2016年10月22日土曜日

734「まほろば11」2016,10,22

 まほろばの里高畠町には見所が沢山ありますが、歴史的にも重要な場所で、縄文時代のころから生育に適した環境に恵まれて豊かだったのでしょう。
「まほろば」とは「素晴らしい場所」「住みやすい場所」という意味の日本の古語です。「周囲が山々に囲まれた平地で、実り豊かな住みよい所」という意味で使われています。
 高畠町はこのまほろばの里として以下の様に記しています。
「山形県置賜地方の東部に位置する高畠の歴史は、縄文草創期の土器が発見された日向洞窟など、一万年前までさかのぼることができます。そして、町内全域に広がる古墳群は、この地に人びとが定着し、次第に集落を形成してきた事の何よりの証となっています。」

 次の目的地の一の沢洞窟も高畠町にあります。縄文時代から古墳時代に掛けて人骨や土器など多数見つかっています。
「一の沢洞窟は、米沢盆地の東北縁、高畠町の中心街の北方山中に所在し、最上川の支流の屋代川に注ぐ支谷の最奥部(一の沢)に位置する洞窟遺跡である。この付近には、本洞窟のほかに史跡日向洞窟をはじめとし、尼子洞窟群、観音岩洞窟群、火箱岩洞窟群等十数か所に洞窟遺跡群が存在している。洞窟群がこれほど密集して分布する地は、他に類を見ないものである。
 本洞窟は、谷底から約40メートル、頂上に近い山腹南斜面に露出した凝灰岩が風化して形成されたもので、最も規模の大きい第1洞を中心とし、その東方100メートルの間に第2洞及び第3洞がある。昭和33年に発見され、昭和36年には高畠町教育委員会が発掘調査を実施した。
 洞内から前庭部にかけては第1層から第4層にわたる約2メートルの文化層の堆積があり、基盤に至る。第1層には[[土師]はじ]器、弥生土器、鉄片等が包含され、第2層は縄文時代前期の土器及び石器がある。第3層の上位には縄文時代早期後半、下位には草創期の土器及び石器類が豊富に出土した。特に第3層下位においては草創期に属する隆線文系土器様式と多縄文系土器様式とが層位的に出土し、前者から後者への変遷が初めて確認されるに至ったものである。なお、隆線文系土器様式は縄文土器としては最古の様式に属し、少なくとも、4階程にわたる変遷が認められるが、本洞窟の1群は隆線がみみずばれ状の微隆起線に変化し、更に爪形文を併用するなど最終段階の特徴を示すものである。」







 観音岩のある大洞山慶昌寺も高畠町です。
「二井宿大洞山慶昌寺境内にあり、露出した凝灰岩の風水飾作用或は、崩岩など、種々な奇観を呈し、多数の岩に、三十三観音、及、十三仏を祀る。又自然洞窟(内、評定岩、最も大なり)より縄文~弥生の土器、石器、貝殻、骨角器等の出土がある。また線彫としては日本でも有数の大きさの延命観音への参拝者も多い。
 大同年間(806年~)、徳一上人が地方布教のおり、当山に立ち寄り、夢枕に観音像が現れたので自ら千手観音を刻みまつったのが三十三観音のうちの一番観音像で、これが観音岩のはじまりといわれている。当山の慶昌寺は、天正元年(1573年)の開山と伝えられて、この西国三十三観音を中心に十三仏、延命観音、千畳敷などを結ぶ岩巡りコースや、蛭沢湖までの遊歩道も整備されている。」





 日暮れが迫ってきていますが、最初にある巨石の弁天岩まで行ったところで、熊の声を聞いて早々に引き返して来ました。
 それでも皆さん十分に「まほろば」の旅を満喫して頂けたようで良かったです。このような先祖を持つ日本人として各所にまほろばと言える場所を作り、残して行きたいものです。
 仙台駅に19時過ぎに無事到着して散会と成りました。


次回は木内さんは12月16日講演会、17~18日は「陸奥の光と陰を辿る旅」です。楽しみに参加ください。