―この一万年祭に数日滞在して驚いたのは、子どもの数が多いこと。ステージに子どもが自由にあがって大人とやりとりしては、降りていく姿が印象的でした。また、アイヌ語学校の歌と踊りを見せていただきましたが、歌と踊りのなかに、人間関係の間合いのとり方など教育的な教えが込められているようにも思いましたね。
アイヌは見て覚えることを大事にしているんです。昔はまわりに子どもがいたり、赤ん坊が這っていたりしても邪魔にすることはなかった。子どもは見て覚えるものと知っていたから。今も私はそのやり方でやっています。学校の子どもたちは小さいときから見てやってきたから、踊っているときに小さな子が這い上がってきても邪魔だと思わないんです。やっぱり子どもは大人と一緒に学んでいくのがいちばんです。かつて父親はこんなことを言いました。「仕事ではない。食べることではない。お金を得ることではない。人間関係がいちばん大変なんだ。これができる子になったら、世の中は怖くない」って。人間関係がもつれて、トラブルが起こるから嫌になるわけでしょう? 相手の心をわかってあげられる子になれば、世の中で楽に生きていける。それがアイヌの子育て。人間らしい人間に育つ方法です。
―人間らしい人間とはなんでしょうか?
それは、人は人を殺しちゃいけないということ。人は人を裁いちゃいけない。人の悪口を言ってはいけない。人を悲しませてはいけない。人は地上に生まれたら、生きる権利がある。食べる権利がある。そして幸せな心で生きる権利がある。これを破ると人間としての安住はありません。これが人間らしい人間です。
―アイヌの神様のこと教えてください。
まず、私たちは偶像崇拝をしません。その代わり、天地、太陽や月、森、火山の火、水……自然のなかのあらゆるものにカムイがいます。それらは人間が絶対につくれないものであり、人間が絶対に勝てないものです。
―世界各地の先住民族と交流があるそうですが、どのような出会いがありましたか?
ネイティブアメリカンやオーストラリアのアボリジニ、ニュージーランドのマオリ、ハワイ、ロシア、台湾、いろんなところに行かせていただきました。タスマニアでは“大地の人”という意味のクーリーというアボリジニに会いました。彼らも白人社会の文明を押しつけられた人たちでしたが、「魂は売らない」とはっきり言って、カンガルーの踊りなど披露してくれました。わずかなお金のために羽毛布団の原料となる鳥をたくさん捕らねばならない彼らは、胸が傷むと泣きながら話してもくれました。水のダムができてさらに水不足が起こったとも言っていました。世界で起きている先住民族の問題は同じですね。
でも最近、変わり始めましたね。白人でもネイティブの人を好きになって結婚する人もいる。神々は今混ぜているのかなと思います。魂のいいところを残すために工夫している。きっとその人たちが地球を元に戻すのかなと私は思っています。
―読者へメッセージを。
私は歳だからやがて死んでいくだろうけど、これからの若い人たちには、ぜひ木を植えてほしいと思います。木を植えて森をつくれば川がきれいになり、魚が産卵にきます。まず森です。動物や鳥、魚を必要な分だけ食べて生きていける命の森。私たちのイオル(生活基盤)は森から始まり、川を流れ海から戻ってくる。
もしも森や川や太陽が「ああ疲れたから休むか」と休んでしまったら、私たちは生きていけない。酸素がなくなり呼吸もできなくなる。そういうことを多くの人は忘れてしまいました。でも元に戻すのは、人間にしかできません。動植物を守ることができるのも人間なのです。ものを言わないからよいのではなく、ものを言わずに森を再生してくれている彼らのことを忘れてはいけません。
カムイは動植物も、我々も同じようにつくられました。ただし、山や森を守るために、私たちに言葉を与え、歩くことを教えた。そして、死んだ人たちと動植物を恐れないように、人間に火を与えました。だからカムイノミ(祈りの儀式)は必ず火を焚くんです。煮炊きや、水を使って消すことも教えた。それをおろそかにすると火事になるけれど、山で火を焚いたり、鈴やラジオなどで自分の存在を知らせれば、動物は寄ってきません。そのように、私たちは彼らの代弁者であり、火を持って掟を守ってきたのだから、それを忘れてはいけないのです。
Asir Rera(アシリ・レラ)
日本名、山道康子。1946年、北海道平取村生まれ。15歳で民族問題や環境保護活動、平和活動に取り組み始める。二風谷でアイヌ民芸店を営む傍ら、1979年に「沙流川を守る会」を立ち上げ、1989年にフリースクールも兼ねた「山道アイヌ語学校」を設立(2009年に閉校)。同時にお盆の時期に「アイヌモシリ一万年祭」をスタート。ネイティブアメリカンやアボリジニなど世界各地の先住民族を訪ね、シャーマンとして各地で儀礼も行い、交流にも努めている。