2016年10月6日木曜日

718「黒石12」2016,10,6

 大澤神社由来に、八幡太郎義家が「真砂姫(まさごひめ)」を哀れみ、現在の古滝大明神の地に社を建立して「瀬織津姫命」を勧請、姫の霊を弔った、とありますが、その意味を以下の様に解いています。
「早池峰山頂には、早池峰大神が鎮座することはいうまでもないのですが、ほかに「安倍貞任之霊神」もまつられています(大迫・『早池峯神社社記』)。また、貞任の母親が住んでいたとされる窟伝説なども早池峰にはあります。(途中略)
 安倍氏の女たちが信奉する神として、早池峰大神こと瀬織津姫命はあっただろうと理解しても、それほど無理ではないだろうとおもいます。こう考えますと、安倍貞任の娘である真砂姫にとっても、その信奉する神が瀬織津姫であっただろうことは、じゅうぶんに考えられることです。義家は、おそらく、このことをよく知っていたゆえに、真砂姫の霊の弔いのために、彼女が信奉していた「瀬織津姫命」を姫の霊と一体のものとして、ここに「勧請」したのだろうとおもわれます。
 では、義家は、瀬織津姫命をどこから勧請したのかとなりますが、わたしは、義家とも縁あった丹内山神社ではなかっただろうかと考えます。」
 
 更に丹内山について
「丹内山大神の出現地は「瀧神社」(現在の滝ノ沢神社)の「瀧」でした。真砂姫は「大沢の滝川」に身を投じたとされます。この大沢滝神社という社名も、正確には、大沢の「瀧神社」という意味です。大沢滝神社が、「瀧神」(瀬織津姫命)と真砂姫(の霊)をさも同体かのごとくに重ねて祭神とみていることは、由緒がよく語るところです。
 大沢滝神社が、「瀧神」をいかに重視してきたかは、古い山門に掲げられた額字「瀧大明神」にも表れていますし、山門の境内側には、昭和八年という新しいものではあるものの、その扁額には「瀧」一字のみが記されていて驚かされます。「瀧」一字の扁額などというのは、寡聞にしてほかに知りませんが、ことさらに「神」を記すまでもなく、「瀧=神」という、つよい思いのこもった額字なのでしょう。」
http://blogs.yahoo.co.jp/tohnofurindo/10622401.html

 大澤瀧神社を後にして、深い繋がりのある丹内山神社に向かいますが、10分ほどで到着です。ここにも何度も訪れています。本殿奥の御神体のアラハバキ大神の巨石が圧巻です。参道をいつもの様に進んで行くと中山さんが「ここだ!」と言います。五の鳥居の前の左手です。






 9月9日のあわ歌会で描かれた絵の処です。確かに大きな木があり、石塔が立っています。ここは丹内山神社の7不思議の一つの「肌石」です。説明は「この石には、雪が積もらないと伝えられています」とあり、地面に石の面が少し露出していますが、その大きさは分かりません。回りに石柱を立ててその周りを注連縄で結界を張っています。


 肌石の奥にある石塔には早池峰山参拝石と記されています。その奥の彼方には早池峰山があるのでしょう。アラハバキ大神、丹内山大神、瀬織津姫神の結節点かもしれません。
 石塔の横にある木の名は何と言うのでしょうか。その木の幹の樹肌が異様なのです。何かを吸収したような、こぶのような、生き物の顔のような、何とも異質な生き物が融合して木の表面を覆いつくした感じすらする、奇妙な存在です。我々人間の様に細胞膜で生きる生物では不可能ですが、細胞壁で生きる植物では2つを1つにすることは可能な世界です。

 ここでは中山さんが一人で結界内に入り、肌石の周りを回り、あわ歌を奏上しました。その時のお言葉です。
「たちまち参るぞこれよりは。生み出だすは、新たなる大きな力。
 満ち満ちて、遥かな時を超え行くなり。
 響きと共に、この山より発し行く、行く。
 うるうの力、この地を閉めて、蓋してあるは、響きを大きく伝える箱なり。
 この歌聞けば、さらなる音、この地へ発し行く。
 うお〜あ~
 これより繋がる黒き石、共に働く 大いなる石、繋ぎて下され。」12:21




発し行くこの山とは早池峰山でしょうか。是より繋がる、共に働く大きな黒き石と繋いで欲しいとのことです。今回の巡りに与えられていた課題のひとつを探しだして、果たすことが出来たようです。一安心ですが、今だ黒石の大元が不明です。いよいよ巡りも残すところ3箇所です。先ずは腹ごしらえです。