2024年2月14日水曜日

3337「一面しか見ない私達」2024.2.14

  今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年01月31日の記事を紹介します。


「一面しか見ない私達」


以前書いた記事ですが、大きな自戒も込めて、加筆して掲載します。 

もう読んだよ、と言う方は、どうぞスルーなさってください。

私たちはよく、 

・パワハラ

・モラハラ

・セクハラ

・いじめ

・差別

・誹謗中傷

・人格の否定 

などを日常的な光景として目にします。

そして、自分でも、してしまいがちです。 

きっと、それは、そうする人たちが、相手の方の、瞬間の一面しか見ていないから・・・・

なのかもしれません。

また

・自分の欲望や、

・愛されたい、

・注目されたい、

・一目置かれたいという

・自尊心を満足させるために、

身勝手なフィルター越しに、相手の方を見ているからかもしれません。 

 

私たちは、

・人から嫌なことをされたり、

・人の身勝手な言動を見たりすると、

どうしても、心の中に「もやもや」が発生し、

・怒りの感情や

・仕返ししなくては

・ギャフンと言わせなくては

・正義を通さなければ 

と思いがちです。 

その結果、大切な大切な自分の心が

・イライラして

・冷静さを失い

・曇ってしまいます。

嫉妬の心もそうですね。

・何時も明るく、楽しそうに輝いている人や

・沢山の友人に囲まれている人

などを見ると嫉妬の心が芽生え、「貶めてやろう」そんな風に思う方もいるようです。

  

ですが、それは、相手の方の、ほんの一面、一瞬の姿、形、行動を切り取って

自分で勝手に解釈し、想像し、妄想し、勝手に嫉妬したり、

勝手に憤りを感じているだけではないでしょうか?

もしかしたら、その人には、私たちには見えていなくても、沢山の物語や、理由があって、 

今の言動を、たまたましてしまっただけなのかもしれません。 

私は、もうずっとずっと以前から、心に決めていることがあります。

それは、次のようなことです。

人と、会う時、その人の後ろに、その人を愛し育ててくれた

・ご両親や、

・その人のご家族 

・おじいちゃん、

・おばあちゃん、

・旦那さま、

・奥様、

・子どもたち

・その人の親しい友人たちの姿を、

思い浮かべるようにしよう。 

なぜなら、そのような沢山の人達の愛に包まれて、今のその人があるのだから。

どうしてこんなことを思ったかというと、もうずいぶん前ですが、社会人になったばかりの頃、コンピュータープログラマーとしてうまくいき、得意の絶頂にあった時、会社の同僚が自殺してしまったことがありました。 

私はそれ程、親しくはなかったのですが、私が見ていたのは、彼の単なる会社人間としての顔だけでした。

そして仕事ができるとか、できないとか。

そんな表面的な価値観でしか、彼を見ていませんでした。 

彼が亡くなり、お葬式に参列した時、もの凄い衝撃を受けたのです。

多くの友人たちが参列する中、若い息子を無くしたお父さん、お母さんが涙をこらえ、

参列者にお礼を述べていられました。

でも、本当に最後の出棺の時 、堰を切ったような慟哭があがりました。

それは、ご家族の悲しみの叫びでした。

親より先に亡くなるって、こう言う事なんですね。

私が今まで見ていたのは、会社人間としての 彼のほんの一面だけでした。

でも彼にはこんなにも多くの友人たちと、そして愛いっぱいに育ててくださったご両親がいたんです。

 

得意の絶頂だった私は、仕事が出来るとか、できないとか、

優秀か、優秀でないか、そんな表面ばかり見て人を判断していました。 

でも、もしかしたら、その方は 

・親孝行の息子さんかもしれません。

・おじいちゃん、おばあちゃんの背中で、愛情いっぱいに育てられた人かもしれません。

・子供の頃に病気をして、お母さんが寝ずに看病して下さったかもしれません。

・思春期の頃には、淡い恋をしていた少女だったかもしれません。

もしかしたら、その人は

・ご家庭では、良きお父さん、お母さんかもしれません。

・お休みの日には、子供たちと一所懸命、遊んであげている人かもしれません。

そして、仕事の要領が悪かったのは、たまたま、その分野の仕事が苦手だっただけかもしれません。

ただ、ちょっとおっちょこちょいだけだったかもしれません。

私達は、どうしても、目に見えている一面だけで、人を判断しがちです。 

そして現代のような、 

・経済至上主義、

・極端な合理主義、

・成果主義の世間 

では、なおさら人をその一面だけで判断しがちです。

見えている一面だけで全人格を判断しがちです。 

一瞬だけの態度が気にくわないからと、いじめてしまうかもしれません。

何か心配事があって、上の空で返事をしなかっただけかもしれません。

ですが、目の前の人にも、沢山の歴史がありました。

苦悩や涙のドラマがありました。

その人を愛する人達が、周りに沢山いたのです。

その人の一面だけを勝手に切り取って、その人の全人格を否定するとは、 

そういったご両親や友人達の愛や真心までも否定することです。

その方の内に居らっしゃる神様も否定することです。。

そう気付きました。 

天狗の鼻は折られました。

目の前にいる人を、一面だけで、判断してはいけない。

そう、その時 決心しました。 

自戒を込めて・・・・・ 

 

あなたが気軽な気持ちで、または自分の欲望に負けて、 

・パワハラ

・モラハラ

・セクハラ

・いじめ

・差別

・誹謗中傷

・人格の否定 

しようとする人には、 

・お父さん、お母さんはいませんか?

・おじいちゃん、おばあちゃんはいませんでしたか?

・お子さんはいませんか?

・友人はいませんか? 

その人には、生まれてから、この方、いったい、どんなドラマがあったのか想像できますか?

特に、

・自分の嫌いな方

・自分を嫌っている方

のお顔を、思い浮かべ想像してみることをお勧めします。