公園の看板には以下の様に記されてあります。
「ここよりのぞむ、対岸にそそり立つ岩は、鏡岩と呼ばれ古くから、地域の人々の景観地として、又信仰の対象として親しまれている。
その名の由来は、言い伝えられるところによれば、月の夜に手前にある松の影が、まるで鏡に映るがごとくに岩に映しだされ、特に十五夜ともなれば、それは見事な情景が創りだされたと言われる。
その上、中腹よりやや上方には、二間~二間半ほどの長さの三日月状の筋があったともいわれる。これらのことより、この鏡岩には、鏡権現(別称月夜権現)としてまつる小さなお宮があった。
また、鏡岩より湧き出る水は、目の病等に効用があるとして、遠方からも、この水を求めて人々が来たとの言い伝えもある。」
台風の大雨の後だったので、水の量が多く迫力のある川に変貌していました。下見ではコンクリートのループ状のところには水が流れていなかったのですが、今回は怖いほどの激流です。
川岸の巨石の上に立って暫し、激流に化した気仙川と鏡岩に見える数々の人の顔を楽しみました。中山さんの見える顔をノートに書き記されましたが、鏡は異界、と現界の中継点です。月夜には怪しげな世界が現れるのでしょう。
川岸の巨石の上に立って暫し、激流に化した気仙川と鏡岩に見える数々の人の顔を楽しみました。中山さんの見える顔をノートに書き記されましたが、鏡は異界、と現界の中継点です。月夜には怪しげな世界が現れるのでしょう。
鏡岩に向かって各自の想い想いの声を発してあわ歌を響かせました。何しろ川の音で周りの歌が聞こえないのですから、これも又善い感じです。水のエネルギーを満々と浴びて活力を頂き、1日の疲れも回復しました。
ここでのお言葉です。
「これより変わりて生まれ出づる。この地は水、岩、皆々、大きなる働きなり。
これよりも共々参る」 17:25
この鏡岩について以下の様なブログに出会いましたので紹介します。
「ところで、三日月を象徴?とされる溝は偶然だったこともないのかなぁ。ただ、お宮があった、という事なので、鏡権現とか月夜権現というのも知らないのだけど、三日月を信仰するのは、実際、北関東にあるらしい。茨城県や栃木県ですが、イボを治すといったやはりイボ取り観音みたいな感じです。目の病を治すところも、観音様のような気もします。
例えば、三日月状に切った餅をお正月に食べるとか、三日月神社もある(壬生町)
この地域の三日月信仰は、太陽は丸だが、月は三日月である。日月星信仰は、三つの円ですが、月は三日月なのだ。
そういえば、ここは気仙郡で「ケセマ」であり、ケセンが鹿島のカシマに転じ、「かせ間」という船着場の意味ではないか?との説もある。アイヌ語説もありますが、アイヌ語の方じゃないかな。横田町の話で、金氏が所領としており、関東武士団である千葉家や葛西氏がやってきた所でもある。
三日月に星マークは、千葉家の家紋がそれに似ている。伊達政宗の家紋も、月を現しているそうなので、日月星信仰という妙見になる。てことは、みんな平家の思想をもっているということか?
それが出雲信仰の月=水神に至るのかもしれない。このあたりは、月の信仰が流行っていたのでしょうか?仙台藩の伊達家もこのあたりまで所領としていた。
桓武平氏は桓武の子の葛原親王に始り、桓武天皇の母の高野新笠が出雲神族の大枝氏から出たという。
多治比真人真宗という人もいるが、この人も宣化天皇の後裔ということで出雲族らしい。
なので武蔵は出雲出身者が創った都であると?東北へ逃れたというよりか金を求めてエミシになったというのも、エミシとは出雲族のことも含まれるのだろう。
巨石やイワクラに反応する人は、出雲族の遺伝をもっているわけだ…?」