店の奥の広間が会場です。この部屋は東側が全面窓で眺望が素晴らしいのです。北上川、その奥に桜に名所の北上展勝地、そして緑の山々が見渡せます。
先ずは今日午前の労をねぎらいビールで乾杯です。料理は精進と普通食で希望に応じてお願いしましたが、中々な品揃えで皆さん美味しく頂けました。食事の最中も打ち解けて話が弾み、暫しゆっくりと過ごしました。
満たされた後、午後の巡りをスタートです。目的地はホテルから直ぐ近くの北上市稲瀬町大谷地にある樺山遺跡です。ここは昨年の神人ツアーでも訪れていて、シャーマンライブを感動的に行っています。
樺山遺跡の紹介です。
「1951年(昭和26年)の発掘調査で発見された樺山遺跡(かばやまいせき)は、立石をともなう石組みの配石遺構(ストーンサークル)が注目を集め、国の指定史跡になっています。
この遺跡は、縄文時代中期の配石遺構群を伴う、縄文時代前期末から後期にかけての集落跡です。特に、配石遺構と呼ばれる石組み群が、丘陵西側の緩い斜面部から平坦部にかけての一帯に不規則に分布し、石を組んだモニュメントが37個発見され有名になりました。
東側の高台上には約5,000年前の村が、西側の斜面には約4,000年前の村があり、モニュメントの造られた時期は謎の一つです。
個々の石組みの石の並べ方にいくつかの型が認められますが、花崗岩(かこうがん)の細長い川原石1個を立てた周りに、数個の山石を放射状に並べたものを典型とします。石組みの下は少しくぼんでいますが、土こう(あな)と言えるものではありません。
石組みに伴って出土した土器や石器から縄文時代中期のものと考えられます。
配石遺構は、縄文時代前期から知られていましたが、樺山遺跡以降の代表的なものとして、秋田県鹿角市の大湯環状列石があります。これは縄文時代後期のもので、石組み群の中の日時計と呼ばれているものが、樺山遺跡の石組みに似ており、樺山遺跡のものを祖源とみることができます。
このような配石遺構は何のために造られたかについては、以前から墓地とみる説と、祭り場とみる説とがありますが、北海道地方では墓地がほとんどであり、その他の地方では両者があって一様ではありません。樺山遺跡では、墓であるかどうかをみるため、石組みの下の土を 「リン分」 の分析しましたが、墓としての確かな証拠が得られませんでした。
丘陵上には、配石遺構を造った人々が生活した場所と考えられ、縄文時代中期の竪穴式住居が復元されており、史跡公園として親しまれています。」
神人さんから、昨年、ここで素晴らしい霊人たちとのコラボが出来たので今年は無しで良いとのことです。遺跡では食後の休息になりました。
丘の上の集落を復元した高台からは、西に北上川、北上市街地、焼山連峰、奥羽山脈の山々が綺麗に一望できます。草に寝そべっていますが、太陽の日差しが強烈で直ぐに日陰に移動です。
初めての方たちは、丘を下った所にある立石のあるストーンサークルを見学に行きました。ここは何度来ても最高のエネルギースポットです。ここが秋田大湯のストーンサークルの原型とのことです。縄文のころから豊かな地として多くの民が営みを継続して栄えたのでしょう。
昨年の神人ツアーの様子はこちらをご覧ください。
1077「シャーマン15」2017,9,29