今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年01月29日の記事を紹介します。
「二億パーセント大丈夫」
今まさに、どんな逆境に置かれていようと、どんな辛い病気であろうと、貧困の淵にあろうと、そんなことはお構いなしに、周りの環境は、どんどん変化しています。
・悪く見える方向にも
・良く見える方向にも
一瞬たりとも、同じ状態であるものは、この世に存在しません。
その状態の変化、環境の変化、それらが何によって方向付けされるかといえば、全て、私たちの心です。
あなたの心は、清らかに洗われていますか?
それとも、どす黒い憎しみに覆われていますか?
今の心の状態に従って、少しづつ、運命は動いていきます。変化していきます。
中間世記憶、つまり生まれる前の記憶を持つ子供たちが、話してくれた通り、
私たちの今の人生を、魂のレベルから見た時、
・どんな辛い環境の中であろうと
・病気であろうと、
・貧困の中にあろうと、
・孤独の中であろうと
全ては、私たちが生まれる前に計画して来た通りの状態であり、そして、それは神さまの承認を得て、生まれて来たのだそうです。
今日は、以前掲載したこともあったのですが、非常な逆境の中で生きる、一人の女性のお話です。
これも、やはり魂の醍醐味を味わうため。
魂の成長のための、あえて選んで生まれて来た苦難であると分かります。
母を救った娘の言葉
・知的障碍のある長男の誕生、
・夫の死、
・そしてご自身の大病。
度重なる試練に見舞われ、悲しみのどん底に沈んだ岸田ひろ実さん。
今日は車いす生活になり、絶望を感じていた岸田さんを救った、娘さんの言葉をご紹介します。
<転載開始> 転載元
ある日、娘が車椅子を押して、私を街に買い物に連れ出してくれたんです。
目的の店はすぐ目の前なのに、車椅子では遠回りしないと行けないというようなことが、
いかに多いかを、この時の外出で初めて実感しました。
それともう一つは、人の目線ですね。
どこに行っても
「うわぁ、かわいそう」といった目で見られてしまう……。
「車椅子で何とかなると言ったって、何ともならないじゃない」
という感情がワッと込み上げて、一所懸命に頑張ってきたものが音を立てて崩れるようでした。
それが本当に辛くてレストランに入った時、
「もう無理」と思って初めて娘の前で泣きました。
「こんな状態で生きていくなんて無理だし、母親として、してあげられることは何もない。
お願いだから、私が死んでも許して」って。
――娘さんは何と?
「泣いているだろうな、死なないでって言われるんやろうな」
と思ってふと見たら普通にパスタを食べていました。
そして
「知ってる、知ってる。死にたいんやったらいいよ。一緒に死んであげてもいいよ」
と言ったんです。
続けて
「でも、逆を考えて。もし私が車椅子になったら、ママは私のことが嫌いになる?
面倒くさいと思う?」
と聞きました。
「思わないよ」
「それと一緒。旅行に行きたかったら行けばいいし、歩けないなら私が手伝ってあげる。
二億パーセント大丈夫だから私の言うことを信じて、もう少しだけ頑張ってみようか」
と言ってくれたんです。
私の生き方や考え方が大きく変わったのはそれからです。
<転載終了>
「逆境は真実への第一歩」と言われています。
自分が経験したことのない痛みや苦しみは、本当に理解してあげることはできません。
・親が離婚した子供の悲しみは、
親の離婚を経験した人にしかわからない
・子供を亡くした親の悲しみは、
子供を亡くした親にしかわからない
・多重債務や倒産、破産、一家離散の苦しみは、
それを経験した人にしかわからない
・過ちを犯してしまった人の苦しみは、
同じ過ちを犯してしまった人でないと、わからない
同じように「その苦しみや悲しみから救ってもらった時の『人の情けのありがたさ』も、
苦しみや悲しみから救ってもらった人にしかわからない」
子供でも大人でも、救いや指導を必要としているのは今まさに、苦しみや悲しみを伴う逆境の中にいる人達。
逆境を突き抜けたところに、自分にしかできない生きる道がある
のかもしれません。
今まさに、自分は逆境の中にある、そう感じている方、
そんな人こそ
「同じような過ちや逆境の中で、同じような苦しみや悲しみを背負っている人たちに声をかけ、手を差し伸べる人」
なのかもしれません。
そのために、天が試練を与えてくれてるのかもしれません。
その中にこそ、私たちが、この世界に生まれて来た目的があるのかもしれないですね。
もう一度、この試練を生きる糧に変えた母と娘の、本物の笑顔の写真を見てください。
もしかしたら、もしかしたら、私たちの、
その目の前の試練は、とてつもなく大きな
神様からのギフトなのかもしれません。