2020年5月25日月曜日

2047「未来へ3」2020.5.25

 次のお話しは株式会社「田伝むし」社長のK、Jさんです。Kさんは仙台テンメイ発足時からの会員で良き仲間です。会社の紹介は以下です。https://www.denden999.com/

「田伝むしの今後の展望」
 石巻市で専業農家として米作りをしています。昨年末に倉庫を新設してその中に生体エネルギー装置の冷凍庫蘇鮮蔵を導入しました。
 私は昭和44年生まれで現在51才です。米農家の長男で子供のころは運動が良くでき大会選手になっていました。本を読むのが好きでした。
 高卒後大学進学を望み、農家にはなりたくないと予備校に通ったのですが、数か月で挫折してしまいました。仙台の夜の飲食の世界にはまってしまったのです。ジーノクラシックやマハラジャでアルバイトをしていました。やがて社会人になりました。色々な仕事をしました。しかし駄目だと思い、こんなところで時間と命を費やすのはもったいないと思って直ぐ辞めていました。そんな中27才の時にマルハの大洋漁業に入って安定しました。それまで色々やっていましたが、アムエェイもして300人のグループを作ったりしました。
 マルハで10年働きました。若い頃は農業をやりたくなかったのですが、結婚し考えが変わりました。そして36才の平成17年に実家に戻り就農しました。両親は昭和62年からお米の無農薬栽培をやっていました。しかし私は1度も手伝いをしていませんでしたが妹が手伝っていました。

 私は切り替えが早いです。就農して最初にしたのが埋炭で群馬の勉強会に8万円の参加費を払って参加しました。しかし1回1反200万円かかるので、これは無理で止めました。動物性肥料を入れて無農薬で9俵から10俵収穫できました。それは北上川の恩恵でした。しかしただ親から引き継ぐのに抵抗がありました。そして自然栽培、無農薬、無化学肥料からスタートしました。
 すると仲間が出来ましたし、孤独ではなかったです。就農し米を売り楽天も使いましたが楽天は止めました。色々勉強になりました。ハードルが高いものとして除草作業があります。今日も生体エネルギー農業資材のAECを撒いて来ました。除草で1ヘクタール100m×100mを20往復すると太れません。2か月で5キロはやせます。疲れますが基礎体力が付きます。この除草がタイミング良く出来ると上手く収穫出来ます。
 田植えの3日前に代掻きをし、田植え1日後に除草機を入れ、1週間後に又除草機を入れます。育苗が大事で年々高温化してきているので管理が必要です。須賀川市の臼井農園で84才になる臼井勝利さんが安全で美味しい米作りを永年していますが稲の生理生態が面白いです。

 平成22年に法人化して株式会社田伝むしを設立しました、田んぼの素晴らしさを伝えたいと思っています。昨年、蘇鮮蔵を設置しお米の栽培し直しを始めました。これは県の支援事業で行いました。北側隣地の土地を購入したのですが地目変更をするのが大変で、難産でした。
 春から秋は農作業、生産活動をし、冬は展示会などで営業活動をしています。お米は全て農協を通さずに直接販売をしています。年間50トンのお米、ササニシキを生産しています。今度、農楽、化学肥料を使っている慣行栽培のササニシキ100トンを扱うので他の農家から仕入れました。寿司米としてささにしきが優れていて注文を頂いています。それらを蘇鮮蔵の中に21日間保管して生体エネルギー処理をすることで、健康になれる米に着実に近づいて行く為の手段として活用して行けると思っています。
 これからの時代、少量でも生体エネルギーを満たす事が必要となります。私の所では他の農家さんからのお米の買い上げ価格は農協の2割高でしています。玄米30キロ農協買い上げだと6500円+補助金1000円です。私の所で8000円です。多くの農家は採算が取れず、農協などの役職収入でどうにかやっている状態です。
 これからますます自由競争の時代になり、米作りは分水嶺です。高齢化、後継者不足でその上収入が少ない。しかしその様に国が誘導しています。作るだけでなく色んな所と連携して展開することが必要です。

 寿司プロジェクトとして寿司米に適したささにしきの生産量は石巻市が日本1です。そして日本三大漁場の1つが金華山沖で魚種は世界1です。石巻にフィッシャーマンジャパンが立ち上がり水産業を売り出しています。後、石巻の蔵元で日本酒の「日高見」を作っている平孝酒造の平井社長は寿司王子として寿司に合う日本酒を広めています。
 ササニシキ100トンの注文は炊飯メーカーからで、お寿司屋さんにお米を炊き上げて納入するのです。寿司文化は調理職人がいないし、後継者が不足しているのが現状です。そして水産業も担い手、後継者がいないです。
 私の夢は農学校をして農の大事な事を伝えていき、後継者を育てて行く事です。自然農の先生で、石巻にいたS、Sさんがやっていた日高見自然農学校は2010年の12月から始まり1,2月とやりこれからと言う時に311東日本大震災に遭って中断してしまいました。佐々木さんは今、和歌山に移りましたが又一緒にやりたいと思っています。」


 Kさんに初めて会った時は30代後半で就農して直ぐでした。鋭いアンテナで天命塾に参加して仲間として協力してやってきました。テンメイでの田植え、稲刈りも田伝むしさんで10年以上続けて来ています。先見性、決断力、行動力を兼ね備えたリーダーです。倉庫の建築や自宅のリフォームには私の生体エネルギー建築理論を活かして下さいました。着実に進化して将来が楽しみです。今年も4月29日に種まきに伺い、5月31日田植えが楽しみです。