2019年7月17日水曜日

1737「福島巨石11」2019.7.17

 留石を見て次はモアイ石です。公園広場の脇の道を歩いて10分ほどで到着です。この石はそれほどの大きさではないのですが1度は見ておく価値はありそうです。果たして自然石なのか人工的な物なのか。木内さんは初めてご覧になりましたが人工的な物の様です。では誰が何の目的で作ったのか?千貫森とのレイラインは?・・未知の世界ですが、皆さんとその存在を確認してロマン溢れる時空を楽しみました。






 モアイ石は以下の様に紹介されています。
 
「モアイ石

イースター島の「モアイ」を想わせる飯野町の巨石を代表する石
 巨大な岩の間に小さな祠が祀られています。
 人面岩と言っても不思議ではない、人の首から上の部分が、別の岩によりかかっている状態で存在しています。
 「これはまさにイースター島にあるモアイの石に似ている」と言うことから、昭和末期頃から「モアイ石」と呼ぶようになりました。以前は「大石」と呼んでいて、子どもたちの恰好の遊び場だったそうです。モアイ石の頭部にあたる部分には星座らしき穴が数ケ所あるのが確認できます。
 モアイ石のある山林は大桂寺の所有となっていて、大桂寺が現在の場所(大久保字普門)に移る以前は、このモアイ石のある山裾にあったと言われています。
 また、モアイ石の近くには一段低い凹みがありますが、そこは大桂寺の和尚が修行をした場所と言われています。
 モアイ石からの眺めは素晴らしく、眼下には大久保の町並み、北に千貫森、西には吾妻連峰の山並みという眺望が広がります。春から秋にかけては周囲の自然林や草花、また野鳥や動物との出会いなど楽しさも倍増します。」
所在地:飯野町大字大久保字久保山・寸 法:最大地上高3 m40cm最大露出幅2m80cm

<到達ルート>
 留石の下に、公園の案内地図看板と案内標があります。そこからの道は整備されており明瞭、石の近くで、展望が開け、千貫森や安達太良山を望めます。
<立地>
モアイ石は、稜線沿いの断面でみますと、左図のように平らな稜線の肩にあたり、石より以下の稜線は、傾斜が急になる地点にあたります。
 この地点に、未風化の基盤が露出し、基盤の頂部は縦方向の節理面に沿って4つの岩塊(コアストーン)に分離し、それぞれの岩塊の頭は丸みを帯びた風化球面になっています。
 稜線沿いに上から見下ろしますと(下図)、稜線末端に露岩の低い高まりがあるだけですが、下から見上げますと、周囲を岸壁に囲まれた段となっています。
 この岩壁は、産状から、コアストーンや移動した岩塊でなく、基盤岩体の上部が露出している、いわゆる「根石」と思われます。つまり、この地点は、周辺の基盤が風化により深層までマサとなって「砂の山」と化しているなかで、ここだけ、未風化の基盤岩体が露出している場所と考えられます。



<巨岩の地形> 
 露出基盤岩体は、縦断方向に見るとA~Dの4つの岩塊に分かれます。⇒上図。
 高さは3.5m程度で、さして大きな石ではありません。ただ、岩塊Aは(あるいはBも)、垂直方向に立っていた岩塊が、下部が下方に斜めに滑り落ち、上部が後ろに寄りかかる形でずり下がるという、「座屈」と呼ばれている動き方で滑動しているのが特徴です。その結果、断面が三角形で、下半部が広がる開口割れ目ができています。
 二本松市木幡の胎内くぐり岩(出向番号22)は、稜線の肩地形として似た形です。しかし、胎内くぐり岩の場合は、急傾斜した尾根の肩で、同じ滑動でも「転倒」型の動き方になり、オーバーハングした岩壁地形を作っています。
 モアイ石の場合のように、緩傾斜・平坦な尾根の肩地形では、座屈という別の形になるのは興味深いです。岩塊背後方向から押す力の大小によるものでしょう。
 全景に示すように、岩塊Aの下は、マサの地山で、岩塊Aより前方には、もともと基盤岩塊はなかったようです。
 また、岩塊Aには、前面に眉と目のようにみえる水平な突出と凹みがあり、モアイ石と呼ばれるわけですが、この凹凸を生じさせた水平方向の割れ目と、鉛直方向の割れ目が見られます。
 岩塊の移動を復元してみますと、図のP→Qに動いているようであり、この2方向の割れ目は破断割れ目ではなく、もともとの節理割れ目の可能性が高いです。