神社の後ろに御神体の巨石が鎮座しています。この巨石は夜鳴石と言われるようで、その謂れなどについて以下の記載がありました。
「境内の石は「夜鳴石」といわれ、部落のほぼ中央の丘の北側中段にあって、長さ約13m、幅約7m、高さは約3mとある。「夜鳴石」にまつわる伝承のあらましは──。
今から650年ほど前、無底禅師(黒石町の正法寺開祖)が布教のために奥州へ下り、黒石の地に庵を建てた。庵の近くには沼があり、沼には鎮守の神霊である鎮守姫(お池峰ともいう)が住んでいた。
禅師は、黒石の地を仏法の霊場とするよう祈ったところ、突然沼の土手が破れて水が北上川に流れ出した。そのために鎮守姫は住むところがなくなり、滝田の権現堂山にきて一晩に千の沢をつくって居住の場所につくろうとする。使いの天狗たちを働かせて999沢までつくったところで、夜明けを告げる鶏の鳴き声が聞こえ、鎮守姫は早池峰山の方へ去っていった。
鎮守姫が沢づくりをはじめた際、大石が呼び声を上げた。その声によって山の麓の石まで皆頭を権現堂山に向けたということから、この大石を夜鳴石と称し、これより呼石の地名が起こったといわれている。
要は、鎮守の神であった沼の女神(水の神)が、仏法の教化にやってきた高僧に追立てをくらい、千の沢づくりで抵抗するが、最後の一つのところで、鶏が鳴き、夜が明け、仏法に負けて、女神の住みかである早池峰山にひっこんだという話。
大石が上げた呼び声が何を意味するものかは不明だが、鳴き石と称されることから、鎮守姫の悲運をおもんばかっての泣き声と解したい。
腑に落ちないのは、ここに出てくる黒石の地とは、現在の奥州市水沢区の黒石町であり、呼石大明神とは直線距離でもおよそ40キロ、早池峰山とは60キロも離れていること。黒石町正法寺の創建は貞和4年(1348)、無底良韶(りょうしゅう)によるもので、東北地方における曹洞宗の本寺である。近くには蘇民祭(裸祭り)で知られる黒石寺(こくせきじ)がある。すでに仏教の拠点となっていた黒石に、無理に話を継ぎ合わせたように思えるが、いかがなものか。ちなみに、滝田の権現堂山は、呼石大明神から北東2キロの地点にある。標高476m。」
http://home.s01.itscom.net/sahara/stone/s_tohoku/iwa_yobiishi/yobiishi.htm
この中で興味深いのは、「鎮守姫は住むところがなくなり、滝田の権現堂山にきて一晩に千の沢をつくって居住の場所につくろうとする。使いの天狗たちを働かせて999沢までつくったところで、夜明けを告げる鶏の鳴き声が聞こえ、鎮守姫は早池峰山の方へ去っていった。」です。
鎮守姫は仏法により、黒石から追われ滝田で拠点を作ろうと999の沢を作ったが夜が明けて早池峰山に逃げたこと。この呼石大明神は早池峰山だけでなく黒石寺とも繋がりがあります。今、私たちは早池峰神社から呼石大明神をへて黒石寺に向かっています。それも黒と赤の999の車でです。999の3桁を変えて、次の桁へ進み、新たを産すことで、仏法をも含めて1つに出来ることに成るのかも知れません。
夜鳴石の巨石に向かってあわ歌を響かせました。その時のお言葉です。
「あ~あ~あ~ (あわ歌奏上)
さあさあ、ここにありて、大きなる柱を致したる元へと帰りませ。
この大きなる姿、しかと確かめたり。
これより一度沈み、その内なるを全て引き上げ、大きく飛び立たれませ。
その時、この地も篩いて変わる。いざ いざ いざや。」10:23
次の目的地は花巻市の胡四王山に鎮座する胡四王神社です。実は花巻の胡四王山と呼石大明神、そして早池峰山は一直線上に並ぶのです。