2020年1月7日火曜日

1909「シャーマンライブツアー4」2020,1.7

 御所野遺跡に到着しました。駐車場からゲートを通り長い橋の回廊を進みます。橋の下には川が流れ自然な佇まいです。回廊を抜けると正面に御所野縄文博物館と芝生の遺跡跡が目に入ります。御所野遺跡は以下の様に紹介されています。

「御所野遺跡            一戸町岩舘御所野2

  

 岩手県北部の馬淵(まべち)川東岸、標高190m~200mの河岸段丘に立地する縄文時代中期後半(紀元前2,500年~紀元前2,000年頃)の大規模集落遺跡です。
 中央の広場に配石遺構を伴う墓地が造られ、それを囲んで竪穴建物跡、掘立柱建物跡、祭祀に伴う盛土遺構などが分布し、さらにその外側の東、西にも竪穴建物跡が密集するという集落構造が明らかになっています。
 御所野遺跡は、当時の人々が長期間にわたって安定した定住生活を示す具体的な物証であり、周辺の自然環境と共存しながら一体となった計画的土地利用を段階的に跡付けることができる顕著な事例です。
 盛土遺構からは、土器や石器とともに、焼かれた獣骨や植物種子、さらに祭祀遺物と考えられる土製品などが集中的に出土していることから、火を使用した「送り」などの祭祀が行われていたと推定されます。
 削平地に構築された土坑墓はいくつかのグループをなし、それぞれ土坑墓の周囲には径2~3m程度の配石が構築されています。配石は、全体が径30~40mの環状の配列となり、東西2か所に形成されています。配石の外側には掘立柱建物が同じく環状に配置され、配石周辺の柱列や単独柱などとともに独特の祭祀空間を形成しています。
 竪穴建物跡は、大型建物跡を中心に3~5棟の中・小型建物跡の配置を基本単位とする構成が確認されていることから、大家族の分住を示すのではないかという研究も出されています。それらの中には、焼失後に廃棄されているものもあり、その状況を調査した結果、これらの竪穴建物跡は土で覆う屋根構造だったことが明らかとなりました。」

 博物館でトイレを済ませて遺跡の方に向かいます。とても良い天気です。暖かい日差しを浴びて解放感いっぱいです。古を偲び、意識が呼び戻されそうな感じです。復元されていている掘立柱建物や土屋根住居に点在していますが、林に囲まれた広い原っぱが何とも良い感じです。








  その一番大きな土屋根住居には入る事が出来ます。全員が入り中央の囲炉裏跡に神人さんが立ち、周りを皆さんで取り囲みます。丁度全員が良い具合に立ち並ぶことが出来ました。入口からの陽の光が神人さんに丁度良い感じにあたります。そこで神人さんのシャーマンライブが始まりました。皆さんで手を打ち鳴らし、神人さんは意味不明の歌を唄います。
 

 10分ほどのライブは終わりました。神人さんが言うにはこのライブで多くの霊存在が現れ、お話しを交わしたようです。そして次の様に話されていました。
「ここにいる霊体には生まれ変わるという考えが無いそうです。ずっとそのままでここに居るようです。ここの霊人たちが暖かく迎え入れてくれました。その時代がこの空間にそのままに残っていました。」

2020年1月6日月曜日

1908「シャーマンライブツアー3」2020,1.6

 次の目的地は一戸町岩舘御所野2にある御所野遺跡です。高速道路を北上し一戸ICで下ります。神人さんをお連れするのは初めてです。
 この遺跡は縄文を代表する北東北の貴重なものでユネスコの世界遺産登録を目指して活動してきている遺跡群の1つです。先月末に以下の決定がなされています。
「本日(令和元年12月20日)、2021年の世界遺産登録をめざし、ユネスコへ「北海道・北東北の縄文遺跡群」の推薦書を提出することについて閣議了解がなされ、縄文遺跡群のユネスコ推薦が正式に決定しました。“世界をめざすJOMON“の大きな一歩です!!」
簡単に縄文の世界を紹介します。

