昼食の時間が迫っています。次の南陽市の岩部山天狗岩の車窓からの見学もキャンセルして、高畠町の手打ちそば伊澤さんに向かいます。
メニューはお勧めの赤鬼そばにミニカレーです。何ともと思える組み合わせですが、これが中々評判が良かったです。蕎麦を茹でるに大勢ですから時間がかかります。先ずはカレーが振舞われ小腹を満たし、その後お蕎麦を待ちます。このお店は冬に蔵王スキー場にお店をだしていてこのカレーがとても評判が良いようです。神人さんは大のカレー好きで2人前をお食べになりました。お蕎麦も美味しく皆さん大満足です。
食後の最初の目的地はお店から数分の「まほろばの里」歴史公園にある阿久津八幡神社です。高畠の道の駅の向かい、道路から三重塔が見えます。この辺りは「まほろばの里」と言われ、縄文の文化栄えた高畠の象徴の地です。以下の様に紹介されています。
「「まほろば」とは、古事記などにみられる「まほら」という古語に由来する言葉で、「丘や山に囲まれた稔り豊かな住みよいところ」という意味をもっています。山形県の南東部に位置する高畠町は、奥羽の山並みの扇状地に拓けた美しい町です。
まほろばの里たかはたは、縄文時代より先住民が生活をし、現在その遺跡が数多く発掘されています。歴史公園は、縄文時代の生活空間の再現と縄文時代の景観を顧みることのできるところです。散策しながら縄文時代より流れる歴史の風に触れてみてください。
美しい三重塔が印象的な安久津八幡神社や、県立うきたむ風土記の丘考古資料館を中心とした公園を囲む山の紅葉は、文化同様に風情も感じさせてくれます。」
阿久津八幡神社は次のように紹介されています。
阿久津八幡神社・じじばば石 高畠町阿久津
「安久津八幡神社は、貞観2年(860年)、慈覚大師が豪族、安久津磐三郎の協力で阿弥陀堂を建てたのが始まりと言われ、後、平安後期に奥州平定のため、源義家が、戦勝を祈願して、鎌倉鶴岡八幡を勧請したと伝えているが、もとより定かではない。生い茂る樹木に囲まれ苔むす石畳参道の入口左手に、端麗な姿の三重塔、参道途中に舞楽殿、その奥に本殿がある。この三建造物は県の指定文化財となっている。
三重塔は寛政9年(1797年)に百姓の寄附で再建されたもので、初建は、寛永2年(1625年)といわれている。方三間造で銅板葺き、置賜地方唯一の層塔である。舞楽殿は、室町末期のものといわれ、方一間宝形造、茅葺きである。毎年5月3日には、倭(やまと) 舞、9月15日には延年の舞が気品高く、古式豊かに舞われる。本殿は、三間社流造、茅葺きである。
境内には、鐘つき堂・干年松・流鏑馬的場跡などがあり、裏山一帯には、安久津古墳群(鳥居町支郡)十数基が点在している。そのほか、千年松(町指定文化財)奥の院の洞くつなどがあり、片葉の葺、爺婆石、弘法清水などの伝説も残っている。町歴史公園の東に位置し、神社西方の山は5千本ほどのつつじで彩られる。境内の東側には、郷土資料館がある。また、周辺を歴史公園として整備し、「うきたむ風土記の丘」の中核施設として県立考古資料館がある。」
雰囲気が何とも言えず穏やかなゆったりした感じです。鳥居の脇にはじじばば石が無造作にあります。三重塔、杉並木の参道、舞楽殿を過ぎると正面に茅葺の社が見事に収まっています。歴史を感じる存在感は周りの自然に調和しています。腹ごなしに最高の散策です。