今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年01月24日の記事を紹介します。
「仏心を見る」
今日も大切な心のお話。大愚(たいぐ)についてです。
心の世界のお話は、奇跡や、目に見えない不思議な世界のことではないので、地味で人気がないですが、一番大切なことです。
大愚と言えば、西郷隆盛なども大愚と言われていました。
人間の器が大きすぎて、些細なことにこだわる凡人から見たら愚か者に見えたのです。
私たちどなたの心の中にも神さまがいらっしゃいます。
私にも、あなたにも、夫にも、子供にも・・
そして相手の心の内に神様(良き心)だけを見ることができれば、まさに今生きている、この世界において、全てが調和し、全てが幸せで、みんなが笑って暮らせる平和な世の中に変わることでしょう。
そして生きながら、天国に住めるでしょう。。
また、私たちの心の中には神さまがいらっしゃると同時に、悪魔のような心も存在ます。
それを
・仏心、
・鬼心
と呼びます。
これはどんなに素晴らしく見える人でもそうですから、人を一面だけ観て判断することはできません。
自分で勝手に相手を理想化しておき、崇めたてまつっていた人の一瞬の鬼心を見た途端、
今までと正反対の、好きだった時と同じ強力なパワーで
・憎しみの心、
・嫌悪の心が
芽生えることもあります。
表裏一体なのです。
さて、以前記事に書いたのですが、良寛さんのお話に良い例がありますのでご紹介します。
<引用開始>
越後国(えちごのくに)(いまの新潟県)で生まれた良寛さんというお坊さんがいました。
生涯貧しい暮らしをしていましたが、その言葉は常に人を力づけ、温かく、明るい気持ちにするものでした。
だから、多くの人に慕われています。
そんななか、良寛さんを妬んでいた人がいました。
村一番の嫌われ者だった渡し船の船頭で、大酒飲みの乱暴者。
船頭は「いつの日か良寛が自分の船に一人で乗ってきたら落としてやろう」と考えていました。
幸か不幸か、その日はすぐにやってきました。
そして、川の半ばまで船を出し、ゆらゆら揺らして良寛さんを船から落としてしまいます。
良寛さんは泳げません。
だから、おぼれかけて死にそうになる。
船頭も殺すつもりはありませんから、「もう、これくらいで勘弁してやるか」と良寛さんを引っ張り上げる。
すると、良寛さんはこう言いました。
「あなたは命の恩人だ。助けてくださってありがとう。このご恩は一生忘れません」
良寛さんだって船頭が船を揺らしたのはわかっていたでしょう。
村の評判だって聞いていたはず。
なのに彼は助けてもらったお礼の言葉しか口にしませんでした。
そして船頭は、その良寛さんの人を信じる気持ち。
こんな自分でも信じて感謝してくれる気持に心が震え、その後、真人間になることを決意しました。
「太陽」のように争うことなく問題を解決する。
それが良寛さんの相手の心に神さま(仏心)を見る「実践」でした。
<引用終了>
良寛さんの言葉はつねに人を力づけ、温かく、明るい気持ちにするものでした。
だから、多くの人に慕われていたのだそうです。
そして、上の逸話では、良寛さんは相手の悪意を知ってはいても、それを攻め立てたりはしませんでした。
相手の鬼心を見ようとせず、仏心、神さまの心にだけスポットライトを当てて見ていたのでした。
だから「あなたは命の恩人だ。
助けてくださってありがとう。
このご恩は一生忘れません」という言葉が出たのですね。
その結果、悪意を持っていた船頭の心の良き部分に光が当たり、活性化され、船頭は真人間になることを決意することが出来たのです。
船頭の外見の行動は、人を船から落とすという乱暴なものでしたが、良寛さんは相手の内に神様を見て、そこに意識を移し(フォーカスし)、活性化させたのでした。
これは私たちの意識の科学です。
私たちが何か意識するだけで、そこにエネルギーが流れ込みます。
(私たちは本来、神さまと同じ力を持っていますから、神さまと同じことが起こるのです。)
例えば、人の悪いところが気になり意識していると、本当は小さな小さなことなのに、過大に悪しきことが評価され、自分にはその悪い面しか見えなくなります。
相手も、そう思われていることに無意識に気付いていますから、自分のことを「悪」と観ている人の前では、「悪」、もしくはさらにパワーをもらい、「極悪」としてふるまってしまうのです。
その極悪人と言う役目を、私たちの無意識から受け取ったからです。
ですから、悪しきことには意識を向けないことが大切なのです。
これを「悪」ではなく、どこか良いところを探し、相手の「良き心」を意識すれば、これと逆の現象が起こり、その人は、天使のような慈悲の人となることでしょう。
ですから、私たちが、どの部分に意識を向けているか?
