「伊達藩養蚕発祥の地・入谷にあるスポット。江戸時代に建てられた代表的な住宅「松笠屋敷」や養蚕の歴史を紹介する「シルク館」があり、民話の紹介や各種体験などが行われています。
南三陸町の入谷地区は、仙台藩養蚕発祥の地として絹の生産で栄え、その繁栄をしのぶことができるのが、旧入谷村の村長も務めた須藤家の邸宅「ひころの里」です。「ひころ」とは「ひかり」の意味。座敷からは遠く保呂羽山を借景に、四季折々の美しい眺めを楽しむことができます。
地元の素材にこだわった料理を提供しています。山里の幸を盛り込み、里の温もりたっぷりの「ひころ膳」はお勧めです。地産地消の美味しい料理です、一度ご賞味下さい。」
「松笠屋敷」
中世にこの地方を治めた、葛西家旧臣の末裔と伝えられる須藤家の邸宅と土蔵を、修復保全して公開している。江戸後期に建設された在郷の藩士住宅としては非常に貴重で、建築文化史上の価値も高いとされている。中には農具や掛け軸などが展示されています。
「シルク館」
養蚕に関わる歴史や器具などの各種資料が展示されているほか、大小10台のはた織り機がある体験学習室もあります。インストラクターの指導を受けながら、はた織りでコースターを作ったり繭でコサージュを作る体験プログラムが評判を呼んでいます。
「ばっかり茶屋」
リアス地形の南三陸町は、海の近くにありながら実り豊かな里山の町でもある。入谷地区は昔から養蚕で栄え、江戸時代に建造された旧入谷村村長の須藤家の屋敷は、松笠屋敷とも呼ばれ、町の歴史遺産ひころの里として公開されている。
この奥座敷では、毎日お膳に載ったランチがいただける。地元の食材ばっかりを使っているので「ばっかり茶屋」と名付けられた農家レストランである。切り盛りするのは入谷地区の農家の女性たち、ひころレディースだ。7人のメンバーが自分で育てた様々な食材を持ち寄り、集まった食材によってメニューが決められる。
それぞれの得意料理が、漆塗りのお椀に盛られて美しいお膳に並ぶ。揚げたての天ぷらにお団子までついて、なんと600円。手作りの野菜を持ち寄るからこの価格で提供できる。
冬は春菊、つぼみ菜、そしてハウス栽培のふきのとうなどが旬になる。青々とした竹林や山里の風情を味わいながら、地産地消のものをいただく豊かな時間は、ゆったりと流れていく。地域の人たちのために「お茶のみばっかり、おしゃべりばっかり」の場を作ろうと始まった「ばっかり茶屋」は今では南三陸町の顔として多くのビジターをもてなしている。
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私達はまっすぐ昼食会場の「ばっかり茶屋」に向かったのですが、特別に松笠屋敷の座敷に案内されました。部屋に入ると左手の続き間には7段のお雛様が3台並んで迎えてくれました。お膳が並んでいます。今日は「おらほの御膳」を頂きましたが地元の食材で調理して頂いた逸品の豪華な昼食です。皆さん顔が喜びでいっぱいです。
食後は庭を散策しシルク館の見学です。梅の花が咲き、見事な紅梅が見れました。この地の養蚕は伊達藩の肝いりで盛んになりましたがその兼任者は山内甚之丞です。昇仙の杜・弥生公園にある記念碑に以下の様に記されています。
「山内甚之丞と養蚕の興隆: “山内甚之丞は戦国武将の血を引く俊才であった。古来入谷千軒とはやされた産金(砂金とり)が底を尽いた享保の頃、若くして福島(伊達郡川俣)に赴き養蚕・製糸の業を修得、仙台藩全域に伝授し「養蚕の始祖」と仰がれた。大肝入として地域の殖産興業や救荒済民を行い、道路を造り寺社を改築し、地域住民から厚く敬われ神様として奉られた。
その功績により藩の大番士に取り立てられ、以来甚兵衛をはじめ子孫は代々藩士として生糸吟味役に任ぜられ、遂に銘柄「金華山」を生産、京都西陣はおろか幕末には米国にまで輸出し外貨を獲得した。
維新後は旭製糸株式会社に受継がれパリ万国博にはグランプリを獲得し、志津川町の名声を高くした。かくして山内家が数世紀に亘り地域住民の生業を確立した功績は大きく永遠に伝えられるだろう。 平成3年3月 志津川町長 阿部公三”」
シルク館では貴重な資料を学ぶことが出来ました。カラフルなシルクの製品が展示販売されていました。梅の花の小袋を梅子さんが購入されましたが、令和の新元号が梅に所縁のある歌でしたので後日、その機縁を喜んでおられました。
優雅なゆったり楽しめた昼食で、光溢れる「ひころの里」でした。