今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年01月28日の記事を紹介します。
「許し 幸せになるために」
今日のテーマは「許し」です。
以前書いたことがあったのですが、最近また再掲したほうが良いと思いましたので、
加筆して掲載します。
本当の、心からの幸せを得るために何が邪魔をしているのか?
特に、理不尽とも思える辛い出来事を経験した人に、何故、幸せになれない人が多いのか?
それは、憎しみの心が、幸せが来るのを邪魔をしているのかもしれません。
誰かを許すこと、それは神さまから、自分が許されること
誰かを何時までも許さないこと、
それは、いつまでも、自分で自分を許さないこと
神さまから、自分が許してもらえないこと
人を許さない限り、
自分を許さない限り
幸せになるのは、難しいようです。
さて、
愛媛県西条市に「のらねこ学かん」という知的障碍者のための通所施設があります。
ここを自費で運営し、ハンディのある人たちの人生の花を開かせている塩見志満子さんという方が居られます。
今日は塩見さんのお話です。
<引用開始> 引用元
塩見さんの人生は、まさに試練に次ぐ試練の連続でした。
壮絶かつ感動的な人生体験、そこから掴まれた信条を学ぼうと、いま全国各地から講演の依頼が舞い込んでいます。
塩見さんが語った「降りかかる逆境と試練が、私の人生の花を咲かせた」とは──。
──そこから学かんの立ち上げまでは、どのように進むのですか。
1つのきっかけとなったのは私が38歳の時に、小学2年生の長男を白血病で失ったことです。
白血病というのは大変な痛みが伴うんですよ。
「痛い、痛い」と叫ぶと脊髄から髄液を抜く。
そうすると痛みが少し和らぐ。
それを繰り返すわけですよ。
ある時、長男はあまりの痛さに耐えかねて、そんなこと言う子じゃないんですが
「痛いが(痛いぞ)、ボロ医者」と大声で叫んだんです。
主治医の先生は30代のとても立派な方で「ごめんよ、ボク、ごめんよ」と手を震わせておられた。
長男はその2か月半後に亡くなりました。
49日が済んだ後、主人と2人、お世話をかけたその主治医の先生に御礼を言うために病院に行きました。
ところが、いらっしゃらないんです。
聞いてみたら、長男が死んだ後、
「僕は小児がんの研究をするためにアメリカに渡る」とすぐにその病院を辞められたと。
私たちは「ボロ医者」という長男の一言が、この先生をいたく傷つけたかもしれないと思うと申し訳なさでいっぱいでした。
後で知ったのには、その先生は10年間アメリカで小児がんの研究をした後、小児がんの権威となり日本の国立小児病院に帰ってこられたそうです。
いま思い出しても本当に素敵な先生でしたね。
──そうでしたか。
長男が小学2年生で亡くなりましたので、4人兄弟姉妹の末っ子の二男が3年生になった時、私たちは「ああこの子は大丈夫じゃ。お兄ちゃんのように死んだりはしない」と喜んでいたんです。
ところが、その二男もその年の夏にプールの時間に沈んで亡くなってしまった。
長男が亡くなって8年後の同じ7月でした。
──プールの事故で突然。
近くの高校に勤めていた私のもとに「はよう来てください」と連絡があって、
タクシーで駆けつけたらもう亡くなっていました。
子供たちが集まってきて「ごめんよ、おばちゃん、ごめんよ」と。
「どうしたんや」と聞いたら10分の休み時間に誰かに背中を押されて、コンクリートに頭をぶつけて、沈んでしまったと話してくれました。
母親は馬鹿ですね。
「押したのは誰だ。犯人を見つけるまでは、学校も友達も絶対に許さんぞ」
という怒りが込み上げてくるんです。
新聞社が来て、テレビ局が来て大騒ぎになった時、同じく高校の教師だった主人が
大泣きしながら駆けつけてきました。
そして、私を裏の倉庫に連れていって、こう話したんです。
「これは辛く悲しいことや。だけど見方を変えてみろ。
犯人を見つけたら、その子の両親はこれから、過ちとはいえ自分の子は友達を殺してしまった、という罪を背負って生きてかないかん。
わしらは死んだ子を、いつかは忘れることがあるけん、わしら2人が我慢しようや。
うちの子が心臓麻痺で死んだことにして、校医の先生に心臓麻痺で死んだ という診断書さえ書いてもろうたら、学校も友達も許してやれるやないか。そうしようや。そうしようや」
私はビックリしてしもうて、この人は何を言うんやろかと。
だけど、主人が何度も強くそう言うものだから、仕方がないと思いました。それで
許したんです。
友達も、学校も。
──普通の人にはできないことだと思います。
こんな時、男性は強いと思いましたね。
でも、いま考えたらお父さんの言うとおりでした。
争うてお金をもろうたり、裁判して勝ってそれが何になる。
許してあげてよかったなぁと思うのは、命日の7月2日に墓前に花がない年が1年もないんです。
30年も前の話なのに、毎年友達が花を手向けてタワシで墓を磨いてくれている。
もし、私があの時学校を訴えていたら、お金はもらえても こんな優しい人を育てることはできなかった。
そういう人が生活する町には できなかった。
心からそう思います。
<引用終了>
さて、子供が夭逝(ようせい)=早く亡くなると言うのには、大きな大きな意味があるそうです。
両親や、周りの人に気付きを与えるため・・・。
塩見志満子さんのお子様たちの場合には、小児がんの研究者。
そしてご両親の「許し」という崇高な行為と、その後、ご自身の
「知的障碍者のための通所施設」の自主運営に続いて行きました。
お子様2人も早くに無くされることは、大変な悲しみだと思います。
子を持つ親として十分察しできます。
ですが、その悲しみを悲しみのまま、憎しみを残すことなく、許し、ご自分の心の中の黒い霧を払われ、世の中に尽くす所まで進められたのは素晴らしいことだと思います。
私達は、とかく、人を憎んだり、恨んだり、仕返ししようとしたりします。
「同じ苦しみを味あわせてやる」
また社会全体を憎しみの対象とします。
ですが、仕返しは、私達がやることではありません。
それは神様の領域のお話です。
「復讐するは我にあり」の 我とは 神様のことです。
人を許すこと、自分自身も許すこと、人を愛すること、大変 難しいことかもしれませんが、
それは私達のハートの中に居らっしゃる神さまの特性です。
私達も、今はできなくとも、その神さまのように、いつか、いつか振る舞うことが出来るはずです。
あなたには、許せない人はいますか?
憎しみをたぎらせている相手はいますか?
それとも、特定の人ではなく世の中を、憎んでいらっしゃいますか?
誰かのことを許せれば、
それは、神さまの前において
自分自身を許すことになります。
自分自身を愛することに繋がります。
自分自身を愛することができたなら、私たちは、また一つ、
心の世界において、神さまに近付くことになります。
何時までも憎しみに、しがみついた 暗黒の世界
そしてもう一方は、愛と許しの 光の世界。
心の分かれ道です。
どちらに進まれますか。
先に亡くなった家族や、ご先祖の方々は、残された私たちに、
どちらを望んでいらっしゃるでしょうか?
そして、あえて理不尽に見える逆境を準備された神さまは
何を望んで、そうされたのでしょうか?