2018年1月12日金曜日

1182「伊達12」2018,1,12

・O、Tさん
「全国を中山さんと回り、皆さんと交わることが出来る事で学びが多いし、繋ぐことも出来ます。中山さんのあわ歌が変化する度に音を聞いているので、その音の変化に慣れるのが早くなりました。自分の変化を見て、未来もただただでやって行きたいと思います。」

・中山博さん
「あわ歌を歌いだして23,4年になります。私は最初はもっと能力があったと思います。相手の事がすっと分かって言えて、何でも出来ると思ったのですが、1年でその能力は全部消されて、ただ歌うしかなくなりました。それから10年やって、何も無い、ことを教わりました。
 その後、皆さんと一緒に歌うようになりました。あわ歌を歌いたくない、という自分が皆に歌わせる為に、歌うしかない、と思って歌っています。歌う時に一生懸命するしかない。こっちを無にして、ただ歌うしかない。丸森の立石で歌っている時に、何を歌っているのか、無くなってしまいました。
 この様に皆さんに言って頂くのが頼りです。どこが悪いのか自分で考えないといけないが、毎回聞きたいし、言って欲しい。昨晩といい、今日もこの様に皆さんとミーテイングをやってくれるのはありがたいです。」

・I、Tさん
「昨晩話していた時、与える、授けていく、というスタンスが分かり易かった。1つに成るのは違うので出来ないと思う。この世界だと成れない何かがあるが、元々授けるは同じもので引き継がれ、変化を見るイメージが授けるという事かなと思う。
 授けるは差がある。上位から下位へだが、他に延長していけない。自分が出来ていないと認識したい。出来ると我が出てしまうので、希望だけでなく自分がこうだと認める事から拡げて殻を破っていく事。それを認識してやって行く。自分が作った世界を認識して、あわ歌の響きは受け継がれ、受け取るだけとの認識も必要でないか。自分で作っていることでそうなっていると認識して、日々、目の前のことをやって行く事を、解放出来るのかと思うが、中々難しいと感じている。」
中山さん
「瞬時に変えられることが今、AIやコンピューターで出来ている。自分もそれと同じで100匹目の猿と同じ事がおきるので無いかと思う。早く無くせば早くなる可能性はある。」
I、Tさん
「時間と空間で生きているので個別に見ている。本来は1つでコンピューターと同じで、そこでは違う事をインプットして行くので一緒に変わって行きたいというスタンスでないと変われない。」
中山さん
「一緒でないと滑る状態になる。」
I、Hさん
「あわ歌は時間の短縮が明確で期待はあるがそれだけでは駄目だ。」
中山さん
「可能性を信じてくれると変わる。」

・T、Sさん
「何を言うか、立ち位置が分からない。あまり拡げすぎると分からなくなるので肉体の範囲の中で押さえていく。I、Tさんの頭の中で考えている世界を一度消すことも必要かと思う。
 昔は狭い世界観があったがあわ歌をそれで進んできた。身体の反応があったが分析でそれは可能だったが自分がこれからどう変わって行くか分からない。
 熱日高彦神社に以前行き、今回久しぶりに行ったが、中山さんに会話をしてもらったが相手は要らないという遣り取りがあった。それを聞いていて面白いと思った。それが良い、悪いは誰も言えない。良かれと思っても相手には関係ないことがある。黒石寺は何度も足を運んだが、そこでは予想だにしない答えが出たことがある。
 来年が新しい響きを下さり、揺らがずに、との事を受け、揺らがない自分を作る為にあわ歌が必要だと思う。現実的に周りのことで、揺らがない為に必要なこと、家族を繋いだ遺伝子を上手くやって行きたい。
 身近な人の死に目を見ているが個性的で辛いものを残していっている。人が死に、自分がどういう死に方をするか考えている。あの人の死に方が良かったと、自分が穏やかな生き方でと、そう思っている。そう日々準備して行きたい。
 あわ歌はその中で必要な事だ。周波数に慣れさせることをしている。瞬時に身体が反応する自分がいて、是からが楽しみだ。」

・K、Yさん
「いろんなところが振動して凄く眠かった。車の中で眠かったが巡りが終わったら眠気が覚めた。いっぱい情報を浴びたと感じた。身体で振動を受けて、自分が必要な時に動けて、必要な時に回りに振動を発して行く自分に成って行きたいと思う。」

 3日間のあわ歌の集いは終わりました。大きな導きの中に繰り広げられる世界は面白くもあり、不思議で未知の世界への歩みです。善き仲間とのご縁があればこそです。お別れの食事会を中華屋さんで行ないましたが、光のページェントも沢山の人で賑わっていました。



 次回のあわ歌は2018年2月10日から12日です。ご縁の方は参加ください。