・縄文文化とは
 氷河期が終わるとともに、石器を主な道具としていた旧石器時代は終わりを告げ、約1万5,000年前に縄文時代が始まりました。この時代の文化を縄文文化と呼びます。
 急速に温暖化が進み、ドングリ類やクリ・クルミが実る豊かな落葉広葉樹の森が広がり、海面の上昇や降雨によって運ばれた土砂の堆積によって、魚介類が豊富に生育できる地形や環境が形成されました。
 縄文時代の開始とともに、新たに土器が出現しました。縄文人は、土をこねて思いどおりに形を作り、火熱による化学変化を起こすことで、より強度な容器を手に入れました。それにより、「煮る」などの調理や「貯蔵」も容易となりました。「煮る」ことにより、堅いものが柔らかくなり、植物のアク抜きもでき、より多くの自然の恵みを利用できるようになりました。土器の出現は、縄文人の食生活に大きな安定をもたらしたと考えられます。
 また、遠くから安全に獲物をしとめることができる弓矢が使われ、魚介を獲るための釣り針、銛などの漁労具の開発も進みました。さらに、イヌが飼われ、植物の栽培も行われるようになりました。縄文時代は、食料を主に狩猟・採集・漁労によって得ていました。
 移動生活から定住生活へと大きく変化し、生活の拠点であるムラが出現しました。ムラの中には住居や墓が作られ、やがて地域を代表するような拠点的なムラも現れました。そこには太い柱を使った大型の建物やまつりの場所である盛り土などの施設、大規模な記念物である環状列石(ストーン・サークル)も登場しました。
 縄文人の平均身長は、男性約157センチメートル、女性は男性より約10センチメートル程小柄で、筋肉質の体をしていたようです。顔は彫りが深く、二重瞼で唇が厚いなどの特徴があったと考えられています。また、縄文人には虫歯が見られることから、デンプン質の食料を大量に取り始めたことが考えられています。鞭虫の寄生虫卵も大量に出土しており、どうも腹痛に悩まされていたようです。足首の関節が変形している場合があり、しゃがむ、蹲踞の姿勢が多かったことが推測されています
 縄文時代の始まりを示す最古の土器が青森県から出土していることなどから、現在では東アジアの極東地域で土器が最も早く発生したものと考えられています。
 長江下流域では、日本の縄文時代早期にあたる約8,000年前には稲作が始まり、少し遅れて中国東北部でもアワやキビなどの雑穀栽培が始まりました。
 ちょうど三内丸山遺跡が栄えた縄文時代中期の頃、世界では、黄河流域には黄河(中国)文明、インダス川流域にはインダス文明、ナイル川にはエジプト文明、ティグリス・ユーフラテス川流域にはメソポタミア文明が生まれ、華開いていました。
 縄文時代は、日本列島で本格的な稲作が始まる約2,300年前の弥生時代の開始まで、約一万年間続きました。縄文文化は、非常に長い期間続きましたが、それは停滞でも未発達でもなく、優れた技術や豊かな精神世界を持ち、成熟した社会であったと考えられます。狩猟採集文化が極限まで発達したものと言えるでしょう。
 また、縄文人は、現代人の直接の祖先と考えられますから、縄文文化の延長上に現代の生活が成り立っていると言っても過言ではありません。

・縄文遺跡群について
 北海道・北東北の縄文遺跡群は、津軽海峡を挟んだ日本列島の北海道・北東北に位置し、縄文時代の各時期(草創期、早期、前期、中期、後期、晩期)における、人々の生活跡の実態を示す遺跡(集落跡、貝塚、低湿地遺跡)や、祭祀や精神的活動の実態を示す記念物(環状列石、周堤墓)で構成された17遺跡からなる考古学的遺跡群です。
 縄文時代を彷彿とさせる植生や地形など、豊かな自然環境が保全されている遺跡が数多くあり、また、周囲のガイダンス施設や資料館では、発掘調査の状況や、縄文人の傑作とも言える土器や土偶などの遺物が数多く展示されています。


