帰路の途中にある木々の実を見上げながら、駐車場には可愛い小型バスが待っています。今回は大型バスの予定でしたが、直前に参加者が少ないので中型くらいに出来たら変えて下さいとお願いしていました。小型バスは既に他の予約で難しいと聞いていましたので諦めていたのですが、丁度良い大きさです。午後に向かう大石神ピラミッドには大型バスは入れないのです。
昼食は湖畔のあるレストランやすみやで頂きました。神人さんは食事で一切も動物性の食べ物を頂きません。今回の旅行では精進料理と通常食とあらかじめ参加者に希望を伺っていましたが、半々の感じです。美味しくきりたんぽ鍋を中心にした地元食材の料理を頂きました。
大石神ピラミッドには神人さん、Oさんともに訪問したことがあります。しかしその奥にある上大石神ピラミッドの存在は聞き知っていましたが、訪れていないといいます。是非とも可能なら行きたいとお二人にリクエスト頂きました。上大石神ピラミッドへは大石神ピラミッドからの林道を600m程奥に行き、10分位の山登りになります。
今回は小型バスですのでその道を行くことは可能です。今日は時間的にも余裕でスケジュールを組んでいますので1時間弱の時間の工面も出来ますので急遽、予定に追加することにしました。
午後の最初の目的地は新郷村にある大石神ピラミッドです。ここも観光地化してきています。案内図も綺麗に整備され、巨石にも名札が立てられ、巡りの順路まで示してくれています。
ウイキペディア等には以下の様な紹介です。
「青森県の十和田湖東岸から20㎞ほどのところの山間に周囲12mほどの巨石をはじめとした石があり、方位石、太陽石、星座石、鏡石などの名称がつけられている。5万年前のピラミッドだとの言い伝えがあるという。」
「鳥居をくぐると、そこに倒れた巨石群を見ることが出来ます。こちらには太陽石、方位石、星座石、鏡石と呼ばれる岩があります。
太陽石は古代において光っており、その反射する岩に古代の人々は礼拝していたとされます。方位石は正確に東西南北を指示し、星座石には古代の星座が刻まれ、鏡石には古代文字が刻まれているとされますが地震で倒れた鏡石は、文字面が下になり読み取ることが出来なくなっていると伝えられています。
日本のピラミッドはエジプトのように人工的に石をくみ上げるのではなく、自然の山の地形を利用したものが多いと言われます。昭和10年のキリストの墓発見に続き、翌11年に日本のピラミッドとして酒井勝軍により発表されたのがこの場所です。
巨石の石質はそれぞれ異なっているという指摘があり、その一つは青森県の日本海側にある深浦から出る石質と同じとされ、岩木山麓に住んでいた鬼が戸来まで運んだという伝説が残されています。」
「竹内巨麿がキリストの墓を発見した翌日、(竹内氏に同行していた?)鳥谷幡山という人がこのピラミッドを発見した。「竹内文書」では世界各国のピラミッドの起源は日本にあったとされていて、これがそのひとつだというのだ。後に「竹内文書」研究家にして日本ピラミッド研究の大家・酒井勝軍もこの巨石群を調査し、石の割れ目が正しく東西南北を指していることを確認したという。」
詳しくは以下をご覧下さい。http://bqspot.com/tohoku/aomori/108