2020年8月31日月曜日

2132「フォロワーシップ」2020.8.31

 この前のブログ2131で取り上げたリーダーシップは聞きなれた言葉ですが、フォロワーシップはあまり聞きません。辞書で調べると以下の様に記されてあります。

「フォロワーシップ
 フォロワーとは、リーダーを補佐する人のことで部下やチームメンバーをさす。
 フォロワーシップとは、集団の目的達成に向けてフォロワーがリーダーを補助していく機能のことをいう。 フォロワーには、指示に従って成果を上げるだけでなく、自発的に意見を述べたりリーダーの誤りを修正することも期待される。そのためには、フォロワー自身の実力だけでなく、集団の目的に対する達成意欲や、リーダーとの信頼関係が必要となる。」

 とても大事な役割です。組織などでの活動ではヨコ型リーダーシップと同様に、フォロワーシップの意識で関わり、共同で物事を為し遂げて行く、機能的な関わり方が大事です。
 8月28日の安倍総理の辞任発表後にわかに後継者の選定が進められています。日本国のトップとして安倍さんは多くのスローガン、施策を打ち出しましたが、そのリーダーシップはほとんど成果を上げることなく、フォロワーシップと別次元の「忖度」の中、最長期間トップに君臨し多くの負の遺産を積み上げた感が強いです。
 私のお気に入りの作家に、東京にある隣町珈琲店主の平川克美さんがいます。平川さんの文章表現にいつも多くの気付きを頂き、平川ワールドは新鮮な驚きをもたらしてもらいます。平川さんの5年ほど前の文章ですが、安倍さん、リーダーシップ、フォロワーシップに触れたもので、腑に落ちたを1文を「何かのためでない、特別なこと」から紹介します。

「何かのためでない、特別なこと」(平凡社2016年2月17日発行)の表紙、帯には以下の様に記されています。
「失われた「大人の哲学」を求めて
 功利的には測れない大人の人生について 本書には「即効性があり、有用で、刺激的なもの」ばかりを追い求めるようになった現代に対する、ささやかな抵抗である。

 ひとが生きて行くうえで大切なことは、ほとんどの場合、「何かのため」という功利的な目的とは、別のところにあると思うのです。こういった考えは、自分が還暦を過ぎるまでは、あまりなじみ深いものではなかったと思います。自分が老人の仲間入りをし、病を患い、両親を亡くし、もはや、進歩とか成長といった青年期特有の思考から離れて、はじめて見えてきたことがあるということかもしれません。(「まえがき」より)

 その著書の中から抜粋して紹介します。

「安倍首相は、遅れて来た経済成長論者で、安倍のミックスという魔法で日本が再び経済成長の波にのるかのごとく喧伝しているけれど、魔法というのはいつの時代にも詐術に過ぎず、種を明かせば「見せかけ」に騙されていたと分かる。
 なんだか、肩に力が入っていて、日本を世界の列強にならぶ国にするためのリーダーは自分だと思っているようだが、実のところこの国に必要なのはリーダーなんかじゃないよと、言っているのが鷲田清一である。
 最新作「しんがりの思想」(角川新書2015)には、ずばり、今本当に必要なのは登山でしんがりを務めるようなフォロワーシップ精神にあふれた人々であり、かれらこそが人口減少と高齢化社会の課題に立ち向かうには必要な人間なのだと説いている。
 経済成長は確かに多くの問題を解決してきた。しかし、同時に新しい問題も作り出した。そのひとつが、むきだしのリスクにひとりで立ち向かわなければならない、孤独な人々を大量に排出してしまったことである。こういった時代には、社会の最後列から目配りしながら、脱落者を救済していく成熟したフォロワーが、求められている。成熟社会は、成熟した市民しか作り出せない。
 わが大将の言葉遣いには成熟よりは、前のめりの青二才の響きを感じる。「積極的平和主義」って言葉がつんのめっているじゃないか。どうやら積極的と形容すると、言葉の意味が逆になるようだ。これは権力者の典型的ダブルスピークである。ジョージ・オーウェルの「1984」由来の騙しのテクニックである。
 当今の世相は、この未来小説が描き出したディストピアに似てきた。」

 コロナ騒動の中、いよいよディストピアが現実のものになってきています。安倍さんの心身の能力を超え、対処不能で現実から逃げ出した、まやかしの?新たな次へ繋ぐ、建て替えのリーダーと記されそうです。

※ダブルスピーク(英語: Doublespeak、二重語法)とは、受け手の印象を変えるために言葉を言いかえる修辞技法。一つの言葉で矛盾した二つの意味を同時に言い表す表現方法である。その話法を批判的に言及する際に「ダブルスピーク」という言葉が使われることもある。
 ダブルスピークという用語は1950年代に英語の中に登場したが、これはジョージ・オーウェルの小説『1984年』に由来する。この小説は全体主義のディストピアを描いており、中でダブルスピークという言葉そのものは出て来ないが、ダブルシンク、ニュースピーク、オールドスピーク、ダックスピークといった造語が登場しており、これらの意味的または発音的に類似した作中用語から、やがてダブルスピークという新語が作られた。