  詳しくは以下のサイトをご覧ください。https://jomon-japan.jp/

2020年1月5日日曜日

1907「シャーマンライブツアー2」2020,1.5

 釜石環状列石はレプリカが復元されて展示されています。その周囲には雪が残っています。駐車場から向かいます。以下の様に紹介されています。

「釜石環状列石(かまいしかんじょうれっせき)は、岩手県八幡平市柏台(旧・松尾村寄木字畑、通称釜石地区)にあるストーンサークルである。発掘現場は埋め戻され松林となっており、現在隣接するさくら公園に一部レプリカが復元されている。


 昭和28年に発掘調査された同遺跡は、縄文末期の人々によって作られ、環状列石群の中央のものは直径12mもある大型なもので、その中央には火を炊いた後がある直径1.5mの石囲いがある。北側には縦横2mの石を敷き詰めた祭壇状の張り出しがある。祭壇状の石敷きに立ち真南を見ると、中央部の石組みの延長上に岩手山の山頂部が見通せた。
 さらに周囲には、衛星のように直径3m程度の小型の環状列石が配置されていた。少なくとも大小7基の環状列石が確認された。この現場写真の一部や資料は八幡平市歴史民俗資料館に所蔵展示されている。環状列石の周囲には住居跡が発見され、さらにその付近からは土器、土偶、土版、石版、石器などが発見されている。これらは縄文晩期の亀ヶ岡式土器であるという。
 発見者は柏台地区の工藤栄三郎で、松尾鉱山小学校屋敷台分校在学中の昭和15年4月に発見した。最初は不思議な物としか思っていなかったが、樺山環状列石の発見により当時を思い出し、昭和26年工藤によってさらなる調査が行われた。石器や土器が出るので巨石記念物であると思った工藤は、現地は耕地のため早期に調査をしないと除去されることを危惧し、慶應義塾大学の江坂輝弥教授に現場写真を添付した。
 昭和27年8月、岩手県教育課と江坂教授が調査を行い、さらに11月岩手県文化財専門委員の板橋源岩手大学教授と、慶應義塾大学の松本・江坂教授による予備調査が行われた。さらに昭和28年5月発掘調査が実施され、巨石記念物や住居遺跡の発掘が実施された。当時の発掘された土器や石器、土偶は地元に返還される予定であったが、研究が終わり2017年慶應義塾大学より返還され、岩手県八幡平市博物館で企画展「おかえり松尾釜石環状列石」が行われる。
 2012年個人が所有する土偶の下半身部分と、慶應義塾大学に保存されていた土偶の上半身部分がぴたりと接合することが分った。これは、岩手県立博物館専門学芸員の八木勝枝が発見、確認したもので、2012年7月14日から盛岡市県立博物館の「土偶まんだら展」で一般公開された。発掘から半世紀を超えて接合が確認されたものは珍しく話題となった。土偶は上下を合わせると、身長24cmともなった。」

 このストーンサークルでは以前にも神人さんのシャーマンライブが行われています。サークルの中央に神人さんが岩手山を背にして立ち太鼓を打ち鳴らしライブが始まりました。10分ほどのライブ穏やかな日差しを満々と頂き自然と響き合い、無形存在とも調和出来きました。「この地でかつて住み、栄えていた各地の部族の長が集まり歓迎してくれた。」と神人さんがお伝えくださいました。








2020年1月4日土曜日

1906「シャーマンライブツアー1」2020,1.4

 2020年の新年を穏やかに迎える事が出来ました。今年も当ブログ「自分で自分を自分する」を宜しくお願いします。
 さて2019年11月23日のイベント、神人陸奥・縄文・二湖巡りの旅、シャーマンライブツアーの内容をお伝えします。

 11月23日朝6時半過ぎに神人さん達と待ち合わせして仙台駅に向かいました。今回は岩手県、青森県、秋田県の北東北の縄文のエネルギーポイントを巡る旅です。参加者は総勢33名で大型貸し切りバスで巡ります。6時50分集合で、途中でピックアップの1名の方がいますが、32名全員揃い、定刻にバスは出発しました。
 良い天気に恵まれ幸先良いスタートです。神人さんから皆さんへ挨拶をして頂き、暫しお休み頂きました。持参した朝ごはんのおにぎりを食べましたが、神人さんにはカレーライスの差し入れです。カレーの入ったジッブロップにご飯を入れて召し上がって頂きましたが中々美味しいと好評でした。神人さんは大のカレーライス好きで目が無いのです。
 


