年(802年)に胆沢城が坂上田村麻呂によって造営されてから8年後の創建となり、日高見国の信仰を継承する形で中央政府の神々を祀る胆沢鎮守府の神社にされてきたと推測されている。」



 アテルイの降伏後に教化の為に中央政府により祀られた神社です。境内の杉の巨木近くであわ歌を響かせました。その時のお言葉です。

「宮はそれぞれの内に構えられませ。
 元なる元の大いなるを現します。
 その宮開きて、大いに発し行き、是よりの新しきを共に打ち立てましょうぞ。
 大いなる嬉しきの宮なり。」 14:21

 「各自の内に宮を構え、その大いなる嬉しき宮を開いて、大いに発し、新しきを打ち立てること」が求められています。


 次の目的地は同じ奥州市水沢区黒石町にある黒石寺です。この黒石寺には是まで何度も訪れていて、多くのエピソードがあります。先ずはこの黒石寺の事を紹介します。

「黒石寺の年表によれば、天平二年(七三〇)に「伝、行基和尚(六二歳)、薬師堂の傍に寺を建て『東光山薬師寺』と称する」とあり、嘉祥二年(八四九)には、「伝、天台宗三世慈覚大師黒石に来る(当時六五歳)。東光山薬師寺を妙見山黒石寺とする。将意和尚に寺を譲り黒石を去る」とあります。
 黒石寺の山号・寺号が東光山薬師寺から妙見山黒石寺へと変遷したことがわかりますが、当初の山号に「東光山」とあることと、多岐神社由緒に「東光水と申す瀧」といった滝名がみられることは興味深いといわねばなりません。
 阿弖流為(悪路王)の時代、あるいは田村麻呂の時代、すでに東光山薬師寺があったように、「東光水と申す瀧」が当地にはありました。田村麻呂は、この瀧の神に鬼神討伐の加護を祈ったということになります。

 黒石寺妙見堂に祀られている妙見菩薩の解説は以下です。
「妙見尊星王や北辰菩薩ともいい北極星を神格化しその本地仏。童顔の武将仏で玄武(亀と蛇の合体した想像上の動物)に乗り、唐服を着、笏や剣を持つ。
 脇侍は北斗七星を示す北斗菩薩。道教・陰陽道の影響が強く、武運長久、国家安隠、五穀豊穣の尊神であるが、物事の真相を見極める霊力があるとされることから眼病平癒の霊力を持つといわれる。
 平氏、源氏の妙見信仰には篤いものがあった。
「北辰と言えば北辰妙見で、天御中主尊に繋がり、北極星(北辰)を神格化したもので、仏教でいう北辰菩薩、妙見、天王とみなす信仰です。この「天王」が牛頭天王(=素戔嗚尊)とされるから、妙見社に素戔嗚尊が祀られることも多い。」

「妙見信仰とは、一般には仏教でいう北辰妙見菩薩に対する信仰をいうが、その原姿は、道教における星辰信仰、特に北極星・北斗七星に対する信仰である。
 道教では、北天にあって動かない北極星(北辰ともいう)を宇宙の全てを支配する最高神・天帝(太一神ともいう)として崇め、その傍らで天帝の乗り物ともされる北斗七星は、天帝からの委託を受けて人々の行状を監視し、その生死禍福を支配するとされた。そこから、北辰・北斗に祈れば百邪を除き、災厄を免れ、福がもたらされ、長生きできるとの信仰が生まれ、その半面、悪行があれば寿命が縮められ、死後も地獄の責め苦から免れないともされた。
 この北辰・北斗を神格化したのが『鎮宅霊符神』(チンタクレイフシン)で、それが仏教に入って『北辰妙見菩薩』と変じ、神道では『天御中主神』(アメノミナカヌシ)と習合したという。
 この北辰・北斗信仰がわが国に入ったのは推古天皇のころというが、その真偽は不明。
ただ、奈良・明日香の高松塚古墳の天井に北斗七星が、北壁に北斗の象徴である玄武像(ゲンブ、亀と蛇とがかみついた像)が描かれ、また正倉院御物にも金泥・銀泥で北斗七星が描かれた合子(ゴウス)があることなどからみると、奈良時代に知られていたのは確かである。」