2016年10月16日日曜日

728「まほろば5」2016,10,16

 講演会後の懇親会は9名でこじんまりした中で、木内さんを囲んでお話しを皆さんで共有出来てとても良い時間に成りました。
「君の名は」のアニメ映画がヒットしていますが、木内さんも既に観ていて、参加者で2回観た人もいて話題になりました。映画監督の新海誠さんは長野県佐久郡小海町出身で木内さんと同郷です。内容も木内さんのこれまでの体験等とも類似したものが感じられる世界のようです。私も後日、映画を観ましたがいろいろな要素がちりばめられていて、映像と相まって新たな意識宇宙を提供してくれていました。
 懇親会も早めに切り上げて、木内さんには翌日からの旅に備えて頂きました。

 18日仙台駅に6時半に集合してマイクロバスで、いよいよ「出羽・山形まほろばの旅」に出発しまいした。その様子を写真を中心にお伝えします。

 バスの旅は木内さん含めて12名です。ゆったりとした車中で一路、山形県鶴岡市の湯殿山神社に向かいます。外は生憎の雨ですが。それも又良しです。

 始めに木内さんから挨拶を頂きましたが、早朝出発ですので暫し睡眠専用バスです。湯殿山神社に8時15分頃に着いて、参拝バスを乗り換えます。参道の聖域からは写真撮影は禁止です。




 五分ほど歩いて社務所で手続きをして拝観料を支払い、靴を脱いで素足になり、お払いを受けて、ご神体の温泉の湧き出る巨石に登り参拝しました。参拝すんで下って、足湯を楽しんで芯から温まりました。旅の始めに湯殿山神社を参拝でき、この旅の実り多きこと、これからのご加護と幸多き事を頂けて様です。登りの参道を帰りますが、足取りも軽く良い感じです。

 湯殿山神社に付いて以下の記載があります。
「古来から修験道を中心とした山岳信仰の場として、現在も多くの修験者、参拝者を集めている。
 湯殿山神社は、本殿や社殿がない点に大きな特徴があるが、もともと湯殿山は山岳信仰の対象であり、山自体に神が鎮まるものとして、人工的な信仰の場をつくることは禁じられてきたという。
 明治以前、三山において神仏習合の信仰が盛んだったころ、羽黒山は観音菩薩(現在)、月山は阿弥陀如来(過去)、そして、当時三山のうちに含まれていた葉山や薬師岳は薬師如来(未来)とされた]。一方、湯殿山は「三山」というよりもそれらを超えた別格のものとして、大日如来とされていた。
 こうして、出羽三山においては、観音菩薩・阿弥陀如来・薬師如来の導きにより現在・過去・未来の三関を乗り越え、大日如来の境地に至って、即身成仏を達成するという「三関三渡」の修行が行われることとなった。この修行においては、裸足で御神体(湯殿山)に登拝することが、大日如来と一体になる行為とされ、非常に尊ばれた。
 現在でも、湯殿山神社の本宮では、参拝の際に裸足になり、祓を受けなければならないとされており、俗世と隔離された神域として認識されていることがうかがわれる。」

 次の目的地は羽黒山出羽三山神社です。
 随神門でバスを下りて階段を下り、祓川と須賀の滝を観て、目指すは国宝の五重塔です。ゆっくりと修験の世界を堪能しました。それぞれの解説は以下です。

 随神門(ずいしんもん):随神門より内は出羽三山の神域となり、神域は遠く月山を越え、湯殿山まで広がる。随神門はこの広い神域の表玄関である。この門は初め仁王門として元禄年間秋田矢島藩主より寄進されたが、明治の神仏分離の折り、随身像を祀り随神門と名付けた。
の五重塔まで階段を下り参拝しました。雨も上がりよい加減です。






 祓川と須賀の滝(はらいがわ・すがのたき):随神門より継子坂を下りると祓川に掛かる神橋に出る。昔三山詣での人々は必ず祓川の清き流れに身を沈め、水垢離をとり三山への登拝の途についた。朱塗りの美しい神橋は見事な浸蝕谷にかかり、向かいの懸崖から落ちる須賀の滝と相対し、その景観はまことに清々しく美しい。
 滝は承応3年(1654)時の別当天宥により月山々麓水呑沢より約8kmの間を引水し祓川の懸崖に落し、不動の滝と名付けた。又、一般的には神域とは随神門と伝えられているが、ここより山上と山麓を呼び分け、山上には維新まで本坊を始め30余ヶ院の寺院があり、肉食妻帯をしない「清僧修験」が住み、山麓には336坊の「妻帯修験」が住んでいた
 五重塔:羽黒山は、会津や平泉と共に東北仏教文化の中心であっただけに、数々の文化財に富んでいる。山麓の黄金堂は重文に、山内の五重塔は国宝である。古くは瀧水寺の五重塔と言われ、附近には多くの寺院があったが、今はなく五重塔だけが一の坂の登り口左手に素木造り、柿葺、三間五層の優美な姿で聳り立つ杉小立の間に建っている。現在の塔は長慶天皇の文中年間(約600年前)庄内の領主で、羽黒山の別当であった武藤政氏の再建と伝えられている。