それはとても大切なことなのです。
相手を一瞬で変えてしまうからです。
・自分に乱暴を働く者、
・悪口を言う者、
・敵対心を抱く者、
・嫉妬している者、
・ねたんでいる者、
そんな人たちの内側の神様を見ることは難しいことかもしれません。
ですが、そのような人たちも家に帰れば、もしかしたら
・子供たちにとったら良い親かもしれません
・病気のご両親の世話をしている良き子供かもしれません
・旦那さまを愛する良き妻かもしれません
・子供を守ろうと、少し意識が過剰になったのかもしれません。
・出がけに旦那さまとケンカしてイライラしていたのかもしれません
・昔自分が失敗したのと同じような失敗を私たちがしたため、トラウマがよみがえったのかもしれません。
・子供のころ親に虐待されていたのかもしれません。
・つい最近リストラされたのかもしれません
・最近、大きな病気が見つかり不安心が心を覆っていたのかもしれません。
つまり、これらのことは相手の心の中の問題であり、私たちには全く関係のないことです。
私たちが相手の状態(相手の喜怒哀楽)により右往左往される必要はありません。
それが今、相手に起きているのは、私たちとは全く関係ない理由で起こっているからです。
私たちができることは、私たちの心をいつも穏やかにしておくこと、感謝の気持ちで満たしておくこと。
自分のことを「良き人」と見てくれる人に対し、自分のことを信頼してくれる人に対し、自分に感謝してくれる人に対し、どのような極悪人であろうと、善人にしかなれなくなるのです。
ですから、相手の内に神さまを見ること、仏心だけを見ること、と言うことは非常に重要で、自分も相手も、慈悲の人に変えてしまうほどのパワーがあるのです。
その後の私たちの生きる世界を天国に変えてしまいます。
私たちは、理不尽な相手の言葉や態度に怒るのではなく、まずは、相手の内にも神様(仏心)がいらっしゃると信じてみて、それで相手の中に何か良いところ(仏心)を見つけようとしてみる、それは、とても大切なことかもしれませんね。
そしてもう一つ大切なこと。
誰かの悪口を、こそこそ隠れて、他の誰かに告げ口することは、自らが仏心を見ずして、鬼心しか見ていないということと、更に、善意の誰か(告げ口した相手)に疑心暗鬼の毒、
鬼心をクローズアップさせるという罪に繋がります。
自分が見ている鬼心を、善意の誰かに押し付ける行為です。
これは神さまの心とは程遠いものです。
美しい心は、住む世界さえ美しいものに変えてしまいます。
どんな時も、相手の内に仏心を見つけ、感謝の心で、人とのお付き合いをしたいものですね。
最後、良寛さんに戻ります。
相手の悪い面(鬼心)を見ても「気にしない」
更に進んで「気にならない」
更に進化の進んだ人は、「気づかない」
つまり、自分の意識にすら上りません。
大愚であった良寛さんは、きっとこの境地まで達していたかもしれません。
心がピュアで、子供のままの心、人を疑うことを知らない心、純真な瞳、
周りにそんな人はいませんか?
きっと見つかると思います。
見た目は愚か者に見えるかもしれませんが、もっとも神に近い存在です。