2019年7月20日土曜日

1740「福島巨石14」2019.7.20

 1日目も最後の訪問地になりました。この飯野町には縄文の頃からの遺跡、足跡が各所に見られますが有名なものは和台遺跡と白山遺跡です。和台遺跡は看板だけですから白山遺跡に向かいました。ここも移動は10分弱で到着です。各所に紹介されていますので集約して紹介します。


和台遺跡      福島市飯野町明治字南和台
 「縄文時代中期の集落遺跡。国の史跡に指定されている。和台とは、もともと「ウワダイ」と呼ばれていたようで、アイヌ語で「暖かく住み心地よき小高い原野」という意味を持ちます。和台遺跡のある場所はこの意味の通り、眼下に阿武隈川の流れと飯野の町並みを見下ろせる絶好の高台にあります。
 この台地一帯5万㎡に及ぶと推定されています。現在1万5000㎡の発掘調査から、縄文時代中期末葉(約4000年前)に竪穴式住居跡が発掘され、その数は約200棟に及び、東北地方南部では最大級の縄文集落跡です。
 和台遺跡の最大の特徴は、縄文中期後半の複式炉をもつ住居跡群であり、現在約230軒が発見されています。さらに実調査区にも住居跡は存在することが知られております。
 国内で発掘されている複式炉を伴う集落には、数件程度の小規模な集落と、その地域における拠点になった大規模な集落とがあり、和台遺跡は拠点となった遺跡です。大規模集落形式には、食料の確保が第1の条件ですが、山菜・堅果類狩猟対象物の豊かさと共に、阿武隈川を遡上するサケ・マスなどの漁労も盛んに行われたものと推定されます。もちろん複式炉も大きな役割を果たしたものと思われます。
 遺構や遺物などの考古資料によれば、縄文時代のムラ(集落)は200年間続いたことが判明しました。その後、急速にムラは衰え、放棄されてしまうが、その理由についてはさらなる追究、検討が必要である。また、使用した大量の土器の材料となる粘土採掘の痕跡が確認されていないことも謎とされている。」
・出土遺物
 遺物としては、全国でも他に類例のほとんどない人体文土器、南東北地方ではそれまで出土例のなかった狩猟文土器をはじめ、数多くの縄文土器、石器、骨角器、動植物遺存体などが出土している。人骨は1体のみ出土しており、焼かれたために残ったものである。当時は土葬が一般的であったため、なぜ1体のみ火葬されたのか謎とされる。
 また、黒曜石やヒスイ、海洋性の魚骨類、さらに関東地方・北陸地方・中部地方の影響を受けた土器も出土しており、遠隔地ともはば広い交易、交流が認められる。
・人体文土器
 人体文土器は、第39号住居跡の床面中央に埋設されていた。土器は残存高32センチメートル、直径28センチメートルで底部が欠損している。胴部のふくらんだ部分には帯状にすす状炭化物が付着していたが、住居床面に全体がすっぽり埋められていたことから、ススはそれ以前に付いたものと考えられる。おそらくは、特別につくられ、祭祀や儀礼など特別な用途で使用されたのち、炉として転用されたものと推定できる。人体文の文様部分は身長20センチメートルで、顔の部分の造形に高い芸術性が認められる。


 人体文土器とは、粘土の貼り付けによって、人の全身(頭・体・手足)が描かれた土器でこれほどきちんとした人の姿がつけられている土器は、全国的にも非常に珍しいものです。

・狩猟文土器
 狩猟文土器は、北東北地方(円筒土器文化圏)には出土例があったものの、南東北地方では初の出土であり、従来想定されていた狩猟文土器の分布圏に見直しをせまる成果となった。この種の土器は縄文時代中期末から後期前葉の青森県、北海道南部、岩手県などで十数例発見されている。文様は樹木や動物、罠や落とし穴などである。葬送儀礼や狩猟、動物祭祀に使用されたとみられている。なお、出土した人体文土器、狩猟文土器は福島県指定の有形文化財(県指定重要文化財)となっている。
 狩猟文土器とは、縄文人の狩りの様子を描いた土器です。従来の説では、北日本(北海道・青森県・岩手県)に独特の特殊な土器と考えられていました。和台遺跡の土器は、福島県では初の出土であり、国内で最南端の出土例となります。更に、時期的にも北日本のものより数百年古く、今のところ最古の狩猟文土器ということになります。」

・白山遺跡  飯野町飯野字白山 県指定史跡(昭和35,3,29指定)
 「伊達郡飯野町飯野字白山にある縄文時代中期後半の遺跡で、昭和32年に部分的発掘調査が行われました。
 直径6~7mの円形の竪穴住居跡1軒が検出され、床面からはそれまで見たことのない石を組んだ大きな不思議な炉跡が発見されました。石組みの炉に接して土器を埋め込んだ「火つぼ」が2つあり、調査者の梅宮茂氏は学校の「複式学級」にちなんで「複式炉」と命名しました。翌年には明治大学の後藤守一氏の指導のもと、地元有志の手で全国で初めてとなる縄文時代の復元家屋も造られました。
 やがて複式炉をもつ住居跡は縄文中期後半に福島県を中心に分布する特有の文化の所産であることがわかり、分布域を複式炉文化圏と呼ぶようになります。女神川をはさんだ白山遺跡の対岸の台地上には近年複式炉をもつ住居跡が170軒以上も検出された和台遺跡があり、この地域が複式炉文化の中心地であったことが確認されています。」

 雨の中復元された住居跡を見学しました。





 この不思議な感覚のする場所です。真北に千貫森が見えます。西から南へ阿武隈川が流れ高台のこの地は天と地に守られ恵まれたエネルギーの地であったと思われます。そしてここで出土した人体文土器の写真を見た時に、今までの縄文のビーナスや合掌土偶などと違う感動を覚えました。わざわざ和台遺跡の書籍を買い込んで読みましたが、未知は未だ解けません。
 巨石と遺跡とUFO、太古のロマンと宇宙に繋がるエキサイティングな飯野を巡った1日した。これで今日は終了で宿へ向かいます。早めに着いて温泉を満喫できます。皆さんも大喜びです。