「令和になって何か変な感じがします。ひょっとしたら今の陛下はまだ力不足かもしれません。私は秋篠宮殿下の方に縁していました。2006年に「生き物学会」が開催された網走市で2人だけでお会いした事があります。その時に殿下に「1500年前の歴史はどうなっているか?」と聞かれました。「その証拠は何処にあるのか?」と言われ、古事記、日本書紀の取って付けた話しになるのですが、星の事から話しをしました。
昔、今の奈良県の手塚山学園の当たりにスサノオノミコトの流れの人達が作った都がありました。村々があり、山を作り生活をしていました。しかしそこに隕石が落ちて大きなクレーターが出来て、その都は一瞬に消えてしまったのです。
その当時、朝鮮半島では王の兄弟喧嘩があり、追い出された人が隠岐の島で体制を整えて、そこから福井県に移り、石積みの都を作って住んでいました。そこからは白山の山が見えました。その王家の発祥の地は朝鮮の白頭山なのです。そこから出たのが彼らの神様ですから、そこの山を白山としました。
奈良の都に隕石が落ちた時は凄い音がしました。その光は福井からも見えただろうと思います。当時は武士はいませんでした。狩猟民族と農耕民族に分かれていました。狩猟民族は武器は持っていました。かの地を治めていた人達が消えていなくなり、そこを朝鮮から来た福井いた人達が見に行ったのです。
都のあったその地は焼け野原で、消えて誰もいません。そこを自分たちのものにしたのです。そして自分達を天から岩船に乗って来たことにしたのです。
スサノオさん達が作った出雲にも都がありました。そこはズーズー弁でした。彼らは元々は東北地方、津軽の方から来たので、出雲は津軽と同じズーズー弁だったのです。スサノオが長として治めましたが、彼は森を大切にし、自然の循環を司って治めていました。森の下草刈りをし、間引きをしていました。その中を動物が徘徊し栄養が行き渡たり、動物の糞などが食べ物の栄養価を高めたのです。
スサノオの理念が2015年に開催された「スサノオ到来展」に出ていました。地球環境を作って行くこと、新参者として人が生き物の世話をすること。この理念をスサノオは持っていました。しかし、人間は勝手なことで土地を取り合い、争いが起きました。
先日、出雲大社に行って来ましたが、そこで私が生死を彷徨った時の事が出て来ました。
そのような事を秋篠宮殿下にお話ししましたが、「そうでしたか。」と言われた。我々は地球の新参者で下働きをしないと駄目です。その為に手足があり、頑張って自由に使えること。その話しに感動していました。
出雲ではマコモのお祭りがありました。マコモを敷いてその上を歩くのです。マコモを貰って来ました。そこでは知っている色んな人に合いました。そこで気仙沼のリバーブ主催で私の講演会があったのですが、マコモの話しもしました。
4年前にも出雲で講演会をしましたが、その時はリバーブの主催でなかったのですが、見て来た事の様な話しをしていました。
死んで未来、過去を見てこれるのです。死ぬまではこの世で自分が持っている役割、働きをすることです。それは環境を整えることです。今、地球環境が乱れています。長梅雨、ゲリラ豪雨、雹など尋常でないです。