少ししてから神人さんからツアーの始まりに当たってのお話しを頂きました。
「私は子供の頃に将棋をしていました。将棋では差し手に好手、妙手、奇手という表現があります。将棋では必ず、局面が好転する手があるのです。
 私は今、将棋4段です。子供のころから時間をかけて4段になりました。小学生の頃に周りには天才的な子がいて、彼らは早く昇段して行きました。しかし私はようやく10年前に4段を取れました。じっくりと継続してやり遂げて、4段を達成出来た事は自信になりました。コツコツと努力し目標に向けて進むことで実現することが出来ました。まさに継続は力なりです。

 このツアーは毎回、参加者が違い、巡る場所も違い、天候も違い、その時のエネルギーも違います。そういう中で、今回、この旅でしか味わえないものがあります。最高の旅にしようと皆さんも思い、そのように変えて行く意識が大事です。
 ここには自分と異なる人しか居ません。そこで皆さんと関わる中で気付きがあります。自分から声を掛け、そして観察すること。目的を立てて関わることが良いかと思います。この2日間、楽しい旅としていきましょう。」


今回の旅に臨む大事な意識のお話しいただけありがたいことです。
 最初の目的地は岩手県八幡平市柏台釜石地区にある釜石環状列石です。盛岡市を過ぎる辺りから南部富士、岩手山が見えてきます。良い天気で山容が見えますが少し頂上に雲がかかっています。岩手山SAでトイレ休憩の時には雲は消えて山頂に雪を頂く全容が綺麗に見えます。岩手山が全容を見事に見せる事は稀な事です。神人さんはじめ皆さん写真撮影です。




  松尾八幡平ITで高速道路を下りて八幡平リゾートエリアに向かいます。正面に岩手山が見えますが、なにやら雲が地から沸き上がり山の北麓から山に覆うような感じで流れ、頂上付近まで被り出しました。




 神人さんもバスを降りて写真を撮り始めました。陸奥の地のエネルギーが私達を快く招き入れてくれているようです。


 バスは発車して程なくして釜石環状列石に到着しました。そこで盛岡のSさんが待ち受けていて全員、33名が揃いました。

2020年1月3日金曜日

1905「浄音浄化6」2020,1.3

 次の曲は「光」です
 ヤンヤンエーヨーオ、とは素晴らしい世界の事です。初めて聞く人はどんな印象かな。
私にはそっくりな従兄弟がいます。双子で兄は「アオモリけんじん」、弟は「けんじん」。実は神人とで1人3役をしています。
 私は音楽が好きで一通り聞いてきましたがクラシックは向いていないです。演歌も向いていないと思っていたのですが、今は向いてきたようです。それぞれの良さがあります。
 霊媒をしていると曲をもらえるし、歌詞も浮かんでくるのです。それが15年以上続いています。しかし無暗にもらえなくなりました。1曲、1曲しっかり歌えるものになりたい、と丁寧に歌う様に練習しています。
 「けんじん」も「アオモリけんじん」も頂きものです。何でも流れて来ます。一通りのジャンルを形に残してきました。MCも青森弁でするので皆が分からない。特に西日本にそのニーズが無いので向かないです。私も青森の言葉を大事にしたいと思う年代になりました。
 若い頃は青森と言う事にコンプレックスを持っていましたが、30才を過ぎて田舎をいとおしくなってきました。ライブで青森弁で話したら受けたのです。東京に出る前の自分に出会えた。やっと自分に出逢えた感じがしました。

 虚構は「けんじん」で、神人はコラボレーションでしています。神人をしている時に、今のように素で話している事はめったにありません。神人の時は霊媒だけでしています。でもこういう事が出来るのが50才になったからです。
 モテたい、格好いいと思われるのはもういいです。満たされました。格好つける事は無意味で、素に戻ろうと、自分を大切にしようとしたら、自分が大切にしていた、隠していたものが出てきました。消していないでありました。「けんじん」には格好いい、を演じてくれていた霊人がいました。それに気づいたのは霊媒になったからです。本物が架空の人が発するエネルギーで違いが分かります。そこに違和感があります。
 次の曲は「しずく」です。


