以下の様に紹介されています。
「遠野から花巻に向かうほぼ中央、東和町東部の小高い丘の上に丹内山(たんないさん)神社はある。広く森閑とした境内に、参拝客は一人もいない。
祭神は、約1200年前にこの地方を開拓したと伝えられる多邇知比古神(たにちひこのかみ)。平安時代に空海の弟子日弘が不動尊像を安置し「大聖寺不動丹内大権現」と称す。平安後期は平泉の藤原氏、中世は安俵小原氏、近世は盛岡南部氏の郷社として厚く加護されてきたという。
この丹内山神社は、高橋克彦の『火怨―北の燿星アテルイ』で、蝦夷(えみし)の首領・阿弖流為が、アラハバキ(荒覇吐、荒吐、荒脛巾)神の御神体の前で、巫女により祝詞をうけ、21年後の坂上田村麻呂との決戦を予見するシーンの舞台となっている。想起される方も多いのでは。
小説では、東和の里が物部氏の本拠地となっている。蘇我氏との戦いに敗れ都を追われた物部は、物部の聖地であるこの地に潜み、金を採掘し、蝦夷を経済面でサポートする。アラハバキとは物部を繁栄に導く、鉄の山を支配する神だとされている。
アラハバキという耳慣れない神の名を一躍有名にしたのが『東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)』という奇怪な古代文書だ。昭和22年、青森県の和田喜八郎氏の自宅改装中に天井裏から発見されるや、本物説偽作説が入り乱れ大論争となった。現在、判定は偽作説にほぼ固まっているが、そこに描かれた古代津軽の荒吐(あらははぎ)族と大和朝廷の抗争の歴史は、真贋を超えた面白さがある。
そもそもアラハバキは荒い脛巾(はばき)で、ハバキはすねに巻きつける脛巾(きゃはん)のこと。すなわち足にまつわる神に由来し、旅の神とか道中安全の神というあたりになる。しかし、実態となるとまったく正体不明。あの柳田國男でさえ「神名・由来ともに不明である」(『石神問答』)と言わしめた謎の神だ。その起源等については、高橋氏の『火怨』説を含めて様々な説がある。
もっとも有力と思われるアラハバキ説は、客神(まろうどがみ)または門客神(もんきゃくしん)とする説だ。地主神がその土地を奪われて、後からやって来た日本神話の神々と立場を逆転され、客神となったとするもの。
門客神として祀られているケースは、さいたま市大宮区の「氷川神社」で見られる。この摂社は「門客人神社」と呼ばれるが、古くは「荒脛巾神社」と呼ばれていた。
この説について、『白鳥伝説』『日本の神々』の著者・谷川健一氏が次のように述べているのを見られたい。
アラハバキの名称は荒脛巾に由来するが、その実体は蝦夷の神であった。蝦夷の神をもって外敵である蝦夷を撃退させようとした。それは異族である隼人に宮門を守らせ、朝廷のために吠声をさせるのとおなじ心理であった。アラハバキももともと名前をもたない蝦夷の神であったのが、やがて門客人神として体裁をととのえられ、アマト朝廷の神杜の中に摂社または末社として組み入れられていったのである。
物部の神をアラハバキとみることも、あながち見当外れとは言えまい。丹内山神社に見られる磐座(いわくら)信仰は、神籬(ひもろぎ)信仰とともに神社の原始形態と言われている。アミニズムでは、石にはいろいろな神や霊が宿ると考えられていた。縄文期には死者の霊の宿ると考えていたが、しだいに「物」が宿ると拡大され「八百万の神」となって神道が形作られていく。
「物の中に神が宿る」とする思想こそ、物部氏(モノとは武器、または物の怪) 的発想であり、磐座信仰は物部氏抜きには考えられない。」
丹内山神社は大きな構えの神社です。これまでもそれぞれの時代に大事にされてきていることが分かります。神人さんはここが今回のツアーのメインだといいます。
社殿の裏手の丘にその巨石、アラハバキの磐座が鎮座しています。巨石が重なりその隙間を通れる様になっていて胎内潜りで願いが叶うとされています。
後ろから巨石に神人さんが登り、シャーマンライブが始まりました。長い時間、太鼓を打ち鳴らし、声を発し、祈りを捧げていました。
全てを終えて以下の様にお話下さいました。
岩に上りライブを始めたら霊人が「不浄なるものよ、ここで何をしている。」と怒ってきたそうです。それに対して「そっちらこそ、いつからここはお前のものになったのだ。ここは誰のものでもない。そもそもお前たちもここは土着の者たちから奪ったものであろう。」と、言い返して、無視してそのまま演奏を続けていたそうです。やがてその霊人達は上がって行ったようです。
はじめに邪魔して来たのは比較的新しい時代の、武士系の霊です。この地は武士の時代の数々の権力者達にも大事にされた聖地だったのです。しかし元を正せば、それ以前の蝦夷、更に遥昔からの聖地だったのです。しかし蝦夷の時代の霊はあまり残っていなかった様です。
数年前から陸奥縄文ツアーをやっているので、古い時代の霊の浄化はかなり進んでいるので、残っていそうな場所でも大丈夫なようです。
又、ここでも浄化し、交流するなかに良き方向へ前進できました。