 格好つけていた頃、20才半場の時に、全く不向きな違和感のあった曲です。しかし、この曲は未来の自分がくれた曲でした。その時に何なんだこの曲は、と思いました。

 次の曲は「大丈夫」。
 苦しかった20歳の頃、とてもネガティブでした。悲観的で自分に自信が無く、人を信じていない。霊媒になったのですがその事を受け入れていない。どうしよう、どんな未来があるのか。そうしたら、「あなたの未来は素晴らしい」と言ってくれた。それが本当か試してみたくなりました。そしたら本当だったのです。指導霊が励ましの言葉として言ってくれた曲です。泣きながら作った曲です。

 次は「幸せの種」です。レゲイの曲です。
 私は沖縄が大好きです。何故好きになったのか?沖縄が暖かいから。20才台の時に日本
1周しましたが、旅の中でインパクトが大きかったのが北海道と沖縄でした。そこは際立っていました。
 沖縄の全部の離島までは行っていないですが、キャンプ場で1か月いました。そこでウミンチと仲良くなりました。私は板前で腕は早い。そこで不法な漁をして獲ってきた魚をさばいていました。そこはツーリングの人の聖地と言われていました。魚をさばいて、そこに来た人に振舞っていました。そこにはタダでいれました。そこへの移住は止めましたが毎年行っています。

 もう時間なくなりました。最後の曲は「地球」です。」


 最後は皆さんハッピーで盛り上がりました。終了は22時を過ぎています。明日からは陸奥縄文シャーマンライブツアーが早朝出発です。片付けて遅い晩御飯をお蕎麦屋さんで頂きました。定禅寺通りでは仙台の冬、12月のイベントの光のぺージェントの設置作業が行われていました。



2020年1月2日木曜日

1904「浄音浄化5」2020,1.2

 お伝えは40名ほどの方が拝受し頂きましたが、予定の1時間丁度で終わりました。驚きです。休憩をはさんで第3部の神人弾き語りライブ「祈り歌と祭り歌を唄うシャーマニックな世界」が始まりました。神人三のMCを紹介します。

 「霊媒になり21年目になります。こういう生き方を受け入れてきた自分を褒めたいです。1歩間違っていたら病院か、引きこもりか、犯罪者になっていたかもしれません。世の中には重いものに乗っ取られ、人格崩壊している人がいます。そんなのに操られるくらい、自己否定していたことが問題です。
 悪者はうじゃうじゃいます。自分を大切な人間と思えて、生きられるようになると乗っ取られません。自己否定になると乗っ取られてしまいます。皆さんが乗っ取られると、目に変化が出ます。しかし神人は助けません。それも学びだからです。ただ繰り返すだけです。
 私は色々な出会いがあり、愛してもらい、生きる決意が出来ました。その事にお返しして出来る限り生きて行きたいと思います。」
 最初の曲は「感謝」です。


 「仙台でのライブは全国で1番古いです。今年で13年になります。変わらず主催してくれてありがとうございます。私の仕事はお客さんが来てくれないと生きていけないです。
 神人を始めて15周年。神人だけで食べるようになって11年です。それまでは板前をしていました。その当時は霊媒で親に迷惑かけていて、これ以上迷惑を掛けられない、が功を奏しました。
 母が亡くなり、父の面倒をみていた妹がやばくなり、父を京都に引き寄せました。32年振りで同居して、お互いが緊張する日々です。何を話したら良いか分からないのです。真面目な話出来ないし。父は学校の校長で超頭が良くて、バリバリの合理主義で面倒臭い人です。青森県の教育界での革命児でしたが、その人がよぼよぼになると難儀なことです。たまにパーキンソンの爺と酒を飲む良い時間があります。色んな楽しさがあります。
 2曲目は「地球の声」です。

 里美さんお誕生日おめでとうございます。3回目の20才おめでとうございます。(神人
さんからシクラメンの花のプレゼントをいただきました。)



「おめでとう」の歌です。

 父との同居は大きい出来事でした。妻が頑張ってくれています。妻はエリート看護師で、父の面倒を見てくれて感動しています。私は小さい頃、4才の頃から看護師と結婚したいと思っていました。看護婦さんは皆良い人です。子供のころから病院は楽しいところ、と私の意識に植え付いています。大きい病院だと楽しくなります。
 ファーストアルバムのタイトル曲「和」です

 常連の人で和を聞いている人が多いです。何故新しいアルバム聞かないのかと思い、改めて和を聞いてみたら良い曲が入ったアルバムでした。自分の言いたいこと、曲がメッセージとしてコンパクトに入っているのです。2枚、3枚目はメッセージ性がなくなり、祭りなどになって、シャーマニックになっています。
 今、自分を残したいという欲求が強いです。しかしそれをやろうとすると時間が足りないです。練習の時間も必要で、仕事もあり、家、家族のこともあり、何に時間を使うか優先順位があります。年とともに体力の問題も出ています。最終的に音楽は止めるつもりです。そしてしゃべりたい事をしゃべる生き方を60才以降考えています。物書きにもなるつもりです。
 でも今は曲を作りたい、アルバムを作りたい、の欲求が強いです。お金の使い方も後悔しない順番があります。20才台の時に物書きになると決めました。色んな経験の後に書きたいのですが、まだ歌いたいです。やがてシナリオを書きたいと思っています。面白いもの、起承転結をしっかりして書きたいです。今、そのネタを集めていますが、ネタに困まりません。相手は霊界だからネタは無尽蔵です。

2020年1月1日水曜日

1903「浄音浄化4」2020,1.1

・F、Yさん
「人との摩擦、関わり方、相手に何を望んでいるのか。
 相手の望みを叶えて上げれば大切に思われるが、与えようと思うと憎まれる。
 望みを与えてあげたいと思うと愛される。」

・O、Nさん
「強がらないこと。強がらない事は無理をしない事。5のものに5で良い。2は2で良い。1つ1つそのままに認める自分になれば、自然に生きる事。
 全ての選択の仕方で自然に向き合うと良い。自分の表現、感情もそのままで良い。
 喜びの表現が足りない。」

・T、Sさん
「苦しみは浄化されている。次々に終わって行く。
 これからの晩年は如何に喜びを与え、何処まで望むかが課題だ。
 苦しみ、悲しみを浄化は終わり、喜びをどれだけ与えるか。
 1人1人に向き合う。どのように与えるか。」

・T、Oさん
「自分の役割は何でも成れると思う。その時々に与えられ、求められたものがその時の役割で、己が試されているもので、変わり続けて行くもの。
 捉われずにその時期が分かる様になる。自然に変わり行く。それが良い。
 必要な所へ行き、必要な人に会う。多くの人と出会う事でもある。
 求められても出来ない事で、それで良いと苦しまなくて良い。」

・O、Yさん
「そこにあるのに向き合う。なんで、どうしたいのか、受け止める。逃げないと決め、どうすれば解決するか自分で考え、分からなければ周囲に尋ねる。
 何が出来るかと覚悟を決めればどこでも生きられる。」

・I、Mさん
「自分の人生は面白い。面白いという表現がどう面白いか人に伝えて行く様に纏めて行く。自分を形に変え、整理整頓し、色んな指針になる。時間が限られている中で言葉を選ぶ。」

・O、Nさん
「道はおおよそ見えてきた。その道を歩むと腹に据えたからだ。これから可能性を楽しむ自分に変える。道は定まった。そこへ向けての己の想いを改善する。
 楽しくなる。楽しくなれば愛する者と役目をすること次第。」

・A、Tさん
「手を組む時期が来た。仲間を増やす。個では弱い。自分から行く。何を語り、どうしたいかを纏めて行く。出来ると思えば楽しくなる。」

・K、Mさん
「笑う事。どんどん笑う事。これまでの事、今、これからのことも笑って返すと決めればよい。悪い事をしていない。くよくよせず認め感謝に変え、感謝に見合う笑顔に変える。」

・Y、Tさん
「人それぞれ見合う物がある。見合うか、見合わないかを見極められる事が幸せ。
 年の功はそれが出来る人。その人の身になり考えられる者になる。」